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『鎌倉殿の13人』第16回「伝説の幕開け」(2022年4月24日放送 NHK BSP 18:00-18:45 総合20:00-20:45)

義時(小栗旬)と八重(新垣結衣)の間に生まれた子ども(のちの泰時)に「金剛」と命名する頼朝(大泉洋)。上総広常(佐藤浩市)粛清を機に伊豆から戻ってきた時政(坂東彌十郎)。時政は義時に「源氏に付き従っていくしか北条が生き延びる道はない」という。

政子(小池栄子)はこれからは自分が御家人と鎌倉殿を結ぶ役(駆け込みどころ)を担うべきだと覚ったと義母のりく(宮沢りえ)に話すが、りくは「これからは内より外に目を向けなさい」という。

義仲(青木崇高)の策略で後白河法皇(西田敏行)が頼朝追討の院宣を出したことに怒った頼朝は、すでに義仲討伐に向かった義経を助けるべく御家人たちに援軍を命じる。総大将に範頼(迫田孝也)、軍奉行(いくさぶぎょう)に梶原景時(中村獅童)を任命。頼朝自身は北の藤原秀衡に備え、鎌倉に留まる。義時も八重にも別れを告げて御家人たちと一緒に西へ。

寿永三年、範頼軍が墨俣の義経軍と合流。景時といがみ合う和田義盛(横田英司)、土肥実平(阿南健治)を宥める役目を負っているのが義時。それにしても範頼は出来た人である。

義仲は「ともに平家を討とう」と、範頼・義経軍に使者を遣わして合戦を避けようとするのだが、義経は一顧だにしないどころか、使者の首を刎ねて義仲を挑発する。軍略の天才・義経は自らの軍勢の数を偽わる計略を仕掛ける。義仲は相手に小細工ありと攻め手を分けるところまでは予想するが、この情報戦には引っ掛かり、京を放棄することを決断。しかし、後白河法皇は身を隠し、義仲は万事休す。

宇治川を突破して京へ入る義経の軍勢。「しばらくは休め」という後白河に対して義経はこれから義仲の首を取り、その足で平家を討伐するという。それに上機嫌の後白河であった。

北陸へ落ち延びようとする義仲は近江を通過する途中、待ち構えていた範頼軍に討たれる。あっけない最期であった。義高に文を届けよとの命を受けた巴(秋元才加)も和田義盛に捕らえられてしまう。

自らの武功などを書状にしたためて鎌倉に送る御家人たち。なかなか面白いシーン。実際にこんな感じでアピールしたのかどうかはわからないが、鎌倉武士の主従関係がこうしたシーンでさりげなく描かれているのはこれまでの大河とは違うと思う。景時の書状は褒められるのだが、しかし、ここでも義経が一歩先んじていたのであった。

さて今回の見所。一ノ谷の合戦の軍議。天才・義経と普通の人・景時が対峙する緊張感が見事に伝わってくる。さらに義経は後白河を使った謀略戦も仕掛ける。景時を一枚も二枚も上回る義経であるのだが、後白河に好かれて覚えめでたくなることは諸刃の剣でもあった。

三草山から福原の平家軍をうかがう義経軍。奇襲をかける場所を比較的なだらかな鵯越を提案する景時。それに対してより急峻な鉢伏山からの奇襲をいう義経。ただ義経は馬を先に行かせてあとで人が行くという。景時もこの考えには「何故あの男だけが思いつくのか」と言わざるを得ない。三谷脚本では畠山重忠(中川大志)に「いざとなったら馬を背負って下りてみせる」とのセリフをはかせ、のちの重忠伝説の解釈(?)がさらりと盛り込まれていた。

鉢伏山の断崖に落ちていた鹿のクソを見て、馬も降りられると判断する義経のエピソードからの一ノ谷の合戦シーン。「鵯越の逆落とし」は、三谷脚本では義経が鉢伏山から 一ノ谷を攻めるシーンとして描いたということになる。しかし、NHK BSP 番組「決戦! 源平の戦い」では多田行綱が提案し、鵯越(福原の山の手口)から福原を攻めた説を取っている(ただし、義経は搦め手の総大将として多田の提案を採用し、実行させたと考えている)。いずれにせよ「伝説の幕開け」という今回のタイトルに相応しいラスト・シーンであった。


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