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他愛無い赤の話

 先日、晴れた日の夕暮れ時のこと。

 大通りを渡ろうと、横断歩道の入り口で赤信号をぼんやりと眺めて立ち止まっていた。

 近所の小学生たちがきゃあきゃあ騒ぎながら駆け抜けてゆく。よく、あの大きなランドセルを背負ったまま走れるなぁと思う。ランドセルの中身は、走るとそれはそれは大きく揺れ動くのだ、私だって昔は毎日背負っていたから、よく知っている。

 小学生たちが駆け抜けて行った方向は西側だった。なんとなく目で追った大通りの向こうに、信じられない程真っ赤な夕日が沈もうとしているところで、思わず目を奪われた。

 大通りの遠い向こうに光っている赤信号。次々に止まる車のブレーキランプの赤、赤、赤。

 私もあの赤に照らされているのだろうか、と思ったところでふと気が付く。その時私の着ていた服も、赤であった。

 夕日を撮ろうと思って取り出したスマホ、先日機種変更したばかりの新しい端末も赤。

 赤の世界。私は、真っ赤な世界を綺麗だと思った。

 でも、私はいつの間に、こんなにも赤を綺麗だと思うようになったのだろうかとも、思った。

 長い間、私の好きな色は、青、緑、黒…その他寒色だった。
 小学生の時に使っていたランドセル。女の子だからと、初めから赤いラインナップの中から選択した、通学の相棒。
 クラスにほんの少しだけいた、紺色のものを使っている女の子を、うらやましいと思ったものだ。

 何かを選ぶ時はいつも、ついつい青系のものを選ぶ人間であったはずなのに。なぜ、今の私の手元には赤いものばかり。
 いや、今でも青が好きな色ではあるはず。ただごく最近、それだければなんとなく味気なく思えて、つい赤いものを選ぶことが多くなっているのが、事実。

 昔好きだったものに魅力を感じなくなる、これが大人になるということなのだろうか。なんとなく、切なさを感じながら、私は写真を撮ることなくスマホをしまった。

 信号が青に変わると、赤の世界は一気に崩れ去った。ブレーキを踏んでいた車たちは走り出し、夕日に照らされていた赤い服の私は路地裏へ入る。

 家に帰り、夕日を遮っている自室のカーテンが緑色をしているのを見て、安心したような、物足りないような複雑な気持ちになった。
 この緑色は、私をこれまでの私でなくしてしまう、時の流れから守ってくれるものか。それとも、過去に閉じ込める檻か。

 ほんの一瞬目にした赤の世界は、別世界のようでとても美しく、その一部となったことは少しうれしいようでもある。
 でも私は本当は、変わりたくないんだよなぁと思いながら、赤い服を脱ぎ捨てた。

 他愛無い赤の世界の話である。


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