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【21日目】『無償の愛』は存在するのか(ジンセイのトリセツ)

◆「幸せになる方法」をマニュアル化しよう

 では『許すこと』の話を始めていきます。繰り返しますが、僕たちが行う動作の中で「最も難しい行為」がこの『許すこと』です。

 前回「幸せのカタチは人それぞれ」という話をしました。そしてこの上級編の最初のほう(【3日目】)にも書いたけれど、人生というものは

幸せだったらオッケー

だと思うんです。たとえば、いま幸せで、このまま死ぬまで幸せなまま生きられるのであれば、僕のこの話は本当に不要だと思うんです。
 だけど……ここは【地獄】なんでしたよね。地獄は『一切皆苦』なので、どうやっても「幸せではない状態」ができてしまう「仕組み」になっているんでした。だから僕たちは【アタマ】を上手に使って「幸せ」を見つけていかねばならないのです。

 というわけで『ジンセイのトリセツ』を作るにあたっていちばん大事なことはこの

「幸せを感じるための方法」をきちんと言葉で表すこと

ではないかと思うわけです。そのための究極のツール(道具)が

『許すこと』

だと僕は考えています。

 これは本当に難しいんです。なぜかというと、前回少し話しましたが、この「許す」という動作が「具体的に何をすることか」というと

モトの流出を「そのままにしよう」と考えること

だからなんです。つまり自ら「イヤな気分になろう」とすることなんです。
 だから、とても困難なんです。だってモトが減るとマイナスの気持ちになるんでしたよね? だからこそこの『許すこと』を行うためには発達した知能と、それを使いこなす知性がいるんです。


◆「無償の愛」という『勘違い』

 僕たちの先人、歴史に残る偉大な人々の中にはこの

『許すこと』の達人

がたくさんいました。自分を犠牲にして沢山の人のために尽くしてきたような人々のことです。こういう人々の行いを

『無償の愛』

と呼んだりしますよね。本当に素晴らしいことだと僕も思いますし、そういう人になれたらいいな、と思っている人も多いでしょう。
 ですが、なかなかこういう『無償の愛』を体現するような生き方というのは、できないものですよね……なぜだと思いますか?

 実は、そもそも僕たちは「勘違い」をしていたんです。こういう「許しの達人」たちは『無償』で愛をバラまいていたわけではないんです。
 そう……この人たちがやってきたことは、本当は

ものすごく高度な【モトあつめ】

だったんです。

 初級編の最初の方で「赤ちゃんと周りの大人のモトあつめ」について書いたことを思い出してください。赤ちゃんの泣き声を聞いた大人が、

  • イライラする人

  • 世話をしたくなる人

に分かれる理由を説明しましたよね。イライラするのは「大きな音に注目してモトが減ったから」で、世話をしたくなるのは「赤ちゃんの世話をすると自分のモトが増えると『知っている』から」だと、あのときモトの動きを解説しました。
 この「世話をしたくなる人」のモトあつめを、あらゆる人に行っている人こそ

『許すこと』の達人

なんです。

 これこそが『無償の愛』の正体です。この人たちは本当は自分のために【モトあつめ】をしているのですね……厳密にいうと「無償」ではないわけです。モトの量(=幸せ)という「報酬」があるから、続けられるんです。


◆最も高度なモトあつめ『許すこと』

 こういった『許しの達人』たちは、もちろん【モト】のことなんか知らないはずですし、ハナから「モトあつめをするぞ」なんて考えていないはずです。ではどうして自らを差し出すことができるのかというと、先ほどの赤ちゃんの話にもあった通り

「知っている」から

です……自分がそうすることで相手も自分も『幸せ』になれることを。それも、経験から無意識に、です。
 これこそが『最も高度なモトあつめ』です。自分がいったん「犠牲になる」ことを『許す』ことで、自分のモトも相手のモトも増やして、周囲の空間にモトをたくさん生み出す、という究極のモトあつめなんです。

 だから『許すこと』は究極のモトあつめのツールなんですね。

 では、具体的にどうやったら「許せる」ようになるのでしょうか? 大事なのはそこです。
 そのためにも「ツール」があります。それは

  • あきらめる

  • 選びなおす

というものです。


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「ニンゲンのトリセツ」著者、リリジャス・クリエイター。京都でちまちま生きているぶよんぶよんのオジサンです。新作の原稿を転載中、長編小説連載中。みんなの投げ銭まってるぜ!(笑)