日々を「意識的に」生きる

昨日の明日死んでも本当に悔いがない人生をの記事にも関連しますが、私たちがこの今の生を大切にすればするほど、漠然にただ生きているのは非常にもったいないと感じるようになると思います。漠然にただ生きるの反対は「意識的に生きる」ということ。瞑想をすると特に、日ごろいかに意識を働かせず、惰性で物事をしているかに気づきます。私たちの行動は潜在意識が大部分を司っているので、ある意味当たり前なのですが、そのことにすらなかなか気づけないという現実がありますよね。

「マインドフルネス」「気づきの瞑想」という言葉を聞いたことがある人も多いのではないでしょうか。私も自然医学の講座で教わったり、ティク・ナット・ハンさん(ベトナムのマインドフルネスの第一人者の禅僧)の本を読んだりして、見聞きしたことがあるのですが、実際にやってみると気づくことがありますね。食べ物を食べる時、雑誌やスマホを見ながら食べるのと、五感やそれ以上の感覚を味わって食べるのとではその時の体験が全く違うのは想像に難くないですよね。歩くことにしても、「歩く瞑想」といって、呼吸に気づきながら、目的地に行くのではなく歩くことそのものを目的とする瞑想も紹介されていたりして、気軽に実践できるものもあります。興味がある人は本や動画など探してみてください。

目を瞑ってただ聞こえる音に集中したり、ただお花やアロマの香りを嗅いでみたりするだけでも瞑想になりますね。感覚というのは研ぎ澄ませば研ぎ澄ますほど鍛えられると言いますか、微細な変化もキャッチできるようになるもののようです。私たちは現代の情報社会に生きているので、都会に生きる私などは特に感覚を敏感にしすぎると生きづらいわけです。情報のノイズ、人ごみ、電磁波などの有害エネルギー、その他もろもろ…敏感では生きづらいからこそ感覚を鈍くすることで身を守っているということ。感覚に鈍くなると、自分が本来の生き方と逸れてしまっていても、そのことにすら気づくことができませんね。よく、自然と親しみましょうと言いますが、自然の中に行くことで、ここなら感覚を研ぎ澄ませても大丈夫だ!と身体が感じて、安心してあらゆるものを感じることができるようになるということはあるでしょう。都会より自然の中の方が気持ちがいいという感覚に異議を唱える人はいませんよね。

日々の忙しさに追われてしまうと、一杯の息抜きのコーヒーすら急いで流し込むようなことにもなりかねません。淹れたての温かいコーヒーもしっかり味わって感じて飲もうと思えば、良い香りだなーとか今日のはちょっと苦いなーとか、いろいろ感じることはできると思います。そう考えると一人の静かな時間ってとても大切ですね。「瞑想」とかいうと堅苦しい感じや、あぐらかいてやらないとダメ!?という思いにかられたりするものですが、そんなに難しく考えなくても良いのだなと改めて感じました。

私自身、日々雑念まみれで生きているのでこんな偉そうなことを言える口ではないのですが(笑)、それでもまた思い出してやってみようという気持ちになりました。一瞬一瞬を大切に生きるということは、一瞬一瞬を意識的に生きるということに他なりませんからね。せっかく肉体を持って生まれてきたのですから、感じられるものは感じて、味わえるものは味わい切った方が人生の充実感、満足感は高まるでしょう。悟りとか覚醒とか色んなメソッドは世にあふれていますが、大切なことは「今ここ」にあり、灯台もと暗しだなと感じることもありますね。実践するのに何のお金も労力もかからないので、これからは日々意識的に生きることを意識してやってみようと思いました。

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