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「自分がされて嫌なことをするな」は通用するのか

はじめに

おはようございます。
むぎです。

「自分がされて嫌なことはするな」
幼少期に親や学校の先生からよく言われた言葉です。
私も当時はそれを疑おうとはしませんでした。
しかし年齢を重ねるごとにある違和感が芽生え始めました。

今日はこの言葉について
今の時点での私の考えをまとめてみます。

「自分がされて嫌なことはするな」に感じた違和感

「自分がされて嫌なことはするな」というこの言葉、
これって自分と他人が同じ価値観だという
前提で成り立っていると思いませんか?

実際に、
私はされてもなんとも思わないことが
他人を傷つけてしまったり。
周りが当たり前のようにしていることが
私にとってはどうしても耐えられなかったり。
なんてことがよくありました。

どうして個々人の感情を同じ枠組みの中で
片付けようとするのか。

このような違和感が年を追うごとに
大きくなっていきました。

そして、このような考えが大きくなった結果、
「〇〇はこうあるべき」
というある意味自分の思考の押し付け
となる私が最も嫌いな思想が
根付いてしまうのかなとも思いました。

私はこう考えている、だからあなたの考えは間違っている。

そんなわけあるかいなって話ですよね。

では、どういう考え方をすればいいのか。
答えがないなりに考えてみました。

私はこう考える

まず大前提、
みんなが満場一致で喜ぶ、悲しむ
結論はありえないと思います。

その前提のもと、
自分の考えは持ちつつ
まずは目の前の人の考えを尊重する

「私はこう思う。
でもあなたはそう考えているんだね。」

これだけでよくないですか?

なんでわざわざ
「あなたは間違っている」という
否定が生まれるのかがよくわからない。

多様性をわざわざ潰して
白か黒かという枠に収めようとするのではなく、
どうやったらちょうどいいグレーになるのかな。
とお互いが100%まではいかずとも
ある程度納得できる結論を一緒に考える力を
身につけることができたら
いいんじゃないかなと思っています。

おわりに

今回は嫌なことにフォーカスしてきましたが、
自分が嬉しいこともまた、
全員にとって喜ばしいとは限らない。
難しいですよね。

以前正義について書いた記事でも
同じようなこと書いてたなと
書き終わってから気づきました笑

それだけ自分の中でも軸になっている考えなんだなと思いましたね☺️

白黒をつけようとするということは、
最後には白か黒かしか残らない。

でも、お互いにちょうどいいところを
見つけようとすることで、
グレーが生まれる。
白黒に限らず、各々の色が混ざり合って
新たな色が生まれていく。

そんなカラフルな世界の方が楽しくないですか?

声の大きな誰かの色だけで染まった
モノトーンの世界なんて
まっぴらごめんですね。

今回も最後までご覧いただき
ありがとうございました。
また次回の記事でお会いしましょう。

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