カンジョウが麻痺してるのと慣れるのは違う
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感情が麻痺するということ
同じ出来事でも回を重ねるごとに、何も感じなくなると言うことがあると思います。
例えば、寝不足とかも最初は眠くてだるくて疲れると感じていたはずが、寝不足が当たり前になってくると、その眠くてだるくて疲れてるのが当たり前になり、何も感じてない様な感覚になることがありますよね。
これは、慣れではなく、麻痺です。
体はしっかりと何かを感じているはずですが、それが知覚できなくなっている状態です。正座してしびれると、足を触っても感覚が伝わってこないのと同じです。
感情も同じ様に、ずっと同じ状態を続けていてかつ、その感情を無視し続けると、麻痺します。
正座しているときの足が「痛い」と言ってるのに、それを無視し続けると痺れるのと同じ様に、例えば「悲しい」という感情を無視し続けると、感情は麻痺してそれが悲しいことだと気づくことができなくなります。
「心が死ぬ」というのはそんな感じなのかもしれません。
感情に慣れるとは?
では感情に慣れるとはどういうことでしょうか。
慣れるとは、同じ様な体験を重ねた場合に体が覚えていくことで、それに対する驚きや感情量が減っていくこと、と考えることができます。
例えば人生で最初に食べたパンケーキと、10回目のパンケーキでは感動が違います。
これは麻痺ではなく、ちゃんと味わおうとしても、味わったとしても、感情は薄れていくものだよ、ということを示しているんです
麻痺は感情を無視した結果、感じなくなることなので、似ている様で違います。
感情に慣れたら感情を感じなくなるのでは?と思うかもしれませんがそんなことはありません。
今日も元気に感情は何かを感じています。ぼくのノートに書かれる感情が何年経っても大差ないことがその証です。
ただ例えばそこに出てくる、「怖い」という感情に対する自分の反応は変わりました。それは「怖い」に慣れたからだと思います。
慣れてないことが起こると、人は驚き、時に怒り、焦ったり、イライラしたりします。慣れていることだけをやる1日に、驚きや焦り、イライラが少ないのは当然です。
慣れと麻痺が欲するものはどう違うか
「慣れ」は新しい刺激を歓迎しますが、「麻痺」は強い刺激を欲求します。
これも「慣れ」と「麻痺」の違いです。
例えば、「怖さ」に「慣れ」てきたら、また新しいことに挑戦しようという気持ちになれます。「怖さ」に「麻痺」していると、より「怖さ」を忘れさせてくれる強い刺激を求めることになります。
それが、
より美味しい食べ物なのか、
より高級なホテルなのか、
頑張ってる自分なのか、
大義なのか、
使命なのか、
運命なのか、
達成なのか、
アルコールなのか、
薬なのか、
存在意義なのか、
何なのかはわかりませんが、黒い絵の具に濃い紫を上塗りするようなもので、それはもう何色なのかを知覚することもできません。心が麻痺しているからです。
麻痺した感情の戻し方
麻痺した感情を復活させるには、丁寧にケアすることが一番だと思います。
具体的には、
まず注目し
よく聞き
よく観察する
ことだと思います。
そうするだけで自分の感情が如何に麻痺していたかに気づくと思いますし、徐々に感情のセンサーが復活していくのを感じられると思います。
ぼくはアトピー持ちなのですが、もう長いこと付き合っているので麻痺してきてしまっていました。
ただある日のノートに、「指が痒い」と書いたのを見たのをきっかけに、またちょっと何かを変えようと思ったんです。そしてその日からしばらくグルテンフリーな生活を始めて数ヶ月経つのですが、指のくろずみみたいなのが結構取れてきて、きれいになってきました。
些細なことのようですが、自分が慣れていると思ってることは、実は麻痺しているだけということが結構あります。
麻痺している気づくこということは、痛いことかもしれない。怖いことかもしれない。それは正座していた足を崩して立ちあがろうとすることに似ていますから。
でもその代わり、無味乾燥な毎日が、痛かったり美味しかったり楽しかったり、「生きてるわ〜」ってな毎日に変わっていく可能性があると思うのです。
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