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Day-15 今井むつみ著「学びとは何か」からの学び#7

おはようございます。
学びを楽しむ探究人・masamuneです。

先週から、今井むつみ著「学びとは何かー〈探究人〉になるために」を読みながら、「学び」について考察しています。

今日は以下の内容について考えていきたいと思います。

「科学的思考」とは

この本を読んで、ハッとさせられることがたくさんあります。
知識=事実という思い込みもそうだし、科学とは?科学を学習する目的は?という問いを立てたことが今までなかった。
この1週間学びを深めていくことで、当たり前だった日常が、理想的な方向へ進んでいる感覚があります。

さて、科学を学習する目的とは。
私たちはどうやら、「事実を覚える」ことが学習することだと誤った思い込みをしてるのでは。しかも、かなり根深く変えがたいところまで悪化していることに本著を読んで気付かされました。

科学は進歩する

40代以上の人は、一度は聞いたことのあるフレーズだと思います。
僕は、科学とは何か、と真剣に考えたことは正直ありませんでした。
ただ、進歩するものなのだから、それに追随して学び続けるのは大変だなぁ、それは自分のやりたい事には(見かけ上)関係がないこと、と一線を引いてきた気がします。

これって、何がそうさせたのか?と考えた時に、学校教育が全く悪い、とも言い切れないとは思います。
なぜなら、周りのみんなが、学校は教えてもらう場所、覚えた事実をいかに思い出せるか、ということに何ら疑問を持たない環境がそうさせる一要因だと思うからです。

社会人になって痛感するのは、
世の中って、会社のルール、社会のルール、法律といったルールの中で規定されていないことに、多くの人が無関心あるいは敬遠する、という理解しがたい環境が蔓延っていること。

ルールの中で評価される環境というのは、そこから外れる環境での行動は評価されないということ。早くからそういう仕組みに気づいている出世する人というのは、この暗黙のルールの中で機転を効かし、忖度し、自分のポジションを獲得し続ける、という労力をいとわない。

僕も若い頃はそうだったと思う。全く非難はできない。しかし、これっておかしくない?ってだいぶ早い時期に気づけた自分を誉めたいと思う。
だって、疑問を持ちながら見て見ないふりをするのって、知りたい、聞きたい、考えたい、というごく自然な衝動を置き去りにして生きていくことで、これを後輩や子供たちに当たり前だとは言いたくはないから。
人は傷付かずに成長はできないと思っています。だから、いろんな失敗や痛い目に遭うことは、誰もができない良き経験だと自分に言い聞かせています。
本質を知ることや、そのための良き問いを立てるために、学びを深めていきたいと思います。

科学を行うこと

学校の理科や物理では、実験をし、データをとり、分析をする。
これは、「科学を行う」ための一要素。

科学的思考ができるようになるためには

理論の検討の仕方
仮説の立て方
仮説の検討のための実験のデザインの仕方
データの解釈の仕方
結論の導き出し方

こういった論理を組み立てるスキルが必要になると著者はいいます。

皆さん、このことってどこかで習いましたか?
僕はこのようなことを初めて知りました。
もっと若いうちに、学生の頃に知っていれば、僕の学びに対する姿勢は全く違っていただろうな、と悔しい気持ちに襲われました。

最近では、『論理的思考』というのが、社会人の研修などでも頻出しています。
論理立てて考えることをできるようになるためには、訓練が必要だと感じています。
そして、僕のような人にわかりやすく導入するためのノウハウも必要な気もしています。

そんなもの、どこかに転がっているのでしょうか?とても気になってきて、ウズウズしてきました!

明日は、批判的思想について考えていきたいと思います。
今日もお付き合いいただき、ありがとうございました。

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