方便と対症療法まみれの表面的な世界

私は以前から勉強、学問、試験、大学などについて色々と語ることが多いのですが、世に言う「勉強」≒「試験勉強」や大学という存在そのものについて、まさに「方便」だなぁと思うことが多いです。過去にも試験勉強は作業、本当の勉強は独学という記事に似たようなことを書きました。ある目的のために便宜上行うこと、便宜上の存在、というようなニュアンスです。本質的ではなく、中身がない、中身が問われない。また、「試験」というのは洗脳そのものだと感じていて、ある問いに対して答えはこうであると暗記させられるということは、そのことに対して疑問を抱かせないことに繋がり、AがBであるのは当然のことのように思いこんでしまいます。「教科書に書いてあったから」的なことですね。大学のアカデミズムでは支配層が囲っている教科書の範囲内のことしか研究できませんし、本質的に人々の幸福につながるような研究はもみ消され、酷い場合は暗殺されることもあります。

そんな大学についてですが、行く意味とか価値とか、色々な意見があると思うのですが、「方便として」行く意味や価値はある、とは思っています。本質的なものや世の中の真理みたいなものからは遠ざかる可能性が高いですが、それでもまだ大卒でないと就職できない企業もありますし、中には世のため人のためになるような研究ができる所もあるかもしれません。「学生の本分は勉強だ」という意見は、建前としてはその通りだと思います。一方「学生のうちに遊んでおけ」という意見は、大学に方便としての価値を見出しているパターンで、方便として大学に進学している人が多い(ように見える)ことを考えると、それもあながち間違ってはいないように思います。私が大学って方便だなーと思ってしまうのは、教える側の授業内容や教え方などが十分に問われていないと感じるからです。大学の講義の良し悪しに評価があるとすれば、「出欠が厳しいか」「単位が来やすいか」というようなものであり、肝心の中身についてはあまり誰からも関心を持たれていないのではと思うこともあります。単位をもらえるか、〇〇大卒の肩書を得られるかが重要な学生と、とりあえず今のポストが得られればいい大学教授。塾や予備校の先生は結果を背負っているので、より評価の目に晒されますが、一般的に大学で学んだことは就活にはあまり関係ないとされているため、中身が問われづらいということもあると思います。

全然話は変わるのですが、この夏からベランダで簡単な家庭菜園を始めてみまして、この数ヶ月はいろんな本を読んだりyoutube動画を観たりして、手探りで試行錯誤しながら土いじりをしています。家庭菜園をやろうと思うような方は、おそらく化学肥料なし、無農薬でやりたいという方が多いんだろうし、そういう情報が多いのかなと思いきや、基本的には化成肥料を施すようなやり方が書いてあり、少し驚きました。色々調べたり考えたりするうちに、農業系の分野も基本的には対症療法的というか、栄養が足りなくなるから足そう、虫が出るから殺そう、というような考えなんだよなぁと、わかってはいたことですが改めて感じたんですね。

いつもおいしい作物を作ってくださる農業関係の方には頭が上がりませんし、現在の供給量を維持するためには化学肥料や農薬等が不可欠なことも重々承知しております。自然を相手にする難しい産業。日々の研究と試行錯誤、先人たちの英知の積み重ねを無料あるいは安価で情報提供してくださる方がいることにも本当に感謝しています。その一方で、まだまだ未知なる自然の世界、世間一般で言われていることが本当に正しいのだろうかと疑問に思うこともあります。「当たり前じゃん」と思われるかもしれないのですが、なんであんな小さな種が適切な環境を与えられればある一定の作物に育つのか…ニンジンの種を植えて間違ってダイコンができることはないわけで…その時点からなんというかもう人間の手には負えない感じもしますね(笑)。最近は微生物ブームであらゆる分野で微生物の働きも注目されるようになっていますが、微生物こそブラックボックスそのものです。自然界にはよくわかっていないメカニズムがまだまだたくさんあるんだろうなぁと思っています。そんなこともあって余計、方便アカデミズムで言われているようなことをそのまま信じるのはいかがなものかと思ってしまうわけですね。化学産業がバックで力を与えているのがアカデミズムですしね。教科書で言われていることも押さえつつ、かつ疑いながら柔軟に情報収集しつつ、これからも試行錯誤していけたらなぁと思っています。

方便と対症療法的考え方がベースにある表面的な世の中においては、本質的に~とか、本当に世のため人のためになることを~とか思うと、少数派やアウトサイダーになりがちで、生きづらくはなってしまうのですが、それでもそういったことをこれからも探求していきたいと思ってしまいます。最近ふと、私は何をしているときが楽しいんだろうとか、喜びなんだろうとか思うことがあったのですが、私の場合は、何か新しい知識を得たり見識を得たりして、視野が広がったり、なんというか新しい脳の回路というか…新しい物の見方みたいなものを発見した時にとても嬉しいし充実するんだ、ということに気づいたんですね。社会不適合者で主流派には染まれないので不利益を被ることもありますが、それでも表面的な世界にはないような充実感を得られることもあるので、悪いことばかりではないなぁと思っています。

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