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後味最高ではないけど、エンドレス悪夢よりはマシという考え方

壊れたApple Pencilを修理にApple Storeへ

その店のシステムが分からないと人は不安になる

昨日、使えなくなってしばらく放置していたApple Pencilを修理しようかと思い、Apple Storeに一昨日のうちに予約を入れて行ってきたときの話です。

入り口に入ろうとしたら「順番にご案内します」って言われたんですが、まずそもそも「入るのに待つシステム」っていうのがわからずイラッとしてしまいました。

「入るのに待つシステム」なら待つ場所とか列があって欲しいものの、ぼくの前にいたのは数人の外国人の方で、バラバラっと立っていたのでどこが最後尾かわからず。

というわけで入る前にまずイライラが1ポイント。無事中には入れたんですが、案内してくれた男性が一言、「こちらでお待ちください」と通された場所は、普通にiphoneがディスプレイされている机の脇。

「順番にスタッフが来ます」的なことを言われたのですが、1分後に思ったのが、「どれくらいで?」ということ。徐々に沸々とイライラの気泡が膨らんでいくのを感じます。

そして訪れる安堵

ある程度待たされることは予想して、本とスマホゲームの準備はしてきていたので、Airpodsしてスマホゲームをしてました。

ただ、

  • 立ちっぱなしでスマホゲームちょっとつらい

  • Airpodsしてスマホゲームしてたら、ただゲームしてる人みたいに思われてスタッフが話しかけづらくて順番が先送りになったらどうしよう、、

などの心配が始まり、徐々にその不安がイライラに代わっていきます。ここでイライラ5ポイントくらいに達しました。その頃には、脳内で「Apple Storeで働いている人間」に対してのジャッジが始まり、、、と、ほんとに小さい男です。

そうこうしてスマホゲーム中の戦いと脳内が過熱を帯びている頃、スタッフの方に声をかけられました。

「こまつさまですか。」

ぼくは大して待たされてもいないのに「やっと来てくれた」という安堵が表情に溢れ出てしまうのを隠すように、平静を装って業務的な返事を2、3繰り返しました。

ほどなくして、「では新品とお取り返しますね」となり、無事にApple Pencilは真っ新な新品になりました。

この時点でぼくの感情はもう、プラスです。さっきまでのイラッとポイントが何処かに行ってしまったかの様に、「Appleってやっぱいいな。。(・∀・)」という掌の返し様。

「Apple Storeが最高」なワケ

実はここまでの時間、約20分でした。この20分の間に自分の感情がいったりきたりしてるのを観察して、なんだか面白いなーと思ったんですが、感情がプラスに転じた要因を考えてみると、実はこうだったんです。

対応してくれたスタッフの方がマスク越しにみても美人だったから。

いや、でももしマスク越しに美人なスタッフの方の対応の結果如何では、もしかしたらそのApple Storeの印象はまた180度ちがったものになったのかなーと思うと、最後の感情が、その体験の意味を決めるんだなって、思ったんですね。

Apple Storeに入って待っている時の不安やイラ立ちは、そこを出る時には忘れていて、「Appleっていいなぁ。」という最後の感情が、この体験の意味となっているのです。

シェイクスピア曰く「終わりよければ全てよし」ではないですが、ある体験の意味が最後の感情で決まる、ということを実感した体験でした。

過去を再体験し直してみるということ

そもそも未完了の体験である場合

ぼくがこれまで接してきた方の中でも、過去の意味づけが180度変わった人がたくさんいましたが、それはきっと、過去の体験に遡って、その際の未消化の感情を(少なくとも一旦は)終わらせることができたからなのかもしれません。

自分の過去はApple Storeでの体験のような個々の体験の後味で決まっていると思うのですが、それらの体験が中途半端にモヤモヤした感情のまま終わっている場合、過去全体がモヤモヤしたものになっていたりします。

この、モヤモヤした感情のまま終わっている体験を、『未完了の体験』とでも呼ぶことにします。

後から文句を言いたくなる、みたいな体験を繰り返していると、その人の過去は鬱憤の蓄積になります。

悲しかったのに悲しくなかったフリをしていれば、その過去は執着に変わるでしょう。感情的に気が済んでいないので、諦められないからです。

未完了の体験を完了する

ではどうすればいいかというと、ぼくの提案は、「未完了の体験を再体験し一旦完了させる」という方法です。

例えば親を無意識にずっと憎んでいた人が、過去の体験を一つ一つ思い出しながら、その時の感情を思い出してみる。

「親が憎い」というのは、過去を総じて代表的に思いついた「怒り」という単一の感情による意味づけであると言い換えられると思うのですが、その過去と意味づけは、個々の体験に細分化されることで、ゲシュタルト崩壊を起こしていく。

さらにその個々の体験について、想像であっても思いっきり怒ってみたり、思う存分悲しんだりしてみることによって、なんにせよ未完了の体験の完了が行われる。

そしてそれらの体験の後味は、ただ体験の意味づけを脳内で反芻して何度もイライラする時とは異なり、ある程度はスッキリとしたものになるのではないかと思うのです。

もし今現在、消化できていない過去があるとしたら、その過去を完了するための方法として取れることの一つに、ぼくはその体験に関する感情を一旦終わらせる。というアプローチがあると考えています。

過去の体験の意味を最終感情が決めているのだとしたら、なんとなくモヤモヤしたままの過去は、モヤモヤしたままにしている感情が決めているからです。だから一旦感情的に吐き出してみることで、良くも悪くもその体験を終わりにする。という感じです。

もし仮に出てきたものがドス黒いものであっても、それらを見ていく過程で自分の感情に受容的になることができれば、過去の体験の完了だけでなく、今後の未来を選択する際にも自分の感情を活用することができます。

「こういう体験はもうしたくない。こういう体験をもっとしたい。」というのは、理屈ではなく結局は自分の感情が決めることだからです。



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