凧上げ大会

昨日は凧上げ大会だった。
長崎市にある高校の在京同窓会が集まって、
多摩川の河川敷で凧上げをする。

はたあげ、と読む。
たこあげ、じゃない。
長崎でも、長崎市だけじゃないかな、はたあげは。
佐世保市は「たこあげ」だった。
だから「凧上げ」と書いてみせて、を
「はたあげ」と読めば長崎市出身。
「たこあげ」と読めばそのほか。

昭和35年から始まったらしい。
東京での長崎凧上げ。
毎年、4月29日。
天皇誕生日、みどりの日、昭和の日。
長崎から東京の大学に進学してきた、
わりと恵まれた学生たちが中心だったんだろう。
中卒高卒での都会への就職は、大阪が主流で、
東京はぽつりぽつりだった。

戦争が終わって15年、
まだ悲しみや苦しみやダメージから抜けきれてないだろう。
15年って、「つい先だって」のことでしかない。
一方、朝鮮戦争で景気が良くなって、
どん底から抜け出して5年。

そして、日米安全保障条約改定と
それに対する安保闘争があった年。
大学生や左翼の若い人たちを中心に、
大暴れして、死人も出た。

総理大臣は岸信介。
安倍晋三の祖父。

このあと、池田勇人の「所得倍増」政策になり、
東京オリンピック・パラリンピックがあり、
万国博覧会があり、
日本の経済、人々の暮らしは、
凧が飛んでいるように右肩上がり。
昨日より今日、今日より明日のほうが
確実に豊かである時代。
心や生活の闇は、ごまかされやすかった。

世の中の勢いが、悲しみ苦しみを
他人ごととしてふっとばしていった。

かつて長崎の凧上げは、ケンカ凧だった。
凧紐にビードロ、ガラスの粉が塗り込められていて、
上がっている凧の紐と凧の紐を交錯させ、
紐を一気に引いたり、さっと伸ばしたりして
互いの凧紐を切り争った。

紐を切られた凧はどこかへ飛んでいって、
手元から失われてしまう。

凧は飛んでいってしまった。

新しいはたをつくって上げなおそう。