短編小説「円盤夜話」

はじめに。本作は小説です。本作に登場する事象は実在の時代、人物、団体とは一切関係がありません。

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「UFOとは空飛ぶ円盤の事であるが」、と書き始めた所で手を止めた。
そして「空飛ぶ円盤とはUFOの事であるが」、と書き直した。
UFO、即ち「アンアイデンティファイド・フライング・オブジェクト」。未確認飛行物体、は正体不明の飛行物を示す言葉であって必ずしも空飛ぶ円盤とは限らない。

昔、大槻教授という人が盛んにUFOの正体はプラズマの発光現象だと言い立てて、UFO研究家の矢追純一氏と骨肉の争いをしていた。
この言を借りればUFOはプラズマの事であるので空飛ぶ円盤ではない。
UFOが「プラズマ」である、とは如何にも平成的な発想である。そうだな、昭和の子供ならUFOは間違いなく空飛ぶ円盤。地球侵略を企む宇宙人の乗り物であろう。そういった矢追純一イズムを平成の子供は信じない。オカルトを科学の力で調伏しようとする。そのオカルトを征伐するための数々の似非科学を生み出したのが「平成」らしい風潮である。

ああ、こう言う四の五の言う屁理屈も時空の彼方に飛んでいってしまえば良いのにね。どうも僕の書く文章は理屈っぽくていけない。

後世に名を残す文筆家になるのだ、と立志以来物書き業に専念したが専ら小説書きは趣味程度の三文ライターになってしまった。最近のお金を貰った文章と言えば「健康食品の使用者からの喜びの声A、B、C」である。しかもその使用者の声すらも依頼企業から真っ赤に校正が入る始末。

「カテキャン(当該商品の名前である)は即物的な生活に浪漫と奇跡をもたらします。小生の喫驚にお耳頂戴。」
赤鉛筆に渾身の力を込めて担当者はバツを付けた。
そして金魚のように口をハクハクと開閉し、何事かを言おうとしていたが、上手な言葉が見つからないらしい。
開いた口が塞がらない、慣用句通りの状態であった。

「ははは」とつい指をさして笑ってしまった。
口をパクパクとさせていた担当者は金魚の如く真っ赤になった。

「ははは。」
愉快な事である。

「一般の、方の、声ですから」と担当者は声を絞り出した。
怒りで身を震わせている。
「第一人称を小生、と名乗る方はいないと、思うんですよね。」
とまずはその点を指摘した。
「即物的とか、喫驚とか、分かりにくいい言葉も使って欲しく無いのですが」

うむ。
心得た。

どうにも僕の文章は理屈っぽいのだ。堅苦しいのでウケが悪い。
簡単な事を言いたくても、婉曲が過ぎて結論に辿り着かない。すぐに余談に飛び火するので本旨を見失う。僕が大成しなかったのも、そんな所が理由である。
この事を短絡的に表現すれば「僕の人間性は人気がない」、こう言う事なんだな。

もしもまだ幼くて将来、名のある文筆家を目指そうと立志の君があれば、まず覚えておくと良い。
君の書く文章は即ち君だ。君が好かれる人間ならば、君の文章の技巧を問わず君の文章は売れる。君が一般的に好かれない人間ならば、どんな技巧をもってしても君の文章は売れない(僕のようにね、はっはっは。)
文筆家に必要なものは友人の数だよ。
人に好かれる「魅力と配慮」が名文を作るのだ。だから未だ幼い立志の君は、まずは学び舎にて御学友を増やし、生徒会長に推薦されるくらいの魅力を身につけ給え。はっはっは。
尤も三文ライターの僕が何を言ってもね、売れない方法はいくらも分かるが売れる方法など何一つ知らん。

閑話休題。
婉曲が過ぎた。
つまり、僕の言いたいことは、僕が売れないフリーライターだと言うこと。僕の友達は少ない、若しくは皆無であるということ、そして今僕は仕事中で、時刻は既に夜半である、ということ、だ。

さて話を本筋に戻そう。
空飛ぶ円盤はUFOの正体と目されるものの一つである。
「発光する、乃至は発光せずに飛行する物体」の正体については古来より様々な意見が定説化してきた。
例えば天狐。あまつきつね、は日本書紀に登場した現象である。舒明九年の二月。流星に似るが流星ではない、雷鳴に似た音を立てて火球が天を駆けたと言う。
このあまつきつね、の漢字は「天狗」が与えられた。この字の由来は中国にあるらしい。
「天狗」と書けば赤い顔、大きな鼻の日本の妖怪であるが、これとは出自を異にする。ただし日本の「天狗」も空を飛ぶ未確認飛行物体である。
石鎚山、高尾山、鞍馬山は全国有数の天狗の修行場である。登山の折に写真を撮ると、時折空に天狗が写るのだ、なんて話をいつだか聞いたこともある。
写真に写る天狗は空を飛ぶヒト型をしているそうだ。
そういえば近年、フライングヒューマンなる語を聞いた。空を飛ぶ黒影がヒト型をしている。
ロス五輪のマイケル・ジャクソンみたいだ。(※注)
ロス五輪のマスコットキャラクターがイーグル・サム。彼もワシ人間だから空を飛べる。

(※注)ロス五輪でロケットベルトを装着して飛んだのはマイケル・ジャクソンではない。マイケル・ジャクソンがロケットベルトを装着して飛んだのは8年後の1992年。コンサートのラストを飾る演出であった。

狐とか狗とかマイケル・ジャクソンとか、とかく空を飛ぶものばかりいて、それらがUFOと呼ばれるのだ。

(※注 マイケル・ジャクソンはUFOではない)

論理破綻しているが、僕は空飛ぶ円盤の話をしている、いや、これからしたい。婉曲癖のある僕の話はまだ入口にも立っていないのだ。
出口の見えないトンネルほど、人様を辟易とさせるものはないので、先に結論から申し添える。

僕は本話について取り留めなく空飛ぶ円盤の話と時間旅行の話をして「明日に繋がる未来」を結論として終わるつもりだ。
未来だ、諸君。平成が終わり令和の御世が始まろうという今日に、僕は未来の話をしたいのだ。それにも関わらず何故僕が先からUFOの話ばかりしているのかと言えば、それはある種の照れ隠しで、本旨を正面から話題とするには僕は些かナイーブなのだ。だが然し、真実、僕は通り過ぎる過去と光り輝く未来について、そして希望について語りたいんだ。
その過去と未来を繋ぐ時間旅行の装置として「空飛ぶ円盤」に思いを巡らせようという所存。どうか余談は多くあれど、読者諸兄には本旨を汲み取って頂けることを宜しくお願いしたい。

「それは結構な事ですが、先生」
と声がした。
驚いて振り返ると六畳一間の書斎の片隅に黒服の男が正座している。
「原稿を取りに伺いましたが」

「原稿?」

「ええ、原稿ですとも」
男の顔は向こう側が透けて見えるんじゃないかと思うほど、青白かった。
僕にはこの全身が黒づくめで青白い顔の男も、彼に渡すべき原稿のことも全く覚えがない。

「原稿とは…何だったかな?」

「丁度、一週間ほど前に先生にはご依頼し、快諾して頂いた筈ですが。」

「はて。」
何も覚えていない。困ったな。
だが、何にも覚えていない等と不義理を申して、仕事を不意にしてしまうのは口惜しい。

「はて。」
とは言え、何も思い出せない。
「仕事は確か、カテキャンのモニターレポートだったね。その節は申し訳なかった。おかしな文章を作ってしまって。」

「先生、違います。」

「おや、違ったかね。ああ、そうそう。借金を取り立てるためのビジネス文書だ。債権回収に困っておいでだったね。」

「それも違います。」
「そうかね。僕は仕事が多くてね。こう見えて沢山仕事を抱えているんだ。これで中々の人気なんだよ。もう当面新しい仕事は断ろうかしらん、と思っている次第だ。余暇を大切にしたいのでね。余暇にサボテンを育てようかと思っている。毎日、水を遣りながら話しかけるんだ。今はなんと言ってもね、多肉植物だよ。」

「先生、それは困るんです。」

「困るかね。」

「困ります。」

「おたくの仕事は何だったかね。」

「異星間紛争解決のための和平文書をお願い致しました。」

「なんですと?」

「ケンタウルス星系に仲の悪い惑星がありまして、現在紛争中なのです。双方に一歩も引くところが無いので紛争は激化するばかりです。考えあぐねた双方の首脳陣はお互いに譲歩できる条件を先生に託したのです。」

ああ、これはアレだ。アレがアレする奴だよ。そうね、夢だね。いつの間にか寝ていたらしい。若しくは酒酔いしたのかな。飲んではないハズだったけどな。

でもな、嫌いじゃないぜ。こういう話。
良いさ、こんな仕事もね。

「なるほど。お話はよく分かりました。双方のご納得のいく和平文書、ね。作って差し上げます。双方のご事情をお聞かせ頂けますかな?ああ、きっと一度は伺ったのかもしれませんがね、なにせ僕は人気作家だ。他のお話と多少混濁するのですよ。異星間の大事ですからね、慎重を期したいのです。」

黒服の奴は畏まって言った。
「宇宙に御名が轟く先生の、其の玉稿に触れる事のできる喜びに競べれば、私の労力などは塵芥の如しです。説明など何度でも致しましょう。」

「宇宙と来たか。」
「宇宙でございます。」
「惑星民は何人いるんだ。」
「コロニー合わせて500億人です。」
「500億人が待っているか。」
「待っております。」
「悪くないね、実に。」
「それではお話致します。」

と黒服の奴は双方の事情について長々と話をしだした。あまりに長いものだから実に聞き終わるのに三刻を要した。最終的に何の話やらわからなくなるなって僕は夢うつつの状態で、三刻後にようやく思い出した。

此の全く宇宙的に要領を得ない深謀遠慮の長話は聞いたことがある。あまりに要領を得ないので僕の頭脳が宇宙人の実在性とともに封印していたのだ。

気が付くと黒服の男は消えていた。
なんだ、夢か。
いやそうじゃない、夢と思いたいだけで。前回も「これは夢だ」と言い聞かせてすっかり忘れてしまったが、全くこれは夢ではない。

夢ではなく仕事だ。僕に課せられた。
三刻の長きに渡って聞き及んだ話を簡潔にまとめて、婉曲なしに和平案を練らねばならない。

所で、空飛ぶ円盤を操る者が何者であるのか、と言う事もまた時代性を反映した議論である。
19世紀末は地球空洞説の全盛期で、人類は未踏の土地に高度文明を持った亜人がいると信じていた。ジュールベルヌ、HGウェルズ、バロウズなど名だたる作家が地底世界を舞台にした冒険小説を書いたのだ。
即ち地底世界には地底人の国家があり、何らかの事情で彼らは地底生活に隠棲していると考えていた。
地底世界と地上世界を繋ぐ大穴が南極大陸にあり、地底人たちは時に地上人の世界を監視するために空飛ぶ円盤を飛ばすのだ。

20世紀になると冒険家たちの人跡踏破が進み、海底や地底に高度文明が存在すると信じる事は難しくなった。
其処で新たな未踏地として登場したのが宇宙である。UFOは地底人の飛行艇から宇宙人の宇宙船になってしまった。
今までUFO的なものがもたらしたスピリチュアルの産物、つまり聖書に出てくる天の光等は、すべて宇宙人の所業であると、その常識を一新させた。
20世紀は宇宙の時代であって人々はまだ見ぬ宇宙に宇宙人という浪漫を見出したのだ。
だが、宇宙への幻想も昨今は潰えた。
夢でも見ない限り、宇宙人と言うものが地球に現れよう筈がない。光の速度で5万年、という途方もない時間とエネルギーと労力を割いて、超々高度な文明を持つ「存在」が斯様な辺鄙な田舎(太陽系)に現れよう筈がない。

そこで21世紀に登場したのがUFO=「未来人の時間旅行艇」説である。

そもそも宇宙人が地球を訪れる事自体に前述の「物理的破綻」を来している訳であって、同じ「破綻」の可能性から考えれば「未来人が空間座標をそのままに時間移動」をした方が遥かに消費エネルギーは合理的な量となる、気がするのだ、21世紀人にとって。
但し、「時間旅行する未来人」の概念は非常にややこしい話である。技術革新を爆発的に繰り返し500年後の未来において時間航行が可能になったとして、現代に現れる未来人は500年後の未来人かもしれないし、1000年後の未来人かもしれない。もっと遠く離れて1万年後の未来人かもしれない。それら未来人が一堂に現在に押し寄せてくる。これは今まで人類史上で死んだ人間がすべて幽霊になって地獄の戸籍管理が収拾つかない、と言った笑い話に似る。太陽系滅亡までに55億年の時間があるのだ。一体どれほどの未来人が現世に現れるのか、これは全く途方もない。

故に現説は「空飛ぶ円盤の操縦者」が「未来人」であるという可能性を示唆しつつも、あからさまに「未来人」と断定する言論は避けているようだ。

つまり空飛ぶ円盤の操縦者は未だに蒙昧なのだ。だが、怪奇現象学の観点から言えば正体が未確認であったとしても「未確認であることは目撃された現象の非存在を証明する事由にはならない」のである。

「そんな曖昧な事では困るのですが」
と背後から声がする。

「なんだ」
と振り返ると真っ赤な顔をした大男が正座している。頭が天井についてしまいそうな程大きいし、やたらに口がでかい。

「ええと」
今度は何だ。

「先生、ご依頼の原稿を取りに伺いました。」
ほう、僕も随分人気作家になったものだ、
受注の覚えはないが仕事が殺到することに悪い気はしない。
ただ、こうして僕は異星の和平協定を草稿している所であるし、お前様の依頼物まで書けるかどうか。

筆は遅い方である。

「僕のような人気作家に仕事を頼むときは締め切りに余裕を持ってくれないと困るんだ。それは当然御社にもご理解頂いていると思うが、まさか今日来て今日が締め切りと言うのではあるまいね。」

「不躾な会社と付き合うつもりは無いよ。」と重ねると大男は萎縮して言った。
「滅相も御座いません。先生程の御方の玉稿を賜る為には私、何度でも持参致します。」

「ほう、そうかね。」
「左様で。」
「私の名前は有名かね」
「左様で御座います」
「どれくらい?」
「我が家の隣に河童の小倅が住んでおりますが、幼少より先生の御作を読み聞かされて、今では寝言に先生の御作を諳んじるまでになりました。またその家で飼っている鸚鵡がですね、その寝言を繰り毎聞くものですから、今では鸚鵡までが先生の作品を諳んじます。」
「そうかね」
「左様で」

「所でね」
「はい」
「君の所の原稿はいま構成の最中でね」
「はい」

「ほら、よく言うだろう?段取り八分仕事二分、な訳だよ。構成が終えたら後は書くだけだからね。そうしたら直ぐなんだ。今は一番時間の掛かる肝心な所さ。」
「はい」
「それでええと、構成を整理したいのだがね、もう一度依頼の概要を君の口から聞かせてくれないか。」
「私からですか?」
「ソウソウ、君の口から聞きたいのだ。」

「先生には新規軸の地獄団扇の取扱説明書を書いて頂きたくご依頼申し上げました。」
「団扇かね」
「団扇です」
「新規軸かね」
「左様で」
「ああ、どの辺が新規軸だったっけ?なにせ、ほら僕はコロニー含めて500億人のファンを抱える宇宙的な大作家であるからしてね、地獄の局所地域的に使われる旧式の団扇と新式の団扇の些末な区別はつかないのだ。」
「先生、御尤もです。」
大男は軽く咳払いした。
「まず旧式の団扇について、従来から団扇を仰ぐと送風機能が働きまして、これがそよ風から竜巻まで起こせる訳ですが、些か誤作動が多いのです。南洋を吹き抜く微風を起こすつもりが「ハリケーンかよ」、とツッコミたくなるような大竜巻を発生させていた訳です。今回の仕様では安全装置を設けまして…」
と彼は慇懃に説明を始めた。
地獄用語は時に難解を極め、社長派と専務派に分かれた開発社内の複雑な人間関係にまで話が及び、更には地獄装具本社が立地する土地の大地主が地方統一戦に出馬した時の大混戦に展開した折に、時刻は既に四刻半が過ぎていた。

僕は混濁した頭で話を遮り、丁重に御礼申して仕事を期日に間に合わせることを誓った。

客人が帰って再び僕は文机に向かうのであるが、話が随分壮大になってしまった。
僕としては前出の通り、「空飛ぶ円盤と未来と明るい希望」の話を書いているんだ。

そう言えば子どもの頃に見たUFO特集のあの独特の居心地の悪さ、その正体は何だろう?
あの目を背けたくなるような不気味さ。
僕は何に恐怖を感じていたのか。
「空を飛ぶ」、これは鳥も同じであるし怖いものでは無いように思われる。
「円盤」、これも犬コロの追いかける円盤と大差ない。
「異形の宇宙人」、怖くはあるが他の妖怪大全集とさしたる違いはないので此の特別感情の説明には当たらない。
一つ一つの要素を考えて、特段恐れるものは無いはずなのに、何故か円盤が怖いのだ、僕は。

「アンアイデンティファイド」
UFOを和訳した際に未確認、と訳される部分だ。
この未知のモノへの恐怖、なのだろうか。
何故、未知は怖い?

僕たちは「常識=社会」を作り、その枠の中で暮らしている。その枠の中には規律があり、警察がある。集団生活に於いて相互に規律を守る安全保障装置が働いている。
僕たちは群れるウサギなんだな。外の世界を知らず、安穏と眠る。
その囲いの中で僕は自分が僕であることを定義している。僕は人間である、とか。高度な文明を誇る知的生命体であるとか。宇宙的に偉大な作家であるとか。そういった自分自身の定義は「常識」の中で初めて形作られるものなんだな。

だから「常識外」の事には滅法弱いのだ。社会の中に存在しない者はアウトローだ。
無法地帯だ。
そんな者が隣にいては安全を知らぬ。危険が読めぬ。
いつ其奴に寝首をかかれるか知れぬ。
宇宙人、地底人、ドッペルゲンガー、UMA、魑魅魍魎たち・・・。それらの存在は我々の常識外の住人である。彼らの前に自分は知的生命体ではないかもしれないし、文明は高度でないかもしれない。ましてや僕は宇宙的大作家でないかもしれない。
彼らの存在は文明人たる我々のアイデンティティを脅かすのだ。

「アンアイデンティファイド」に感じる恐怖の正体は其処に有るのだろう。常識や安全の揺らぎ、自己の揺らぎ。
これを言い換えれば、僕の狭い了見が作った「常識」の明晰の光が及ばぬ影だ。常識が狭く凝り固まる程、この影は濃くなる。影が濃くなればそこに跋扈する眷属も増えるのだ。僕の知見も相当狭いからね、存外の事は多いし、其処に棲まうものは皆怖い。

自分の了見が狭い自覚はあるんだがね、なかなか了見は広がらない。短所など一生を通じて培ったのだ。いまさら治らんよ。

時にこの度天皇陛下が新たに即位をして「平成」から「令和」に改元される。僕などは単純であるから、新聞がそれを目出度いという言説で書き立てればそんなものかと思ってしまう。
世の中は10連休の改元セールの準備で慌しい。なにせ改元は30年ぶりで、先の改元は自粛ムードが濃厚でお目出度い等と云える空気ではなかった。
だから多くの現世人が知るところ、初めての「お目出度い改元」なのだ。
これについて当惑する向きもある。だが、小難しい事を考えるより、「お目出度い」とした方が物がよく売れる。
つくづく商売人が世論を形成するお国柄である。
だが僕も嫌いじゃないんだ。お目出度い事は大好きだ。
この度の改元に際しては僕も世論に同調して浮かれて馬鹿騒ぎをするつもりだ。仕事なんて知るか。

「先生」
と、呼ばれた。
ああ、おいでなすった。また来客だ。
最初が黒服。次が赤い大男。
今度は何だ。

振り返ると美女だ。
見惚れるような。
これは一体。

「先程、ロス五輪のロケットマンについてお話をされていましたか?」
と美女が尋ねる。
そんな質問はさておき、美女は良いね。艶かしいボディライン。憂いを含んだ眼尻。ハスキーなウィスパーボイス。ちょっと衣服が透けてるんじゃないか?

こんな美女が隣に侍り酒を酌して貰えたら、と思うが、そうなったらなったで要らない気を遣い始めるのが僕の悪い所で、「美女に失礼を働いては悪い」など気を遣うあまりに結局自分が楽しむ事を忘れる。
自分が楽しまない物だから相手にもそれが伝わり、結局酒席は相互に遠慮ばかりの詰まらぬもので終わる。あーあ、嫌んなるな。
美女と花火は遠目に楽しむに限る。

「ビル・スーターについてお話しておりましたか?」
と美女である。
話しかけられているものの、前述の理由からどうにも口をきくのが憚られる。そうだな、至極億劫だ。

「ロサンゼルス五輪の開会式に登場したロケットマンは飛行スタントマンのビル・スーターです。ロケットベルトの構造は高圧縮した過酸化水素を噴射させて、そのジェット圧力で飛ぶのです。10分間の飛行が可能でしたが、エネルギー効率が悪く実用にはできません。」

ほう、そうかね。スタントマンが飛んでいたのか。飛んでいたのはマイケル・ジャクソンだと思っていたが。これは30年間誤解していた。誤解から生じる未確認だったわけだから、ロケットマンも僕にとってはUFOだったんだな。今更どうでも良い話だけど。

「お前さん、うつぼ舟の女だろう」
と僕は尋ねた。
「へえ」と女は答えた。
うつぼ舟、というのは日本各地に伝わる伝承で海辺の村に奇妙な形の舟が漂着するというものである。幾つかの類話のうち、1803年に常陸の国に「其れ」が現れたとされる伝承によると、うつぼ舟は鉄製の球形で船体には丸いガラス窓が嵌め込まれている。その中には「箱」を持った異人の女が一人乗っていたが、警戒した領民たちにより、再び海に流されたという。
この女の持っていた「箱」の中には一説によれば菓子と生首が入っていたという。
類話は数知れず、女が三人だったり、海に流す筈が匿われたり崇め奉られたり、殺されて祟ったり。妖艶な美女が出る点で天女伝説や乙姫伝説にも通じたものを感じる。

亀に乗って浦島太郎殿は龍宮城に行くが、亀を「亀のような乗り物」と捉えればこれも立派なうつぼ舟となる。
うつぼ舟は海に不時着した宇宙円盤なのか海底人の潜水艇なのか。伝奇に夢は迸る。
さて、そんな伝説的な美女が目の前にいた筈なのだが、どうやら考え事をしているうちに消えてしまった。
美女を傍らに留め置く為の機会を逃したようだ。
これだから、全く僕は間が悪くて困るんだ。美女からの仕事の依頼なら是非受けたかったのだが、ぼんやりと逃してしまった。好機というのは急に現れるものであるから、日頃から備えなければものに出来ない。それは分かっているがそんな事ができるくらいなら(以下略)

女が消えて、跡を見れば箱が残されている。
はて、箱である。
お重のような黒塗りの。それが紐で縛られて、さながらお伽噺の玉手箱だ。

なんだ、こんなもの置いていって。どうせ開けると正体は玉手箱なんだろう。煙が出て年寄りになる。そんな罠に引っかかるものか。でも玉手箱は年を取るというよりも、留まった時間を元に戻すという事なんだな。歪みを正してあるべきものを本来の形にする。乙姫様が何故玉手箱のような悪意の塊を太郎殿に持参させたか、僕は子供の頃から不思議でならなかったが、歪みが生じて本来の自分の居場所から離れてしまった者は悲しい。幻想の中に孤立してしまう。だから歪みを正す玉手箱の存在は救いになるのだ。
と、思うのだが玉手箱が単に年を取らせるだけの魔法であったなら、そんな嫌なものはないな。やはりこの箱は開けられぬ。

玉手箱でなくともうつぼ舟の女なら、箱の中身は生首という事じゃないか。どちらにしたって何一つ僕に得はないよ。というよりも単なる忘れ物だったら開けちゃ不味いしな。そういうデリカシーは持ち合わせているつもりだよ、僕は。

だけど?
生首と他にはなんだっけ?そうだよ、うつぼ舟の女が持っていたものはもう一つ。菓子、だ。
昔の事だから菓子は保存料など使われておるまい。生菓子かな。餡こかな。どら焼きみたいなものかな。
天然素材で甘みが控えめで、小豆を煮立てた餡こかな。餡こは断然粒餡だね。昔はね、子供の頃はこし餡が良かった。だけどこし餡というものは手間隙かけてね、美人すぎるんだ。料理と女姓は気楽が良いんだ。餡こもね、煮立てて小豆の形がゴリゴリとした田舎っぽいものの方が好きだ。物の形が分かると言うことは大事な事さ。それが即ち出自だからね。昨今の漉し餡は本当に餡こかどうかも怪しいよ。石油から肉を作る時代だからね。

どら焼きも円盤みたいなものだな。
空飛ぶどら焼き。餡子がたっぷりのね。
宇宙的な。
楽しい幻想じゃないか。どら焼きに乗って遊ぶ宇宙は。

本当にどら焼きだったとして、このままでは腐ってしまうよ。
中身を確認しようかな。
するまいかな。

生首だったり玉手箱だと嫌だな。
でもどら焼きだったら困るな。
そもそも僕は何をしていたんだっけ?
そうそう、未来についてね、僕は文章を書いていた。箱をどうにかして、早いところ僕は文筆の続きを書かなくちゃ。
異星間の和平交渉も地獄団扇の取り扱い説明書もね。僕は人気作家であるからね。ん?
誰が人気作家だって?
いや僕だね。僕だ。
コロニー合わせて500億人のファンを抱えてね、いるんだよ。河童の小倅が寝言で僕の?作品を?諳んじているんだよ。一体僕の何の作品を?
いや、それはともかくも。
僕は幻想の住人ではないし、矢追純一氏と大槻教授の狭間で現実世界を生きている。
今は夜半で僕は仕事中で、僕はフリーライターだ。

さてこの箱を開けようかな。
開けまいかな。
どうしようかな。

はて。

(終)

(短編小説「円盤夜話」村崎懐炉