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NHK「浦沢直樹の漫勉neo「島本和彦先生回」」レビュー「漫画家は取材を怠ってはダメ,人と向き合う事を恐れ,参考文献と向き合ってはダメなんだ。」

そのペン先から如何なるドラマでも生み出すことが出来る「漫画」。
この番組は普段立ち入ることが出来ない漫画家の仕事場に密着し
創作の秘密に迫って行きます。
仕掛人は浦沢直樹先生。
数多くのヒット作を持ち
海外からも注目を集める現役の人気漫画家です。

今回取り上げるのは「アオイホノオ」を現在連載中の
熱血漫画家・島本和彦先生。

僕は「漫勉」ニワカなのですがナマイキに分析させていただきますと
「漫勉」には大きく分けて2つのアプローチがあるようです。
1.取り上げる漫画家が既にお亡くなりの場合。
2.取り上げる漫画家が存命中で現役バリバリで漫画を描いておられる場合。

前者の代表が手塚治虫先生,水木しげる先生で
浦沢先生が直接手塚先生や水木先生に取材出来ませんので
手塚先生や水木先生を間近で見ていたアシスタントさんへの
詳細な聞き取りが主体となり,
浦沢先生が「現役の漫画家である」という伝家の宝刀を抜かれ
「手塚先生は何故雑誌アサヒグラフを下敷きに描かれるのか」
「手塚先生は何故手首を起点に描かれているのか」等々の疑問を
浦沢先生が実地で試して,その理由を探って行く
ある意味考古学にも似た検証を行って行く知的遊戯の趣があります。

しかしながらコレは苦肉の策であり
本当は浦沢先生は
手塚先生や水木先生に「直に」謎を尋ね,
両先生が漫画を描かれる模様を「直に」取材したかった筈なんだ。

島本和彦先生は現在「アオイホノオ」を執筆中の現役漫画家であり
島本先生がネームから鉛筆で描かれ,ペン入れされ,
水彩で原稿を着色されて行く模様をカメラが追って行く。
「コレ」が本当に浦沢先生が観たかった事・取材したかった事であり
「ソレ」が出来ないから
「自分で描いてみる」という伝家の宝刀を抜かれたのだ。

質問も勿論島本先生御自身に直接されている。
島本先生の特集なのだから島本先生に直接聴く。

浦沢先生の根本には「徹底的に一次取材に拘る」があり
「間に人を噛ませる」と「情報の純度」が損なわれると
考えておられるのではないだろうか。

従来の漫画評論は評論家と漫画が向き合っているのに対し
浦沢先生は漫画家本人と向き合っている様に思える。
前者は取材の必要が無いが後者には取材の絶対の必要がある。

よくさ。
特撮やアニメの参考文献を沢山持ってる素人が
知ったかぶりの論説を展開してると
その参考文献に登場する本人から考え違いを指摘されてるのに
「いえ僕は貴方より参考文献を信じます」
って間違いを認めない人がSNSにいるけど,その考えおかしいでしょ。
関係者の方は
「参考文献を読んでないで直接俺に聞きに来いよ」
って苦言を呈されてるんだよね。
「参考文献に書いてある事」は間に「編集」が噛んでいて情報の純度が低く
何で関係者本人の話を聴かないのか,何故取材しないのか,
何故人と向き合う事を恐れ,参考文献とのみ向き合うのかって
疑問が…不満が僕にはある訳です。

梶原一騎原作・川崎のぼる先生が漫画を描かれる
「男の条件」って漫画で
「漫画家は一にも取材,二にも取材,三にも取材!」
「これなくしては所詮でっちあげ話に過ぎん!」
って台詞があって漫画家は取材を恐れてはいけない
人と会う事を恐れてはいけないって戒めてるんだよね。
岸辺露伴先生も
「漫画家は頭の中で話を考えていると思われがちだがそれは違う!」
「漫画で一番大事なのはリアリティだ!」
「そしてそのリアリティは取材によってのみ生まれるのだ」
って言っておられるんだよね。

人と向き合わなくてどうして人が描けるのか。

浦沢先生は特集する漫画家に直接会って話を聴きたい。
直接漫画を描いてる様子を取材したいんだよ。

何故なら浦沢先生は漫画家で取材が漫画の命だって御存知だから。
視聴者も現在連載中の漫画の原稿が
リアルタイムで完成して行く模様を拝見するのが最も幸せで
手塚先生や水木先生の特集のときは
浦沢先生御本人が描かれる模様を
リアルタイムで披露されているのだと思う。
だってそれが視聴者が…読者が一番幸せだって御存知だから。

島本先生は御自分の可能性を模索する過程で同人誌を出され
僕も島本先生の「ハートキャッチプリキュア」同人誌や
「シン・ウルトラマン」の同人誌を買わせていただいております。
本レビューでは途中から島本先生を置いてきぼりにしてしまったから
島本先生の同人誌のレビューを書いて
大変な失礼を詫びたいと目論んでいるのです。

島本先生の漫勉で一番素晴らしいのは
島本先生と浦沢先生の会話が全然噛み合ってない事。

それぞれが一国一城の主で一家言どころか百家言ある
極めて我の強い同士の話が噛み合う訳ないんだよね。
武田信玄と上杉謙信の話が噛み合うと思う?
寧ろ相手の発言の言葉尻を捕らえて
如何に自分の話の中に取り込もうか虎視眈々と狙っている二頭の獣が
急所を狙い合って牽制し合ってるのを拝見出来たのが収穫でした。

創作者の「取材」ってのは取材対象を
「情報」として自分の中に取り込む事,「捕食」する事なんだと分かる。
創作者同士が「取材」し合うって事は互いの喉笛に食らい付く事なんだ。


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