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冬道では欠かせないスタッドレスタイヤが日本で普及するきっかけ①

札幌弁護士会所属、村松法律事務所所長 弁護士の村松弘康です。

冬道で欠かせないスタッドレスタイヤ普及のきっかけとなる事件にも、運命的に携わってきました。

思い返せば、1982年(昭和58年)の春のことです。当時の札幌の街は、“黒い雪”で覆われていました。

裁判所の前に立って、東に目を向けても粉じんでテレビ塔が見えない日がよくあり、春の札幌の街は、アスファルト粉末(車粉と呼ばれていた)の黒い霧ですっぽりと覆われる日が続いていました。

この粉じんは、吸入しても大丈夫か、、、心配でした。

ある晴れた春の日のこと。じん肺患者さんとの打合せのために、車で岩見沢労災病院に行った帰りのことです。後部座席に座っていた原告の高橋貞義さんが、晴れているのに青空が見えない札幌市内の空を眺めながら、こうつぶやきました。

「先生、鉱山の中と同じだ。鉱山の中はいつもこんな風にどんよりしているんだ。このままだと、いずれ、みんな、じん肺になってしまうよ。」

この言葉を聞いて、健康を守るためには、どうにかしてスパイクタイヤをやめなければ、という気持ちがわき上がってきたのです。

しかし、周りはすべてスパイクタイヤばかりで、どこから手をつけてよいのか全く見当がつきませんでした。

(次回へつづく・・・)

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