少女詩集「猫と百匹のうさぎとお月様」

月下の村には百匹の、
うさぎが住んでおりました。

うさぎには黒いのやら、茶色いのやら、灰色の奴の他に、黒と白がぶちになった奴やらがおりました。

大きくてでっぷりしたうさぎがおりました。或いは小さくてころころしたのが五匹も六匹もかたまって寒さを凌いでいるようなのもおりました。耳が長かったり垂れていたり、短かったり、うさぎたちはお顔もみんな異なるのでした。
それらの沢山のうさぎは月下に夜ごと空を仰ぐのでした。星々と月を眺めてうさぎたちはくんくんと鼻を鳴らすのでした。

うさぎたちの中に一匹だけ猫が暮らしておりました。
猫は耳も短ければ目も尖っていて、到底うさぎには見えませんでしたけれども、うさぎたちは何せ沢山の種類がおり、それぞれに相貌が異なり、それに加えて近眼でしたから猫を見てうさぎに非ずなどと嘯くものはおりませんでした。

猫の方もそれなりに近所付き合いを宜しくして、相互扶助に努めましたから周りのうさぎたちと仲良くやっておりました。が、猫にはどうにも肉食性が潜んでおり、ああやはり俺は周りと違うのだな、と常々考えておりました。

猫は時々蜥蜴を食らったり、村に迷い込んできた鼠を食らったりしておりましたが、猫自身その事が恥ずかしく周りのうさぎには言えずにいるのでした。

「俺は畜生だ。」
と猫は思いました。
「生き物を殺してその肉を喰らわねばならぬ。」
猫にとって周りのうさぎたちが草だけを食み、ころころと丸い乾いた糞をして、日がな一日跳ねたり寝たりしているのがなんとも尊い様に、その目に写るのでした。

「俺はうさぎに成らねばならぬ」と星月夜の晩に猫は思いました。
「獣肉を断ち、うさぎたちのように草を食んで暮らすのだ」
その思惑は青白い電気のように猫の体内を走りました。
猫の思惑の上を星が流れ落ちました。
猫の思惑の上を星は一つ落ちて、また一つ落ちるのでございました。
折しもその日は流星群の晩でありました。
青白い電気のように幾つも落ちる星の軌道をなぞりながら
「そうだ、俺はうさぎになるのだ」と猫は決めたのでした。
猫は背筋を伸ばして飛び上がりました。
「うさぎになるぞう」
と星星に向かって猫は言ったのでした。

あくる日、猫は村の草原に出て、うさぎと同じように草原を跳ねて、他のうさぎに身を寄せて、共に毛皮を擦って暖を取り、それから草を食んで昼寝をしました。
夕刻、東の空に昇った細い月を拝みました。
月下の村のうさぎたちは皆、かしこまって月を拝むのです。

そのような毎日を繰り返すうちに猫はだんだんと自らがうさぎに変じていくように思われるのでした。
「俺はもうじき、うさぎになるのだ」と一念を掲げ、且つ「油断はならぬ、油断はならぬ」と自らを戒めるのでございました。
しかし、猫には不安もありました。ふとした折に猫は「何かが足りない」と云う茫漠とした不安を感じるのでございました。
「俺は焦っているのだろうか」
いくら考えても猫には其の不安の正体が分からぬのでした。

或る日、昼寝の時間に猫は隣の奴に聞いてみました。
「俺はどうしたら長い耳になれるだろうか」
しかし隣のうさぎは眠くて答える事ができませんでした。
わずかに垂れ耳をぴくぴくと震わせただけでした。
仕方無しに猫はもう反対側のうさぎに尋ねるのでした。
「俺はどうしたら丸い尻尾になれるだろうか」
しかしやはり隣のうさぎも眠くて答える事はできませんでした。眠気にふるふると身を震わせるのみでございました。

そこで猫は村で一番年寄りのうさぎの処を尋ねました。
「真っ白い毛並みになりたいのだ」
一番年寄りのうさぎはふんふんと鼻を鳴らしました。
「如何にせんか、よに分からぬ」と猫は言いました。

夜ごと、月に向かって猫は「俺をうさぎにして下さるように」と畏んで拝むのでした。

猫がうさぎになろうとして半年ほど経ったでしょうか。
猫はすっかりうさぎらしくなっておりました。うさぎたちに囲まれて昼寝をして、晴れた日には草原で追いかけっこをしては、尻の匂いを嗅ぎ合ったりして遊んでおりました。

季節は春でございました。草原には黄色くて小さな花が咲き始めました。うさぎたちは芽吹いた若草が好きなのです。柔らかで新緑の鮮やかな草を食み、腹を膨らませてから春の陽気の中で昼寝をするのでした。

猫はうさぎたちの中で昼寝をして、春の陽気に包まれて夢を見ました。
それは恐ろしい夢でした。
畜生と散乱する屍肉の夢でした。
屍肉にまみれて、もぎれた蜥蜴の頭部と目が合いました。
しゅうしゅうと蜥蜴は咽頭を鳴らしました。
「何故お前は俺を、そうやって睨めつけるのだ」
と、猫は蜥蜴に言いました。
「俺が見ているのではない。お前が見ているのだ。」と蜥蜴は猫に言いました。
「お前が見ることを止めれば、俺はもうお前を見ない。」と蜥蜴は言うのでした。
猫は目を逸らそうとしましたけれども、どちらを向いてもその実、視線の先に蜥蜴の首が転がっているのでした。
どちらを見てもしゅうしゅうと蜥蜴の咽頭が唸っているのでした。
猫は逃げようと致しましたが、逃げられませぬ。
振り返ると直ぐそこに蜥蜴の首がおりました。
「俺を喰らえば良かろうが」そう言って蜥蜴は猫の口内に飛び込みました。

猫は青褪めて目を覚ましました。
そこはうさぎの村で、うさぎたちは変わらず昼寝をしている最中でした。
猫は大きくため息を吐きました。
それから安心して猫は、大きくて太ったうさぎのふさふさした毛並みの腹を、枕の代わりにして頭を預けたのでございました。

再び眠ろうとしたその時、猫の目の端に何かが写りました。
それは空を飛ぶ小さな野花に見えましたが、実のところは黄色い小さな蝶々でございました。
蝶々が二対の羽翅を開いたり閉じたりしながらじぐざぐ、宙空を飛ぶのを、猫は目の端に捉えたのでした。

猫は目をつぶって眠ろうと考えましたが、閉じたのは右目だけで、その左目は確かに蝶々の無軌道の動きを追っていたのでした。
猫は眠ろうとしましたが、塞いだのは右のお耳だけで左のお耳はぴくりぴくりと蝶々の動きを追いかけていたのでした。
猫は眠ろうと思いましたが、その尻尾は、蝶々が宙に描く三拍子に合わせて、オーケストラのように自ずからコンダクティングをするのでございました。

猫はもう眠ろうとしましたが、体ばかり興奮して毛並みは徐々に逆だっていくのでした。

蝶々がぎこちなく春の陽気の中を飛んで、高くなったり低くなったりしながら、猫の頭上に来た時、猫は背筋をバネにして直上に飛び上がっておりました。

にゃああ

と鳴きました。
爪を立てて蝶々を捕らえようと致しました。

蝶々は不意と真上にホバアして、猫には届かぬ高さまで上がり、ぎこちなく何処かに飛び去ってゆくのでありました。

猫は着下しました。
着下した猫は周りにうさぎの温くさも柔らかさも喪くなっていることに気が付きました。うさぎたちは緊張のあまりに血管を収縮し、身を強張らせながら冷たくなっておりました。草食動物の性が隠形と逃走の本能を呼び起こしたのでした。

にゃああ

と猫は鳴きました。しかしうさぎたちにとって其の鳴き声はいよいよ奇っ怪に聞こえるのでした。
うさぎたちは、その場から四散して村の隅々に逃げていきました。

ああ、俺は。

と猫は思いました。
それから凝っと己が肉球を眺めました。
それから猫は、物陰の隅々に隠れて震えているうさぎたちを尻目に、とぼとぼと家へと帰りました。

家に帰り、布団を敷き、布団の中に丸まりました。
目を閉じて、布団が温まるのを待ちました。
布団が中々温まらないので、幾度か身じろぎを致しました。
布団が温もって参りましたので、大きなあくびを一つ致しました。
それから背筋を一寸伸ばして、再び丸まりました。
目を閉じて寝返りを打つと、小さな鼻腔からいびきが漏れました。

眠りながら猫は思いました。
俺は本当にうさぎになったと思ったんだがな。
それから猫は夢を見ました。
春の野でうさぎたちと遊ぶ夢でした。

月下の村にて、その晩もうさぎたちは夜空を見上げておりました。うさぎたちは夜ごと暗くなった空で金色に光るものが何なのかほとほと不思議に思うのでした。うさぎたちにとっては其れが尊いもののように思われるのでした。
うさぎたちはふんふんと鼻をならしては、身を丸め今宵も月を拝むのでした。

あくる朝、猫は起き出して村の広場に行きました。
うさぎたちは昨日の出来事はすっかり忘れ、寄り集まって大きな毛玉のようになり、昼寝をしておりました。黒やら灰色やら茶色やらの混じった大きな毛玉ができておりました。その毛玉が心拍に合わせて膨らんだり萎んだりしているのでございました。
それを眺める猫もまた、呼吸をしているのでございました。猫もまた心拍に合わせてその身を膨らめたりしぼめたりしているのでございました。静かに眠るうさぎの毛玉を見ながら猫はなんだか昨日の出来事がすっかり夢であったかのような心持ちになって、そっとうさぎの毛玉の中に潜り込みました。うさぎたちは春の陽気の中で深い眠りに落ちておりました。猫が間に入ってもうさぎたちは寝息を立てて眠っておりました。
うさぎの毛玉の中で猫は目をつぶり、凝っとうさぎたちの心拍を聴いておりました。うさぎたちの絡み合った細い血管の中を、さらさらと血液が流れていおりました。さらさらと流れる血液の音を聞きながら、猫は自分の血流にも耳を傾けました。二つの血流が音を交わらせて、さらさらと流れておりました。彼らの血液は心房から始まって体中を巡る長い旅をしているのでございました。猫は春の中にいて、眠るうさぎたちの中にいて、血流の音の中にいるのでございました。

ああ、俺は。
と、猫は思いました。
そして、そのまま眠ってしまいました。

(少女詩集「猫と百匹のうさぎとお月様」村崎懐炉)

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