公務員時代の「キャリアデザイン研修」は無意味でした

働くことを考えるとどうしても自分の経験上、公務員時代の話しか浮かばないのですが、当時ナニコレ?と思った研修に「キャリアデザイン研修」というものがありました。若手2~3年目向けの職員を集めて、先輩職員の話を聞こう、みたいなことだったと思います。研修する側も「やりました」という実績が欲しいだけで、内容なんてどうでも良いのだと思います。

スペシャリストかゼネラリストか、昇任試験を受けるタイミングをどうするか、など今から考えておきましょう。女性で係長になっても子育て両立できますよ、みたいな話だった気がするのですが(曖昧)、当時からこの研修無意味だな、と思っていましたね。まず、大きな組織のコマとして働く我々に人事権は一ミリもないわけで「こういう部署に行きたい!こういうスペシャリストになりたい!」と思ったところで、100%そうはいかないわけです。税のスペシャリストになるにはまず税務課に配属されないといけないわけですから。もちろん異動希望を書くことはできますが、そんなの見ちゃいない。行きたい部署の課長と知り合いでコネがきく、とかでなければ希望部署には行けませんよね。そもそも役所内に行きたい部署がなかったので、本末転倒なのですが(笑)。

新採用で緑地関係の部署に配属になり、自然と親しむ仕事や土地に関する仕事は楽しいなぁと思っていたので、もう少し土地のことを深く学びたいなと思って、宅建を取ったんですね。それで異動希望で宅建で熱意アピールし、土地関係の部署を希望したんですが、いざ内示、ふたをあけてみたら保健所です。ぜんっぜん関係ない(笑)。いったらいったで楽しい職場だったのですが、配属すぐは「ほーら、キャリアデザインも何もないじゃん!」と思ったのを覚えています。

組織のコマに希望部署の選択権はないわけです。人事の仰せのままに動き、あくせく働くだけ。この仕事やる意味あるのかな?この研修意味あるのかな?と思っても何も変えられない。変えられないなら考えない。思考停止状態です。

「キャリアデザイン」というのは、それが自分で動かせる、ハンドルできる状態、もしくはある程度自分の希望を聞いてもらえる組織で初めて意味を持つ言葉であって、大企業とか公務員とか大きなピラミッド組織では絵に描いた餅ですよね。それがあたかも存在するように見せかける、巧みな幻想です。

しかし、私は公務員であった5年半を後悔することはないし、むしろあの経験があったからこそ今があると思っています。緑地関係での経験が、今の自然と親しむ仕事にもつながっているし、保健所で子育て支援をした経験が、今の母子をサポートするようなことがしたいという気持ちにつながっているわけです。人生に無駄なことなんて一つもないんだな、と心から思います。

ですから、もっともっと本質的なことを言えば、私たちは自分の意志でもなく、組織の人事でもなく、もっと大きな存在(神とか宇宙とかなんでもいいです)によって動かされているのではないかと思うのです。その人なりの役割を果たせるように、うまいこと絶妙なタイミングで、最善の場所に「いま」いるということです。そういう意味では、自営業やフリーランスであろうと「キャリアデザイン」に意味はないのかもしれません。実は本当の人事権を握っているのは人智をはるかに超えた大いなる存在なのではないかなと思っています。

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