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普通ってなんなんだろう。

はじめに

おはようございます。
むぎです。

「この状況ではこうするのが普通」

「〇〇なんて常識」

どれも「普通」だとか「常識」というものをわかっていない人に
対して使われる言葉ですよね。

今までなんとなく、そういうもんなんだとしか思わずそれに合わせてきていた
方も少なくはないのでしょうか。
私も昔はそうだったなと思います。

そんなことで、
今日は「普通」や「常識」に対しての最近の考えを書いて見たいと思います。

「普通」や「常識」という定義は誰が決めた

冒頭で触れた

「普通〇〇でしょ」

「〇〇なんて常識」

といった言葉を言われた時、ここ最近の私はなんと思うか

「いや、知らねーよ」

これだけなんですよね。

知らないものは知らないし、その「常識」とやらは、
誰か知らない人がいる時点である意味「常識」とは言えないのでは、
と思ったりします。

「常識知らず」という言葉がありますが、
これってそういう意味では成立のしようがないですよね。

にもかかわらず、やたらとこの「常識」とやらに
目を光らせてる暇な輩も多い気がします。

では、そもそも「常識」とはなんなのだろう。

なんとなく私の中では、「慣習」が次第に
「常識」になっていっているんじゃないかなと思います。
詳しくは調べていませんので、もし違ったらご指摘ください。

でも要は明文化された「ルール」ではないんですよね。

では、「法律」という絶対的かつ客観的なルールが存在している国に
なぜ「常識」が存在するのだろう。

そうするのが楽だから、あるいは誰かにとって都合がいいから
成り行きでそうなってしまった。
そしてそれが長年の時を経て暗黙のルールとして定着してしまった。

てところですかね。

とすれば、別にこれって守る義務はないんですよね。
ただ、それに乗っかっていた方が無難だからそうする。

こういう「常識」を盾に攻撃をしてくる人をこれまで何人も見て来ましたが、
今の理屈で言うと、
脳死で誰が決めたのかもわからない暗黙のルールに従う奴隷
にしか見えないんですよね。

この考えを持ってから、「それが普通」だとか「常識的に〜」という
言葉に敏感になり、

本当にそれでいいのか?
必要なのか?

と疑問を持つようになりました。

実際、昔は常識だったけど今となってはそれは非常識扱いとなり、
今は今で新しい常識が根付いていることもありますよね。

ましてや、国境一つ跨げば全く別の常識がそこにはある。
自分の常識が全く通用しないことだってある。

私たちの周りにある「常識」なんてその程度のものなんです。

「マナー」
なんて言葉も似たような形で脳死人間達に
使い古されてきている言葉ですよね。

ビジネスマナーというのは一応社会人として一通り把握はしていますが、
これなんか正直必要か?
と思う場面が多々ありますよね。

ビジネスメールの冒頭、終わりの定型文。

長い。さっさと要件を書け。

上座だとか下座。

どこでもいいだろ、座れればいい。

履歴書は手書きじゃないと思いが伝わらない。

紙でも電子でも書いている「内容」は一緒だろ。

これらってやらなくて誰にも迷惑はかからないんですよね。
困るのはそういった思想に毒されて世間体を気にするお偉いさんたちだけ。

むしろこういったマナーは生産性の観点でいえば害悪でしかないことの方が多い。

もっとも、上座下座についてはきちんとした
理屈があったりなかったりするので、それについては多少理解はできますが。

こうやって何も考えず
それが常識だから
という一言で片付けられてしまうことになぜ疑問を抱かないのか。

少し注意してみれば世の中には当たり前になっている中にも
疑問に感じるようなものはいくつもあります。

そして、世の中を大きく変える人たちはまさにそれを感じ取り、
自分たちで変えようとしてきている。

これは、世の中では
「非常識」
と言われる人たちです。

世の中を変えるのは「非常識」

世の中を大きく変えた起業家たちは、
どこか少しおかしい
と言われることが多いように思います。

最近ではイーロンマスクさんなんてまさにその代表格ですよね。

テスラは間違いなく自動車の今後のあり方を再定義しましたし、
それ以前のPayPalも世の中の決済サービスを大きく前進させました。

一般的には「非常識」と言われるような人たちが実際世の中を動かしているのは疑いようがありません。

私たちが今当たり前に使っているスマートフォンも、
スティーブ・ジョブズがiPhoneを世に送り出すことで革命が始まりました。

「新しい常識を作る」
ことができる起業家たちには
頭が上がりません。
心から尊敬しています。

これからもこういった「非常識」な人たちの
アイデアによって、
私たちの常識は塗り替えられて
いくんでしょうね。

おわりに

世の中を変えるのは「非常識」
ともすれば、「常識」だけに
囚われているうちは
何も変わらないんですよね。

変化を嫌う人たちは
それでいいというかもしれない。

それでも、あなたの周りで
常に世界は変わり続けている。

そうなった時にはそれまで「
常識人」と言われていたあなたが
むしろ「非常識」と言われることに
なるかもしれない。

だとすれば、それは悪い「非常識」とも言えるかもしれませんね。

いい意味での「非常識」になるには、
常に目の前のことに対し真剣に向き合い、
当たり前を当たり前で終わらせないために
常に疑問を投げかけることが
必要なんじゃないかなと思います。

今回も最後までご覧いただきありがとうございました。
また次回の記事でお会いしましょう。

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