他人に媚びることは実は見下すことなんじゃないか

ここ数日仲の良い古くからの友人とのLINEのやりとりで話題になっていたのが、「他人に媚びるのはもうやめよう」という話。その友人はファッションが好きで以前は本当に好きな服や着たい服を着ていたのに、今や異性受けを狙うような、ある意味媚びるような服の選び方をしていたのではないかと言っていて、でもそれではやはりつまらないし、(自分的に)違うということに気づいたそうです。私もその気持ちわかるなぁと共感できるところがありました。

文章を書いたり、作品を創ったりしている人は特にだと思いますが、どのくらい他人受けを狙い、どのくらいありのままの自分を出すか、というところでの葛藤は必ず一度は通る道だと思います。私も以前似たような記事を書いたことがありました。自分の話で言うと、このnoteのPV数は一時期よりも低迷してきています。働き方や雇用系の話、残業の話、公務員や大企業の話などは関心を持つ人も多いのか、それなりに読まれていたように思います。2月の資本主義と共同創造をテーマにしていたときにPVが下がったような感覚があります。私としては資本主義と共同創造というのはこれからを生きる上で絶対にはずせない根幹部分のテーマだったので、書いていて楽しかったですし、わかる人にはわかって頂けるだろう面白い内容もあったと自分では思うので満足していました。

PVや人気だけを考えれば、働き方や社畜の話や公務員の話を書いていくのが無難なのかもしれませんが、「こんなのが受けるだろう」と思って書くのって、ある意味読者の方を舐めているというか、上から見てないか?とちょっと思ったんですよね。他人に受けそうだからとかPVが集まりそうだから、といった理由で何かを書く、というのは自分にはやっぱり難しいですし、できないことです。頭で「受け」を狙っても、その通りになるかどうかはまた別ですしね。あくまで「こういうものが受けるだろう」という私の世界の中だけの仮定をベースに頭で計算しても、うまくいかないんでしょうね。

こんな時、思い出すのは自分が欲しいものをとことん創造するという記事。今とまったく同じことを書いてます(笑)。自分が書いて楽しいもの、自分が読んで面白いもの、こんなものがあればいいのにと思うもの、サービス、講座、しくみ、場所…今ないものは新しく創ればいい。「真の賢さ」とは「本質を見抜く力」という記事にも似たようなことを書きましたが、既存の枠組みの中でトップを目指す人よりも、新しい枠組みを創っていく人、というのが真の賢さを備えたリーダーになりうる存在だと思っています。ちょっと想像してみても、他人に受けることを考えたり、他人に媚びるようなことにエネルギーを注いでいるような人は、「真に賢いリーダー像」とは全く違います。それでも、今の資本主義社会では、他人受けや他人媚びがうまい人の方がもてはやされ、既存の枠組みに疑問を持つ人ほど生きづらく、変人扱いされるのが現状かと思います。

自分が欲しいものを創造するというのは、世の中全体を自分事ととらえている姿勢、とも言えると思います。こんなのがあったら○○に受けるだろう、と考えるのは、○○と自分との間に分離があるような感覚を受けます。商品開発でもサービス開発でもアプリ開発でもなんでもそうですが、自分がそれを欲しいと思うかとか、自分が利用したいかとか、自分の生活の一部になるかとか、そういった視点で考えることが一番大事なのではないかなと思います。他人受けや他人媚びというのは、自分が下手に出ているように見えて、実は他人を見下しているのではないかという気づきからここまで書かせて頂きました(笑)。私自身もPVに振り回されすぎず、自分の本心や正直な思いをこれからも綴っていきたいと思います。

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村上 ハルカ

1987年生まれ。2015年に突然市役所を退職。ホリスティックな健康をサポートする「Green Cosmo」サイト運営しています。資本主義の次は共同創造・個人の時代。FB友達申請お気軽に。サイトhttp://muraharu.com

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