セクハラの根本解決は性教育の見直しにあり

昨年あたりから活発になってきたセクハラ問題の告発や性犯罪に関する議論は思った以上に長期化していて、広がりを見せているようです。もともとは海外の芸能関係の告発から始まったのでしたね。日本でも政治家、官僚、芸能人から地方のNPOの一般人に至るまで、さまざまな形で話題になっています。政治家や社長などの権力者は女性を囲うのは当たり前ですし、芸能関係はもはや性犯罪の温床だと思っているので特別驚きもしませんでした。ストレスの多い業界ほど、お酒や異性関係のトラブルも多いのは感覚的にわかるし、闇が深い感じがします。

日々の報道や記事などを見ていて思うのが、「セクハラはダメ」といくら言ったところで絶対になくならないということで、状況が変わらないことはたったこの数十年の歴史を振り返っても明らかかと思います。これはいじめ問題なども同じですね。ダメだとわかっていてもやってしまうことが問題なのであって、その内側の欲求・欲望がなくならない限り、必ず被害者が出てしまうものなのだと思います。これまではお金や権力の力で闇に葬られていたことが、今や明るみになってきただけであって、これぞまさしく「膿出し」なのかなという感じがします。これだけ社会問題化していると、もはや個人や特定の業界の問題ではなくて社会そのものの在り方の問題であると思わざるを得ません。

私は以前から学校教育の誤りを指摘してきていますが、その中でも性教育については思うことがたくさんあります。以前に軽視されすぎな「家庭科」「保健体育」という記事も書きました。主要5教科でただただ暗記するテストの点を競ってつまらない勉強に大事な時間を捧げるよりも、男女の違いや家庭の在り方、家事の大切さ、性についてなどを学んだ方がよほど人生のためになるし、自らの生き方や価値観の構築に役に立つと思うんですよね。本当に大事なことはテストで測れるようなものの中にはなく、概して答えがないものだったり、自分で考えて結論を出さなければならないことだったりすると思います。それは「本当に大事なこと」というのが、「命」や「愛」に関するものだからではないでしょうか。そしてその最たるものは「性」ということになると思います。現状、学校の中で「性」に戸惑う生徒たちの受け皿となっているのが「保健室」であり、保健室の役割の高まりについては「母性喪失社会」と保健室の役割という記事にも書いています。

現在の日本の性教育において、何をどう指導するように定められているのかというのは、私は専門家ではないのでわかりません。自分の経験から言うと、小学校の時に担任の先生が妊娠したのを機に、性教育のビデオを視聴覚室で見た記憶があります。そこで確かに、男女が性行為を行うことで子どもができるということを教わったのです。しかし、それを幼なじみの心の友に確認したところ、全く覚えてないと言われたのでもしかすると妄想かもしれません(笑)。ただ、それ以外に学校で性について、もっと言うと、性行為のやり方などについて教わった覚えはなく、中学生くらいの時に風のうわさで聞く…というのがリアルな記憶です。私だけではなく、他の方も大差ない感じではないでしょうか。

性欲というのは誰にでも当たり前にあるものなのに、正しいことを誰も教えてくれず、「風のうわさ」程度で学んでしまうというのは本当に大問題だと思っています。それが「命」や「愛」に関わるものだからこそ、取り扱いには十分気をつけなければならないし、やり方を間違えると一生癒えない傷を負う(傷つける)ことにもなってしまいます。自分自身が満たされた性生活をし、良好なパートナーシップを築けていれば、他人にセクハラや性犯罪をしてしまうことはないはずです。性についての正しい認識がなく、満たされない性生活を送っているからこそ、セクハラや性犯罪に走ってしまうと言えるのではないでしょうか。まずは「そもそも性行為とは何か?」「何のためにするのか?」「性行為と愛について」など、一人ひとりが根本的な「性」と向き合い、自分自身でよく考えていくことが大切だと思います。

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