「自分の気持ちがわからない」症候群

今日は一日頭がぼーっとしていて、いつもなら占星術の勉強しようと思って本を読んだり、ネットを見たりすることが多いのですが、知的活動をする気にならず、ひたすら何もせずぼーっとしていました。体調が悪いわけではないのにこんなにも頭が働かないのはあまりないことですが、きっと潜在意識レベルでの何かの転換期なのだろうと思って、流れのまま何もせずに過ごしています。

先日、生きてるだけで、迷惑でもあり、役に立っているの記事にも、やりたいことがわからなくなったり、本当にこれがしたいのだろうか?とリセットするような考えが浮かんだと書いたのですが、今も若干その流れが続いているようです。何かを考えたり、目標を立てたりすることが難しく、また自分の気持ちもよくわからないという「???」な状況であり、いったんすべてがストップしている感があります。

今日に限らず、自分の気持ちがわからないとか、自分の感情がわからないということは私にはとてもよくあることで、感情を抑圧する傾向は常にありますね。特に怒りを表に出すことはほとんどないのですが、その分かなり抑圧したものを心と身体に溜め込んでいるようで、それがたまに下痢などの症状として出ているのだと思います。本当はその場その場で感情を味わい、感じきって解放するのが一番なのですが、見ないようにしたり、気づかないようにすることでどんどん溜めてしまうわけですよね。そういう人は結構多いのではないでしょうか。特に「いい子」であらねばならないという思いの強い人は、かなり抑圧しているはずです。自分の感情に気づいて、それを面に出して表現していくというのは、私にはとても難しいことであり、人生の課題であるなぁと痛感します。

無表情というわけではないのですが、私は若干ポーカーフェイスなところもあるなぁと思っていて、人間関係が円滑であることを重視するあまり、感情を悟られまいとする癖がついてしまっているようです。これも、深いところをたどっていくと、幼少期のトラウマか、もしくは過去生レベルまでさかのぼっての傷が影響していると感じています。保育園に行きたくないと感情を出して泣いていると、親を困らせてしまうから泣くのを我慢しよう、とかそういう些細なことはたくさんありそうです。原因は一つではないと思いますが、小さなことの積み重ねで「感情を表に出してはいけない」という思い込みが生まれた可能性は高そうです。

「こんなことを思ったら不謹慎かな」という発想も、感情の抑圧を加速させてしまいます。私もそういう傾向はあるので、無意識のうちに「思うべきではないこと」を封じ込めていることもあると思います。そんなことを繰り返しているうちに、自分の本当の気持ちややりたいこと、好きなもの、人、場所など、あらゆることが自分でわからなくなってしまうんですね。本当に好きなのか、本当にやりたいのか、ということに確信が持てず、もやもやぼんやりしてしまう。退職してからというもの、そんな日々の繰り返しではあるのですが。

表面上、感情のムラがあまりなく、一定しているのは人付き合いの上では良いこともたくさんあり、そのおかげで人間関係が円滑にゆくことも多々あります。たまにお腹を壊したり、大泣きしてしまったりするのは、そういう生活をしている日ごろの抑圧の発散なのでしょう。私がもっと楽に生きられるようになるためにも、毎日少しずつ自分の感情に気づいて、味わって、解放することを習慣づけしていこうと感じました。

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