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保護者説得の高いハードルとファインプレー (釜石までの道〜2011年から2020年まで④)

2011年の夏、被災したばかりの釜石で中学生がラグビー合宿をやる。
その実現のために、釜石と東京で準備をしていた。

キリスト教の学校ですよね?

東京で保護者を開くことになって、
その直前のこと。
釜石のはまちゃん(浜登寿雄さん)から電話がかかってきた。

「青山学院はキリスト教の学校ですよね?」
わたしは答える。
「そうです」
はまちゃん。
「よく知らねえですけど、カトリックですかプロテスタントですか?」
わたし。
「プロテスタント」
はまちゃん。
「したら、街の真ん中に教会があって、
そこにお祈りに行く、っていうのはどうですか?」

どうもこうもない!
ナイスなアイディアだ。

中学生が体験学習を兼ねてボランティアにいく。
それは、釜石の人たちの役に立つ。
ラグビー大会で盛り上げる。
それは、釜石の人たちを元気づける。

そこまではいい。
だけどそれを、青山学院中等部が釜石にまでいってやるという意義はどこにある?
という問いでわたしは立ち止まっていた。

被災した街の教会で、礼拝を守る。

思いつきで邪(よこしま)な行為かもしれないけれども、
心を込めて礼拝すれば、それは立派な信仰になる(と思う)。

釜石新生教会との縁

ということで、はまちゃんに釜石の街の真ん中にある釜石新生教会に足を運んでもらい、
牧師先生の柳谷雄介さんに説明をして、
柳谷さんから快諾を得た。

その結果を胸にいだいて、わたしは保護者会にでて、
釜石合宿のメリットデメリットをあげ(前回参照)、
放射線濃度が高い、という誤解を解き(前回参照)、
じゃあいいかな、と保護者からの同意を得られそうになったときに、
「大事なのは」
と前置きをして、
「被災した教会にいって礼拝を守ることじゃないでしょうか」
と。

はまちゃんのファインプレーだった。

そして6月、打ち合わせのために釜石にいって、
柳谷牧師先生とお目にかかった。
天井まで津波が入ってきたこと、
水が引いたあと、めちゃくちゃになったなかでも、
グランドピアノが仰向けになって残されていたこと、
それを信者のみなさんの力を合わせて、元にもとどしたこと、
きれいに掃除をしたこと、などなどをうかがった。

柳谷牧師先生、いい人だった。

2020年にわたしは釜石に移住するとは、このときは思いもしなかったが、
この教会の近くに住むことになるとは、もっと思いもしなかった。


打ち合わせのために初めて宝来館を訪れる