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映画「アンダー・ファイア」レビュー「傭兵の俺は金の為に紛争地域を渡り歩き,ジャーナリストのオマエはお涙頂戴の記事の為に紛争地域を渡り歩いてる…ソコに何も違いはないだろう?プルゥゥゥラァァァイス!(若本規夫声でお読み下さい。)」

中米に位置するニカラグアでは半世紀以上,
人々が歴代の独裁政権に抵抗して来た。
1979年の春,遂に彼等は独裁者ソモサ大統領追放に立ち上がった。
世界中のジャーナリストが混乱する中米に注目した。

米国人フォトジャーナリストの
ラッセル・プライス(ニック・ノルティ:玄田哲章)と
彼の撮った写真に秀逸な記事を書く「相棒」とも言える
アレックス(ジーン・ハックマン…の声優と言えば勿論石田太郎!)が
戦乱と混迷の続くニカラグア情勢に注目し同国に駐在する。

ラッセルは独裁者ソモサの圧政を覆すべく戦いを続ける
解放戦線の旗頭ラファエルへの取材を望み
彼の行方を探すが誰も彼の姿を見た者はいないと言う。
「ラファエル」は本当に実在するのだろうか…?

そんなある日ラッセルは解放戦線側からコンタクトを受け
「ラファエル」が居ると言う村に案内される。
途端に鼻を突く死臭。
「ラファエル」が仮に存在したとして既に死んでいるのではないのか…?
その村でラッセルは解放戦線から真実を告げられ
三国志で言うところの
「死せる孔明生ける仲達を走らす」
作戦への加担を依頼されるのであった…。

僕が本作で一番感銘を受けたのはソモサに取り入って
彼の愛妾の世話まで任されたフランス人・ジャジーが
解放戦線の若いメンバーに取り囲まれて命乞いする場面だ。

「ワタシは君等がスキだ」
「しかし君等はセンチに過ぎる」
「君等は詩人に恋をした」
「詩人は共産主義者に恋をしており…」
「共産主義者は自分自身に恋をしてる…」
「結果この国は共産主義者に破壊され…」
「最後は暴君の登場を招く事となったんだ」

…この一連の命乞いの言葉には当然ながら「長い注釈」が必要だろう。

1973年9月11日,米国との合同演習を行う予定だった
南米チリの艦隊が突如バルパライソに帰港した。
それはサルバドール・アジェンデ大統領を倒し,
現行政権「人民連合」を転覆させるクーデターの合図だった。
チリ全土の陸海空軍と国家警察が一斉に行動を開始し,
大統領官邸にも,その報は入った…。

東西冷戦期の1970年代,チリでは選挙によって成立した世界初の
社会主義政権が成立しサルバドール・アジェンデが大統領に就任した。
「反帝国主義」「平和革命」を掲げて世界的な注目を集め,
民衆の支持を集めていたが,その改革政策は国内の保守層,多国籍企業,
そして米国政府との間に激しい軋轢を生み,チリの社会,経済は混乱に陥る。
1973年9月11日陸軍のアウグスト・ピノチェト将軍らが
米国CIAの支援を受け,軍事クーデターを起こす。
アジェンデは自殺(諸説あり)。
以後,チリはピノチェトを中心とした軍事独裁政権下に置かれた。

アジェンデ政権が駐仏大使として指名した
パブロ・ネルーダはノーベル文学賞を受賞した詩人であり
ネルーダがガンに侵され駐仏大使の職を辞してからも
「詩人が社会主義政権を支えた」
という「美しい記憶」はフランス人の記憶に長く残った。
ネルーダは自宅療養中に反動政権軍が彼の自宅に押し入り
蔵書を破り捨て家財を徹底的に破壊した事が
彼の病状が悪化した事と無関係とは誰にも言えないだろう。

彼は危篤状態に陥って病院に搬送される途中で検問を受け
彼の体が救急車から引き摺り出される狼藉を受け
彼が病院に着いたときには既に息を引き取っていた。

チリの人々は

ネルーダは病気で一度死に
クーデターによって魂が殺された
ネルーダは二度死んだのだ

と嘆き悲しんだと言う。
「美しい記憶」をファシストによってブチ壊しにされた
心あるフランス人の怒りたるや凄まじく
1975年に1973年のチリのクーデターを描いた
「サンチャゴに雨が降る」を製作して世に問うた。
多くの俳優たちはこの映画の志に感動して
ノーギャラでの出演を快諾したと言う。
ファシストと戦って来たフランスでなくては決して出来ない行為だ。

「サンチャゴに雨が降る」はネルーダの葬式で幕を閉じる。

同じ連中が私を殺しに来る
そう同じ連中が
我々を焼きに来る
彼等は池をひとつ残した
そこから父・母・子供を捜そう
その池の中から
お前の骨と血を捜せ
多くの骨の中から捜せ
焼かれてしまった今誰の物でもない
皆の物だ
我々の骨だ
お前の死を捜せ
同じ連中がお前を待ち伏せ
あの同じ死へお前を差し向けるのだから

ネルーダの詩を詠んだフランス人特派員のカルベは

「ファシストに詩人などいないッ」

と吐き捨てて映画は閉じる。

「サンチャゴに雨が降る」…見て欲しいが現在入手困難…。

…「長い注釈」がやっと終わり
漸く「アンダー・ファイア」の話に戻って来られるよ。

「君等は詩人に恋をした」
「詩人は共産主義者に恋をしており…」
「共産主義者は自分自身に恋をしてる…」
「結果この国は共産主義者に破壊され…」
「最後は暴君の登場を招く事となったんだ」

の命乞いの言葉が
詩人=パブロ・ネルーダ
共産主義者=サルバドール・アジェンデ
暴君=ピノチェト
と指している事は明白である。

つまりニカラグアの政情不安はチリのクーデターと同じ結果を辿ると,
歴史は繰り返すと,
チリと同じ様に解放運動は反動勢力に叩き潰されるから
俺ひとり殺したところで無駄だと
非常に婉曲的に命乞いしてるのだ。

全く…「サンチャゴに雨が降る」を日本で初めて円盤化した
スティングレイ社の岩本代表が本作に惚れ込む訳が実に良く分かるよ。
だって本作は「サンチャゴに雨が降る」の「続編」なんだから。

しかしながら…本作に於いて「フランス人に」
この命乞いの言葉を吐かせる所業が
「サンチャゴに雨が降る」
で徹底的に悪者に描かれたアメリカの
非常に意地の悪い異議申し立てである事も明らかである。

「チリで起こった事」がニカラグアでも起こっただけじゃないか。
コレは普遍的な出来事であってアメリカが常に一方的に悪いんじゃない。
あんまりエエ格好しいすんなよフランス!
と長い長い嫌味を言っているのだ。

このね…個別的な出来事を普遍化して個別の責任を有耶無耶にする論法は
エド・ハリス演じる煮ても焼いても食えない
傭兵オーツ(若本規夫)の言い訳にも援用されている。

「俺は金の為に世界の紛争地域を渡り歩いてるが…」
「オマエ(ラッセル・プライス)は
お涙頂戴の記事の為に世界の紛争地域を渡り歩いてる」
「何の違いがあるんだよプルゥゥゥラァァァイス?」
「またぞろ東南アジアで紛争の臭いがプンプンするぜェェェ」
「「次」はタイで会おうプライス!」
(是非とも若本規夫氏の巻き舌でお読み下さい。)

俺はゲスだがオマエに俺を説教する資格はないぜ。
何故ならオマエもゲスだからだ。
ま,ゲス同士精々仲良くしようぜ!

これこそがロジャー・スポティウッド監督の卑しい心根の正体であり
独裁者の軍事弾圧も独裁政権への抵抗も等しくクソであると
ミソもクソも一緒くたにして
解放戦線の戦いの価値を泥に塗れさせる常套手段なのだ。

とは言えジャーナリストの本質はセンチメンタリズムであり
大衆がお涙頂戴を求めている…という本作の指摘は的確であると言える。
フランス革命時にジャーナリズムが存在したら絶対に革命側に立って
バスティーユ牢獄襲撃の模様を
嬉々として実況中継したに違いないからである。

ジャーナリストは抑圧される側の抵抗に恋をして
今日も紛争地域を渡り歩くと結論され映画は閉じる。

本作はゲスな出歯亀下心と真実を伝えんとする使命感は
表裏一体だと良く描いてるよホントにね。
そしてその…「ゲスな出歯亀下心」が実に実にじっつっにっ
「いい映画」を作らせるんだよね…チクショウコノヤロッ!

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