広告・しがらみと発言の「信頼性」

春分の日を過ぎ、自分の方向性をもっと固めるためなのか、いろんな面での違和感が浮上しつつある今日この頃。昨日は資格ビジネスに感じる違和感を整理するという記事に、自然療法系やスピ系にも多く存在する資格ビジネスにコミットする気にならない違和感について綴ったところです。コピー量産型の資格や講座にはあまり深入りしたくないし、自分もやりたくないなぁと思っています。内容は良かったりするのですが、その団体や組織のあれこれに縛られたくないなぁという気持ちが強いのです。その違和感を掘り下げていくと、「しがらみ」によって自分の発言が本心と異なってくる場合があることが嫌なのだろう、ということに気づきました。

昨日の記事にも似たようなことを書いたんですけど、「○○の認定を受けたら○○のテキストを教えることができます」という資格とかって多くて、「私は○○のテキストのこの部分は良いけどこの部分は違うと思ってるんだよなー」という場合も、○○のテキスト通りに教えないといけないというのが、なんか嫌なんですよね(笑)。本音で思っていないことが少しでも含まれると嘘をついている気になってしまって、「できないなぁ」と思ってしまう。建前みたいなものが言えない。特に私の興味のある自然療法や健康系、ヒーリング系のことは人の命に関わることなので、適当なことは言えません。あらゆる説がある中で○○のテキストには△△と書いてある(でも本当は違うかも)、ということも世の中結構ありますからね。まぁあとは「立場上言えないこと」みたいなものも極力減らしたいですし、変にどこかに所属して肩書を増やしたくないみたいな気持ちもありますね。肩書が増えるほどしがらみも増えるみたいなところもありますしね。

あとは「広告」も人の発言を操作する大きな要素ですよね。お金が絡むと人は平気で本心でもないことを言ったり勧めたりしますし、すぐに買収されます。その典型例が(芸能人などの)ステマブログですが、インスタグラムなどのSNSの台頭により、一般人もステマまがいなことをしているケースもあったりしてなんかもう疑心暗鬼になってしまいます(笑)。以前のネット上、正直な口コミはどこにある?という記事にも似たようなことを書いています。私はこの記事が個人的に好きです(笑)。自分の信条の根幹部分だなと感じます。私はその人が「本当に良いと思って言っているのか」という部分をすごくシビアに見ているんだと思います。そこに下心や思惑が透けて見えると、あぁなんか違う…と思って離れていってしまうのです。

私のこれからの方向性の一つとして、広告・しがらみフリーで本当に良いと思ったもの、良いと思ったやり方、良いと思った療法などを紹介したりお伝えしたいという軸がぴしっと定まった感じがします。一つの療法やメソッドにこだわらず、幅広くいろんなものを見て、その中でその方に合ったものや続けやすいものを採用していこう、というスタンスです。この世の中、ある専門に特化したスペシャリストは多数いても、あらゆることを網羅している人って少なくて、割と考えが偏りがちな人を量産する傾向はあると思うんですよね。まぁ、網羅的に知っていても仕事につながりにくいからなのですが…(それが今の私の状況でもある汗)。そこをなんとか価値化して、試行錯誤しながら時間がかかってでもうまいことやっていけたらと思っています。それこそ自分でよく言っていた「新しい価値の創造」ということなのかもしれません。しがらみなしだからこそできる、バランスのとれた内容、本音ベースの内容をお伝えできる講座づくりなどに取り組んでいこうと思います。

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