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ダリオ・アルジェント監督の「サスペリアPART2」日本初公開45周年記念4KレストアUHD+BD-BOXレビュー「この世には「食う」事よりも「寝る」事よりも優先すべき事柄がある。」

イタリア・ローマで開催された超心理学会の講演で
比類なきテレパシストの能力を発揮して見せた
ヘルガ・ウルマン(マーシャ・メリル)女史は
会場に潜む「恐るべき殺人鬼の思念」を探知し
その「誰か」に向かって警告を発する。

「ワタシはオマエの所業も魂胆も知ってるぞ」と。

その夜彼女は自室に押し入って来た何者かに惨殺され,
英国人のピアニスト・マーク(デヴィッド・ヘミングス)が
事件の目撃者となる。

マークの心中に「引っ掛かる事」がある。
ヘルガの悲鳴を聞いて彼女の部屋に駆け付けたときには
確かにあった筈の絵が,警察の捜査の段階では無くなっている。
「消えた絵」が今回の事件の鍵を握ってるのかも知れないが
ヘルガの部屋に至る回廊には数多くの不気味な絵が飾られており
ソレが「どんな絵」だったかがどうしても思い出せない…。

マークは美貌聡明の新聞記者・ジャンナ(ダリア・ニコロディ)と組んで
事件の真相を追うが常に真犯人に先手を打たれてしまう。

「ソレ」は一体何故なのか…。

マークが今後の行動指針を明かしているのはジャンナだけなのだ…。

漫画家の光原伸氏は著作「アウターゾーン」の中で本作の

「一度見終わってから必ずもう一度最初から見直すトリック」

にいたく感心されていた事を思い出す。

昨日本商品が届いたので早速内容についてレビューを書きたいと思う。
因みに僕が購入したのはUHD+BD-BOXであり,
単品売りにはブルーレイ版本編ディスクしか収納されておらず
後述する特典は予告編以外収録されてない事を先ず断っておく。

先ず基礎情報として共有しておきたい事は
本作には「完全版」と「劇場公開版」のふたつがあると言う事。
ふたつの「違い」を知っていただきたいのです。

1.完全版:126分
アルジェントが唯一の「オリジナル」と認めている
所謂ディレクターズカットで

「例え1分1秒でも僕のフィルムを切る事は許さない」

とアルジェントは息巻いております。
原語はイタリア語,原題はPROFOND ROSSO(イタリア語で「深紅」の意)
となります。

2.劇場公開版:105分
完全版が米国に輸入され米国の劇場で公開される際,
21分カットされて上映されました。
勿論「オリジナル」を21分も切られたアルジェント大激怒。
マークとジャンナの気の置けない男女の何気ない会話場面が
「本筋と関係無いから」片っ端から切られ
マークとカルロの「ふたりのピアニスト」の連弾場面や
カルカブリーニ警部の署内での日常のスケッチ描写も
同様の理由から割愛されている。
映画の「味わい」はこういう「日常のスケッチ」の積み重ねで生まれるのに
「日常のスケッチ」を「そんなもの不要」と切って捨てて

「論理的に説明可能で絶対必要だとスポンサーにプレゼン可能な描写」

で占められているのが劇場公開版なのだ。

横溝正史の小説「犬神家の一族」の「日常のスケッチ」を不要だと割愛した
抄録版「犬神家の一族」など絶対に有り得ない様に,
抄録版の映画「サスペリアPART2」もまた有り得ないと断ずるものである。

創作物に「合理性」を求める愚をひしひしと感ずるのである。
そもそも!本作は「合理性」の上に立脚してない作風なのだ。
言語は英語吹替,題名はDEEP RED(米国語で「深紅」の意)となります。
この劇場公開版が日本にも輸入され日本でも劇場公開されてます。

先ず僕が本商品を購入した動機は
1.4Kレストア画質をこの目で観たかった。
2.1978年本邦劇場初公開時の本編が観たかった。
の2点。

項番1だが10年前(2013年)に出た
「日本初公開35周年究極版」はフィルムグレインが非常に強く
画面がチカチカし階調情報も失われ気味で人の肌が陶器の様に見える有様。
幾ら「最高画質」と謳われようと到底納得出来ない上に,到底視聴に耐えず,
挙句専らイマジカで配信された録画データを再生する有様。
「視聴に耐える」という唯一点に於いて
イマジカ配信版(完全版)は究極版より「マシ」という意味で「勝る」のだ。
何よりチカチカしねえしな。
でもいい加減イマジカ配信版で自分を慰めるのも飽きた。
今回の4Kレストア版では絶対にこの点を改善して欲しかったのだ。

4Kレストア版を視聴するといい意味で鮮やかさが後退し
血の「赤」が血の「深紅」に見える様になった。
本作の原題は「PROFONDO ROSSO(深紅)」なのだから,
作品に相応しい色調になったと言える。
皆血色が良くなって「陶器」から「人間」になれたしね!
またフィルムグレインが大幅に減少し「粒子感」が皆無となっている。
これなら何度でもストレスなく視聴出来る。
やっとイマジカ配信版とサヨナラ出来るよ…。

音声面ではレストアされた公開当時のイタリア語モノラル音声を収録。
ダイナミックレンジが広く,解像感も向上している。

吹替音声は「35周年究極版」同様,1998年収録の完全版吹替,
1980年10月6日「月曜ロードショー」放映時の劇場公開版の吹替音声が
収録されている。
今回の吹替の目玉は「ハイブリッド版」で劇場公開版の尺の105分に対し,
吹替音源の尺は93分。
差し引き105分-93分=12分を完全版の吹替音源から引っ張って来ている。

実際に視聴して観たが殆ど違和感を感じなかった。
勿論従来の「月曜ロードショー」吹替音源+字幕でも
視聴可能となっている。
「月曜ロードショー」吹替音源は一般公募された「選りすぐり」を
デジタルリマスター作業で音質が整えられている。

特典はDVD版から35周年記念究極版までの特典を網羅した上,
2021年のアロー版に収録された膨大なインタビュー集や
歴代アルジェント作品をハイライト映像を流しナレーションする
ビジュアルエッセイ「Profondo Giallo ジャッロの深淵」も網羅されている。

「ジャッロの深淵」を見たが何でもかんでもジェンダーの立場から
過去作の是非を論じて評価を下すのが当世の流行なのだろうか。

仮に35周年究極版を買い逃していたとしても
今回の45周年記念版を購入すれば無問題なのだ。

そして日本国内での独自の特典が1978年の日本劇場公開版の完全収録だ。
これは国立映画アーカイブに収蔵されていたプリントを
HDテレシネする事で実現されている。
画質はまあまあで発色は淡く高音は割れ
時折画面にサーッとノイズの「雨が降っている」。
ヒスノイズも一杯。
なれど。
コレは「特典」であり歴史的価値を考えれば文句や贅沢は言えぬ。

勿論ベースとなってるのは
米国劇場公開版(DEEP RED名義)で尺は105分・英語音声。
是非とも清水俊二氏によるコンプライアンスがうるせえ現代では
到底考えられぬ味わい溢れるフリーダムな
手書き風焼き付け字幕を堪能して頂きたい。

カルロ「俺にとってピアノは女みたいなもんだ」「ケツをなでてやるんだ」
マッシモ・リッチ「(カルロは)頭が狂ってます」
エルビラ「(ツグミがいると)狂人がいるみたい」
カルロママ「でも過去は忘れるものね」
「橋の下の水(=water under the bridge=
「水に流す」の意の米慣用句)ですもの」
アマンダ「「子供の家」の怨霊だわ」
ジョルダーニ「こうしていても埒(らち)が明かぬ」

等々綺羅星の様な字幕を堪能して頂きたい。

日本劇場公開版で唯一モノクロ処理されるゴア描写があるが
ネタバレ過ぎて紹介出来ない事を残念に思う。

日本劇場公開版には「ジャジャーン!」と
「ヘンテコなファンファーレ」が入る箇所が4つある。
1.エルビラを見送ったアマンダが「首吊り人形」を発見する場面。
2.ジョルダーニが浴室の
「アマンダが残したメッセージ」の謎に気付き振り返る場面。
3.マークが幽霊屋敷の「消えた窓」の謎を解き
白骨化した遺体を発見する場面。
4.マークが回廊から「消えた絵」の謎を解き真実に到達する場面。

他方月曜ロードショーの吹替音源にも
「ヘンテコなファンファーレ」が入る箇所が4つある。
1.「黒いコートの男」がマークの部屋を襲撃し立ち去る場面。
2.エルビラを見送ったアマンダが「首吊り人形」を発見する場面。
3.ジョルダーニが浴室の
「アマンダが残したメッセージ」の謎に気付き振り返る場面。
4.マークが回廊から「消えた絵」の謎を解き真実に到達する場面。

日本劇場公開版と月曜ロードショー版との,
それぞれの「ヘンテコなファンファーレ」の間には明確な関連があるのだ。

恐らく東宝東和が入れたであろう「ヘンテコなファンファーレ」を叩き台に
月曜ロードショーの「ヘンテコなファンファーレ」が構築されたのだろう。

本作の字幕は1998年以降,浅野恵子氏の字幕がずっと使われてます。
イタリア語の完全版は2016年放映のイマジカ配信版では
浅野氏の字幕が一部変更され
ジョルダーニ「僕が考える犯人像は統合失調症」
なる字幕となってますが
1998年に出たDVDに於いては浅野氏は「精神分裂症」と訳されてます。
「精神分裂症」に代わって「統合失調症」なる言葉が登場するのは2002年。
浅野恵子氏が本作(完全版)の字幕を制作されたのは1998年。
イマジカ配信版(2016年)では浅野氏制作の字幕の
「精神分裂症」を「統合失調症」に置き換える事が余儀なくされたのだ。
配信に関しては2002年以降に「サスペリアPART2(完全版)」が
配信される契機に置換されたのだと思う。

何と言う「表現の不自由な時代」に僕は生きてるんだ。

パッケージソフトの場合は
2005年のイマジカDVDのときも
2013年の究極版のときも
本商品も
1998年制作当時の字幕が使用され
「統合失調症」ではなく「精神分裂症」が使われている。
僕達の目に触れない所で「表現の自由」を死守する戦いがあったのだろう。
一度でも屈したら取り返しの付かない戦いが。

尚,本作の
劇場公開版(米語(DEEP RED名義))と完全版(伊語(PROFOND ROSSO名義))では
「言ってる事」に違いが多い。
一例を挙げると
ジョルダーニ教授の考える犯人像
米語(DEEP RED名義):
「精神異常」(劇場公開時)「心に問題がある」(浅野恵子訳)
伊語(PROFOND ROSSO名義):
「精神分裂症(浅野訳(1998年~2002年))」
「統合失調症(浅野訳(2002年以降))」
この一例だけを取ってみても
完全版=オリジナル(伊語)の方が言葉選びが過激で
劇場公開版(米語訳)は慎重に言葉を選び
完全版にした所で字幕翻訳に時代の制約を受けていると分かるだろう。

原則論を言えば
本作が公開された1975年に「統合失調症」なる言葉はない。
(「統合失調症」は2002年発祥)。
近年の医学用語を過去に遡及して当てはめるのは
1980年に於けるNURSEを
看護師と訳す奇妙さに通づる違和感を覚える。
ソコは「看護婦」と訳すのと同様に
例え現在では不適切でも「精神分裂症」と訳して欲しいのだ。

「正しく訳す」と言う事は
コンプライアンス的に「正しい」と言う事ではなく
時代考証的に「正しい」と言う事なのだと愚考する次第である。

勿論浅野氏が米語であろうが伊語であろうが
「同じ映画」である事をいい事に決して字幕を使い回したりせず
制約はあるものの原語に忠実に翻訳してる
良心的な「翻訳者の鑑」である事は疑い様もない。

でもさ。
映画の世界も年々制約が増え,「時代の制約」が厳しくなってるのは確か。
何も字幕の話だけじゃなくて
本作そのものも特典で「ジェンダーの立場」って
「時代の制約」から批判に晒されてるしね。

そもそも本作は「統合失調症の人殺しの話」で
全ての芸術作品がそうである様に
「時代の制約」に真っ向から挑戦し,
世間に波風を立てる事こそが本懐なのだ。

だからこそ懸命に1998年制作の字幕を守り
遥か過去に遡って1978年劇場公開当時のプリントを
当時の字幕ごと丸ごと特典として収録し
「時代の空気」をも収録せんとする是空社の心意気に痺れるのだ。
「表現の自由」は「表現の不自由」と戦って守らねばならないのだ。

最後にひとつ皆さんに「お願い」があります。
本商品を
「買いたくない」と思うのなら買わなければいいと思いますし
「高い」と思うのなら金をもっと有意義な事に使えばいいと思います。
だけど「真剣に本商品の購入を検討してる人」の
勇気とやる気を挫く事だけは止めていただきたいのです。

「こんな(高い)ものを買う事に意味なんか無い」と。

僕だって金なんかありゃしませんよ。
本商品を買ったせいで年末年始は食パンと緑茶で過ごす事大確定ですよ。
この世には
空きっ腹を満たすより知的好奇心を満たす方を優先する人間が居るんです。

散々逡巡した挙句稀覯本を購入する人間が
例外なくカツカツの暮らしをしてる様に
散々逡巡した挙句「大昔の映画」の貴重な円盤群を購入する人間もまた
例外なくカツカツの暮らしをしてるのです。
どうかそうした人間の
「なけなしの勇気」を挫かないであげていただきたいのです。

国立映画アーカイブに収蔵されている本作の日本劇場初公開版のプリントは
書籍で言えば稀覯本に相当します。
その二度と見る機会など訪れないであろう稀覯本を
「是が非でも見たい」と乞い願う事がなんで「意味がない」のか。

僕にとって本商品は出た「意味」も買う「意味」もあるから
僕は斯くも長文のレビューを書いているのです。

例え食パンと緑茶のみの年越しになったとしても
日本劇場初公開版を眺めながら越す年は,
グーグー鳴り続ける空腹は,
途方もなく豊かで何物にも代え難い「意味」があるのです。

例え一瞬でも「何か」に懸命に打ち込んだ経験のある方ならば
一冊の本を寝食を忘れて読み耽り夜明かしした経験のある方ならば
この世には「食う」事よりも「寝る」事よりも優先すべき事柄があるとの
僕の言いたい事が伝わると信じて疑わないものである。


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