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フィル・スティーヴンス監督の映画「フラワーズ」&ロニー・ソーター監督の映画「シニストリ」レビュー「出口の無い巨大な母親の胎内巡りを強要される6つの命は母親から産まれる事を望まれなかった厩戸皇子の絶望を具現化してるのだ。」

VIDEO VIOLENCE RELEASING(VVR)さんから出た
映画「FLOWERS フラワーズ」のBD-Rには
1.フィル・スティーヴンス監督の映画「FLOWERS フラワーズ」
2.「フラワーズ」で編集を担当した
ロニー・ソーター監督の映画「シニストリ」
の2本が収録されている。

1.フラワーズ
奇怪な屋敷で監禁された状態で,
それぞれの場所でそれぞれ目覚めた6人の女が辿る冥府魔道。
屋敷内が巨大な胎内として描写され
6人のチャレンジャーが胎内巡りをしながら「出口」を探す。

僕は昔…「同じ様な光景」を見た事がある。
高校生の頃,修学旅行で
京都のとある寺を訪れたとき「胎内巡り」をして
そのとき見た光景と酷似しているのだ。

神社仏閣の「胎内巡り」は仏様の胎内を巡る事により
生まれ変わって願いを叶えて貰える様に
暗闇の道を通り抜ける儀式の事を指し
仏様の胎内からオギャアと産まれ直そうと言うのである。

フィル・スティーヴンスの念頭に京都の神社仏閣にある
仏様の胎内巡りがあり彼の脳内で胎内巡りが再構築され,
巨大な女体の胎内を巡って6人の女が産まれ直そうと
暗闇の道を通り抜けようと言うのである。
巨大な女体の胎内はヌメヌメとテカる内臓の迷宮であり
長居すればする程,穢されて行く。
しかも…この迷宮には「出口」がある保証がないのである。
つまりこの6人は「産まれる事を全く祝福されない6つの命」であり
死産や流産を望まれた命なのだ。
巨大な女体は「仏」などではなく…。
僕の脳裏に山岸涼子先生の「日出処の天子」…厩戸皇子の
「人は仏になどなれぬ!」との言葉が甦る…。
厩戸もまた「母親から祝福される事の無かった命」であり
雌雄同体のまま産まれた奇形児であり
母親の愛を知らぬが故に男にしか心を許せない「可哀想なひと」なのだ…。
折角産まれて来たのに母親から投げかけられた言葉が
「産まれて来なければ良かったのに」
「オマエはニンゲンではない」
だとは…。
フィル・スティーヴンスは山岸先生の著作を読んでいるのではないのか…?
でなければ斯くも奇怪な世界観が構築されたとは到底思えないのだ…。

最初「フラワーズ」を観たとき…「何が何だか分からなかった」が…。
アレは清水寺の胎内巡りが
「日出処の天子」の厩戸皇子の母親から産まれる事を望まれなかった絶望が
母親の胎内を「出口の無い迷路」として表現してるんだと気付いたら
霞が晴れて行く様に分かる様になった…「人は仏になどなれぬ」のだ…。

2.シニストリ
銀行強盗3人組が銃撃戦の末,
1人が死に残りの2人が森の中の屋敷に逃げ込む。
だがその屋敷には大量殺人鬼の怨霊が眠っていたのだ!
安眠を妨げられた怨霊と銀行強盗の1夜の攻防を描く。

「死霊のはらわた」直系の作品であり
「フラワーズ」に比べて非常に分かり易い。

ビデオ画質で観るホラー映画は怖さ三倍段!
血飛沫が飛び生肉が踊る剛速球スプラッター!
役者のヘボい芝居,ありきたりな台詞回し,安直な脚本,全てが素晴らしい!
中二病が考えた様なオチも最高!
ホラー映画はね,お洒落でなくていい,こういうのでいいんだよ!

最初見たとき「分かり易い」
シニストリに好感を持ち上記の感想を書いたが…。
しかしながら…「絶望度」は圧倒的にフラワーズの方が高い。
産まれる事を望まれない命が
無限に母親の胎内を彷徨い続ける無間地獄を描いているが故に
寧ろ日本人こそが「フラワーズ」に深い共感を持ち得るのではないか。
「産まれて来なければ良かったのに」
母親に疎まれた厩戸の絶望に共感し得る人間ならば
「フラワーズ」は一生心に刺さり続ける作品となり得るのだ。

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