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アニメ「劇場版マクロス愛・おぼえていますか」レビュー「歌と祈り」。

本作品はテレビシリーズはリアルタイムで視聴していましたが
劇場版は先日WOWOWで初めて視聴しました。
その際,誰も指摘されていない事柄に気がつきましたので
ここに記したいと思います。

輝とミンメイのデート場面で映画館が登場するのですが
上映されている映画が
「HELVIO SOTOS FILMS」(エルビオ・ソトー監督作品)
「IL PLEUT SUR SANTIAGO」(邦題「サンチャゴに雨が降る」(1975年))
となっています。

あのさ。

「サンチャゴに雨が降る」はきっわっめって政治色の強い
プロレタリアートの絶望的な戦いを描いた
セミ・ドキュメンタリー映画であって
間違っても若いふたりがデートで観に行く映画じゃないんです。
しかし…創作物中に登場する事物には
一木一草と言えども何らかの「意味」がある。

コレからその「意味」を解説したいと思います。

「サンチャゴに雨が降る」は南米チリの軍事クーデターを描いた
フランスのセミ・ドキュメンタリー映画です
1973年9月11日南米チリで民主的選挙によって成立した
サルバドール・アジェンデ大統領による社会主義政権
およびアジェンデ大統領を支持する「人民連合」が
軍事クーデターによって転覆し
「共産主義者」と呼ばれたものは数時間後に死刑にされました。

本作で最も印象深い場面は社会主義者の一般市民が
スタジアムに集められたとき,ひとりの男が立ち上がり
「皆,歌おう!皆!」と叫び
チリの革命歌
「VENCEREMOS(ベンセレーモス(我々は勝利する))」
を声高らかに歌います。

銃剣に屈せず歌う事によって戦おうと。

しかし勇気ある男は数名の兵隊にスタジアムの中央に引き摺り出され
暴行を受け歌を歌うよう強制され歌を再開するとまた暴行を受け…。
の繰り返しで力尽きて絶命する場面が僕の琴線に触れました。

要するに「保守反動勢力の前に歌など無力である」
ことを見せつけられるわけです。
そして同時にわざわざ「マクロス」の劇場映画の作中で
この映画を登場させる監督の「意図」も明らかです。

現実では歌では世界を変えられれないし革命も起こせない。
仮に起こせたとしても直ぐに保守反動勢力に潰される。
そんなことは百も承知だ。
しかしアニメの世界の中だけでも
歌が世界をより良いものに変え
歌が世界を宇宙を結びあう夢を描きたい。

「マクロス」は地球が謎の異星人と交戦状態に入り
その異星人が「文化」を知らぬ戦闘民族であり
「歌」を聴かせる事によって
カルチャーショックを与えて戦意を喪失させ
同時に「文化」の素晴らしさを教え,
共存共栄の道を模索する作品で
「ドラゴンボール」で言えば戦う事しか知らなかったベジータが
ブルマと結婚してトランクスを設けて地球に帰化する話なんだ。

だから…「サンチャゴに雨が降る」の
「歌など保守反動勢力の前では無意味である」
という主張は絶対に受け入れられない。

その「絶対に受け入れられない事」が現実である事が
「マクロス」スタッフの間でも議論された筈で
その議論の結果が
「愛おぼえていますか」に反映されたと僕は思ってます。

マクロスのグローバル艦長による演説の中で
地球と異星による和平が成立した日時は「9月11日11時」。
南米チリの軍事クーデター勃発時刻です。
現実と夢とが交錯する時刻設定からも
監督の「願いと祈り」が見出せるのです。

しかしながら「9月11日」…。
現在僕達は「9月11日」を…。
2001年9月11日,米国が同時多発テロによる攻撃を受け
複数の旅客機をジャックしたテロリストによる自爆テロにより
世界貿易センタービルが瓦解してこの世から消え去り
米国が「必ず報復する」と
声明を発表する事となる日として記憶しています。

監督の「願いと祈り」は
21世紀最初の年に早くも危機に直面する事となるのです…。

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