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『鎌倉殿の13人』第20回「帰ってきた義経」(2022年5月22日放送 NHK BSP 18:00-18:45 総合20:00-20:45)

文治3(1187)年、奥州平泉に落ち延びてきた義経(菅田将暉)。山伏の格好に変装しての登場で、多くの視聴者は「安宅の関」を想起したことだろう。直接描かれずともすべてわかるというのが素晴らしい。ところで藤原秀衡(田中泯)は「天下(てんが)を目指すにはこの奥州はあまりに重かった」と言っているが、この当時「天下(てんが)」という概念はもう成立していた? ちょっと気になるセリフ。藤原氏は奥州に「極楽浄土」を作ることが目的だったのでは?

義経が平泉に戻ったという情報が鎌倉にもたらされると、頼朝(大泉洋)はこの最大の脅威を除かんとせざるをえない。義時(小栗旬)はあれほど平泉には行くなと申したのにと怒る。

藤原秀衡はその死の床で、嫡男の泰衡(山本浩司)を新たな御館として指名。国衡(平山祐介)と泰衡との関係を強化するために、秀衡の妻を国衡に再嫁させるという奇策まで駆使、大将軍にした義経を擁して一致団結することを求めた。

文治5年(1189)年閏4月、義時は平泉に弔問の使者として自らを派遣するよう頼朝に求める。九郎を連れて必ず戻ってくるという義時に、頼朝は「生かして連れて帰るな。ただし決して直に手を下してはならん。我らが攻め入る大義名分を作るのだ。勝手に九郎を討ったことを理由に平泉を滅ぼす。この日のもとから鎌倉の敵を一掃する」というのであった。その義時のお供には、梶原景時(中村獅童)から命じられたという善児(梶原善)が……。

平泉に到着した義時に対して、義経を引き渡すわけにはいかないという泰衡。畑仕事に精を出す義経は、「私はもう戦をするつもりはない。しかし、平泉には手を出すな」と義時に対して言う。「殺っちまいましょうか」という善児に義時は「余計なことをするな」とストップをかける。

義時は、義経に静御前(石橋静河)の最期の様子を伝える。時政(坂東彌十郎)によって落ち延びる途中を捉えられた静は鎌倉で尋問を受ける。最初は自分の名を明かさないが、最後には自ら「静御前」と名乗り、証拠として舞を舞ってみせるという。お腹のなかの子どもが男であれば「由比ヶ浜に沈めよ」という頼朝の命を承知の上での覚悟の舞。義時は、わざと下手に舞って静御前の名を騙ったことにせよと言うのであったが、「しづやしづ しずのおだまきくりかえし むかしをいまに なすよしもがな」と舞うのであった。

静御前の最期の様子を義経に告げたのは、実は義時の陰謀。義経は鎌倉への怒りをたぎらせて国衡と組んで挙兵するつもりであることを泰衡に告げ、泰衡に義経を討つように仕向けるのであった。泰衡軍が迫る中、義経と里との切ないシーン、義時との対話シーンは見事。弁慶の最期もあえて描かずの演出も良かった。

鎌倉に届けられた義経の首桶に泣きすがる頼朝。奥州藤原氏滅亡の時が迫ってきていた……。

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