情報は「マス」から「オーダーメイド」へ

やっぱり一人暮らしにテレビはいらなかったの記事にも書いたとおり、うちにはテレビがありません。テレビの闇、癒着、利権構造に気づき、人々を思考停止にする洗脳の箱だ、と思うようになったからです。今でもテレビの影響力はすさまじく、特に中高年以上の方のテレビ信仰、テレビ崇拝には、自分との認識の違いを感じざるを得ません。

よく、「テレビで●●(食べ物)が良いと言うと翌日スーパーで品薄になる」という話を聞きますよね。確かに身体に良い食べ物はたくさんあるし、知られざる魅力がテレビによって広まるのは良いこともあるかもしれません。しかし、こと健康のことに関しては、誰にとっても良い食べ物、誰にとっても良い健康法、食事法というのは存在しないと思いますし、本当に人それぞれ、個別対応が必要なものだと感じています。アレルギーや不耐症など、調べていないから知らないだけで、人それぞれ結構あるものです。あとは年齢によっても違うし、体質によっても違うし、エネルギーレベルによっても違うし、本当に本当に、人それぞれなんですよね。また、その健康法はもしかすると広告主の意向による作られた流行や世論操作かもしれません。例えば、砂糖の害はネット中心に広く知られるようになりましたが、テレビで砂糖はダメ、とは絶対に言いません。お菓子会社がスポンサーだからですよね。

勉強などについてもそうです。日本は基本的には横並び教育で、同じ地域に住んでいて同じ学年であれば同じ教室で同じことを学びます。しかし、それも人それぞれ得意不得意やもともとの能力、バックグラウンドなどが異なるわけですから、本来は個別対応が必要なことだと思います。得意な子の能力はもっと伸ばせばいいし、苦手な子にはわかるまで付き添う、寄り添うとか、そういうことができるしくみになっていると、もっと良いと思うのですよね。能力差がありすぎる環境だと、劣等感や優越感の温床にもなったりするし、子どもって特に残酷だから、いじめや仲間外れの対象になったりもします。横並び均一化教育こそ、不健全な精神を養う場になっている感すらあります。

大学の講義を思い出してみても、大教室、100人単位の講義なんて、みんな内職とか代返とかしてましたし、その授業への「コミットメント」がめちゃめちゃ低かった気がします。参加している意識や当事者意識が薄れるんですね。私の学部はゼミはありませんでしたが、ゼミ形式や少人数での意見交換といった授業形式の方が、やっている感もありますし、自分がそこに居場所があるような感じもして、楽しいと思うのですよね。先生や仲間とも深いつながりが生まれます。先生が厳しかったとしても、その学びの場における充実度は言うまでもないことだと思います。

情報(ここでは健康法とか学校で教わること、サービスを含めたあらゆる物体ではないもの)というのは、「マス(大衆)」向けではなく、「オーダーメイド(個人個人)」向けのものが、主流になっていくと思います。今後ニーズがどんどん高まるので、伸びていく分野だということです。「あなたの体質に合った」「あなたの能力に合わせて」みたいなことがキーワード。「マス(大衆)」というのは実体のないものです。言ってしまえば、個人の集合体なのですから。

個別対応が必要、ということになると、大企業、大組織は弱いです。今の大企業の最大公約数的なビジネスでは時代遅れになるのは目に見えています。大企業とマスコミから、少しずつ離れていくのです。これからは個人がどんどん力を持ち、活躍できる時代だと思います。そして、その個人同士の輪や縁というものが、大企業を圧倒する一大勢力になるはずです。これからのビジネスは「CtoC」が盛り上がると思います。消費者(個人)同士でその人その人に合わせた個別対応、知恵、価値を提供し合うということです。今起きている微妙な変化や動き、ありとあらゆることすべてが「共同創造」の社会へつながっていくのです。

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