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すり鉢状の街の町内会長

両石町という、小さい街をポスティングしにいった。
ここには、3年間不義理をしている人がいる。

復興アパートからチラシを入れ始め、
一戸建ての家々を回る。

この街の住宅のほぼすべて、新しい建物だ。
震災前からあるお家は、4,5軒しかない。

すり鉢状の街並みだった。
高い高い防潮堤に守られていた。
しかし津波は、その高い高い防潮堤を乗り越え、
すり鉢状の街に入ってきては出ていき、
入ってきては出ていき、を繰り返し、
290あった世帯のうち、240世帯が全壊した。

復興のために、かつてよりさらに高い防潮堤が築かれ、
20メートルも盛土をして、その上に住宅を建てた。

だから、ほぼすべて新しい家。
復興アパート、復興住宅はどれも同じ型をしている。
復興住宅は玄関が引き戸、玄関までスロープがつけられている。

そのほかの家は、どれもかっこいいデザインだ。
庭もついていて、BBQをしている家族もいる。
これまでポスティングして歩いてきた釜石の街とはまったく違う、
ゆとりのあるまちづくりになっている。

3年間不義理をしている瀬戸元さんのお家は、
街の一番はしっこ、一番高台にある。
震災のあと、2012年に取材にいったときと同じ場所にあるだろう、
ということは、三陸鉄道の車内から確認していた。

で、瀬戸さんのお家を目指し、
急な坂道を登っていった。
急すぎて笑っちゃうぐらい、険しい坂道だ。

かつてのままの数軒、空き家になったものもあり、
表札で確かめながら、どこだったか、瀬戸さんの家を探していた。
坂道は覚えているが、お家は覚えていないから。
釜石に移住してきて3年もなるのに、
一度も挨拶にいっていない。
取材でお話を聞かせていただいた、
世話になったのに義理を欠いた自分を責めながら、
たぶん最後の一軒にたどり着いた。

その最後の一軒には、お盆の提灯が吊るされていた。
まさか……。
お盆の提灯が……、ということは……。

しかも、表札がない。

声をかけてみた。
「こんにちは」
「はい」
女性が応答してくれた。
玄関の網戸は閉じたまま。警戒されている。
「このあたりに、瀬戸さんのお家はありませんか?」
「どちらの瀬戸さんでしょう?」
「町内会長をなさっていた瀬戸さんです」
「……それならうちですよ」

ああよかった。
じゃない。お盆の提灯問題がまだある。
「わたし、小学館という出版社でライターをしていました村田信之です」
「……はあ」
「取材させていただきました」
「……はあ」
「雑誌も送りました」
「……はあ」

覚えられてない。
そんなときは、テッパンネタ。
「蓮舫、って国会議員知ってますか?」
「蓮舫さん? ええ、知ってますよ」
「わたし、その夫をしていました」
「蓮舫さんの? 村田さん? あ〜〜〜〜〜〜!」
ようやく、玄関の網戸を開けてくれた。

ああよかった。
じゃない。まだお盆の提灯問題がある。
「あの〜……」
「いまいますから、ちょっと待ってて」
「(え!)」

家の奥から瀬戸さんがでてきた。
10年前のまま、向田邦子作のテレビドラマ『寺内貫太郎一家』の寺内貫太郎みたいな風ぼう。
ああよかった。

10分ほどしゃべって、不義理を謝って、
瀬戸さんのお家をあとにした。

サラサラとこぬか雨が降っていたが、とってもいい気分だった。
三陸鉄道の両石駅にいって、
釜石行きの汽車を待ってる間も心が軽かった。