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「知っている」のか「理解している」のか

はじめに

むぎの部屋へようこそ。
ここでは私自身の過去、
日々の生活から得た学びを
お届けしています。
何か一つでも
持って帰ってもらえたら嬉しいです。

あなたは
「知っている」
ってどんな状態だと思いますか?

「〇〇って知っている?」
と聞かれてとりあえず
「知っている」
と答えていた自分。

ちょっと待てよ、
本当に「知っている」のか?

今日はそんな違和感から
たどり着いた考えについて
いろいろ書いてみます。

「知っている」と「理解している」は全然違う

あることについて
「知っているか」
と言われれば
確かに「知っている」
でも胸を張って
「知っています!」
と言えないのはなぜだったのか。

それは
「理解していない」
からだったのかもしれない。

あくまでも事実としては
「知っている」
しかし説明してと言われるとできない。

これを「知っている」と
言っていいのだろうか。

私が違和感を感じていたのはここでした。

日々多くの情報に触れる中で、
記憶の片隅に残った大まかな情報。

これを「知っている」というのであれば
かなり多くを知っているとも言えるでしょう。

しかしいざその内容について
深掘りしようとした時には何も出てこない。

その状態で「知っている」
というのはあまりにも恐怖でした。

私の中での
「知っている」
というのは
「理解している」
と等しい状態だったのです。

「知った気」になっていることを「知っている」へ

こうやって自己理解をすると、
「知っているつもり」だけど
「知らない」ことって
思った以上にたくさんあることに
気がつきました。

自分がいかに雑に情報を吸収していたのか。
「知ったかぶり」とも言えますよね。

その反省をした上で、
こうして「言語化」して
アウトプットする場って
大切だなと感じています。

自分の感情一つとっても、
言語化できない以上
それ以上の自己理解をすることは
不可能でしょう。

とすれば、
「理解している」
というのは
「言語化」ができる状態
ということもできるでしょう。

「言語化」できないことは
「理解できていない」
つまり
「知らない」
と言えるのではないでしょうか。

この前提を踏まえると、
言語化できない内容に対しての
「〇〇って知っている?」
という質問に対しては
「聞いたことはある」
というのがちょうどいい回答になるのかなと思っています。

こうすると
あくまでもそういう事実があることは
「知っている」

という程度のニュアンスになり、
相手がもその程度の理解度という前提で
話を進めてくれるはずです。

とりあえず「知っている」と
答えていたアホな私。
これで少しは楽になれるかもしれませんね。

そして、「聞いたことはある」
という状態を脱するために
言語化し理解する。
この作業を繰り返していって初めて
「多くを知っている」
といえるのではないでしょうか。

おわりに

なぜ私が
「知っている?」
と聞かれて反射的に
「知っている」
と答えてしまっていたのか。

それは
「全く知らないわけではない」
というわけでもないから
消去法的に
「知っている」
と答えていたのかなと思います。

しかし相手の思う「知っている」というのは
おそらく「理解している」状態。
その前提のもとで「知っている」と
答えてしまったら最後。
だんだんついていけなくなります。

「知っている?」
と聞かれて
「聞いたことはあります」
と答えるのに違和感がないわけでも
ありませんが、
現時点ではこれが一番お互いの
理解度を擦り合わせるには
ベストな回答だと勝手に思っています。

変に「知ったつもり」で進めるより
よっぽどマシだと思います。

今回、自分が思った以上に「知らない」
という事実を認識できただけでも
大きな学びになりました。

もっと多くを「知る」ため、
これからも学びを続けていきたいものです。

最後までご覧いただき
ありがとうございました。
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持って帰ってくださいね。

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