書き手、受け手のあり方は表裏一体

今日も定例の自然医学の講座の日。毎回個人的な気づきのシェアで恐縮ですが、今日もカウンセリングの実習で腑に落ちたことがあったので書いてみます。カウンセリングの実習の講義の時は、クライアントの役、カウンセリングの役、両方やるのですが、自分がクライアント役の時は何か不調や悩みなどのテーマをあげて話すことになっています。今回私が話したのは、ここ数日話題にしていた、「SNS離れ」したくなる時の心境権力者よりも自分を信じようの記事に関連する、他人に影響を受けすぎて自分を見失いがちになることについてでした。

今まで散々お伝えしているように、すべての答えは自分の中にあるのですが、それに気づけずにいることでもやもやしていることが多いんですね。そういう意味でも適切なカウンセリングを受けることで、自分の考えや何に問題を感じていたかが整理されるので、誰かに話すというのは本当に有効だなといつも実感します。今回も私の今の思い(2記事に書いたようなこと)を話してみたのですが、話しているうちに、問題の核心と思うことにぶちあたりました。今までは情報の受け手側としてのあり方ばかりにフォーカスしていましたが、結局これって書き手としてのあり方にも同じようにきいてくる話だということなんです。

権力者~の記事にも書いたとおり、尊敬する人々の本を読んだり、そういった方の話に影響を受けることについては、特に問題だとは思わないし、むしろそうやって自分の考えというのが形作られるわけだから、これからも続けていこうと思っています。ただ、今は自分が影響を受けすぎていることが問題のように感じているのであって、その程よい加減を調整している最中なのだということ。あんまり自分の考えに固執して凝り固まって、頑固でかたくななのも良くないと感じるので、ほどほどに他人の意見も取り入れつつ、柔軟にバランスよく生きられればいいなと思うわけです。一度両極に振りきれてみて、ちょうど良いところを探っていくような感じ。言ってみれば今は影響を受けやすい側に振りきれている時期、ということですね。

もう一つ気づいたのが、書き手と受け手としてのあり方は表裏一体であるということ。あらゆる他人の動向、考えなどに対する受け止め方と、自分が表現する書き手である時のあり方というのは実に同じで、他人の動向や考えに影響を受けすぎて自分軸を失っているときは、言葉や主張に力がなかったり、言いたいことを言いきれなかったりすることが多いと感じます。Facebook見てもブレないし、大物の意見にも適度な距離感で向き合えるときは、自分の言いたいことにも自信を持って言えるし書けるということ。自分の言いたいことをしっかり伝えるためにも、他人の動向や意見に対してどう向き合うか、とらえるかというあり方に意識を向けることはとても大切だと感じました。

他人の影響を受けすぎてしまうことも問題ではあったのですが、やはりその先にある書き手としてのあり方にも影響を与えてしまうということが、書いていくことを今後もやっていきたいと考えている私にとっては重要だったということですね。自分軸をしっかりとしたものにするためにも、私が日ごろ取り組んでいる瞑想やヒーリングなどのワークは有効ですし、自分の内側と常につながっていることは大切だなと改めて思いました。どんなに外野が騒ごうが、真実は自分の中にしかないですし、常にそこを見つめていく他にはないんですよね。本質的なことって実にシンプルで、小手先のテクニックとか分析とかロジックとかそういうものとは外れたところにあるものです。

今日書いたこともすべて、私がカウンセリングの時に一人でべらべらしゃべっていたことであり、全部自分の中にあったことです。カウンセラー役の方は適切な態度で傾聴していらっしゃっただけ。全部本当は自分でわかっているもので、カウンセリングはそれをちょっと引き出すだけなんです。カウンセリングの癒しのパワーを感じられ、そして新たな気づきを得ることができて、また少し自分の軸が固まってきた一日でした。

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