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映画「キャリー」レビュー「例え如何なる境遇の者であろうと一生に一度だけは自己の運命を覆し得る場に立つ事が出来るのだ。」

狂信的な母親(パイパー・ローリー)に育てられ「初潮」の意味すら
母親から教わっていなかったキャリー(シシー・スぺイセク)は
学校では酷い虐めに遭い
「キャリー・ホワイトはウンコを食べる」
と中傷される毎日。
そんな地獄のような日々を送る彼女が人気者トミー(ウィリアム・カット)にプロム(高校のダンスパーティ)に誘われる。
トミーにはスー(エイミー・アーヴィング)という恋人がいるのにどうして…。
戸惑う彼女だが生まれて初めて訪れた「ハレの日」を
見送る気には到底なれない。
母親は当然頑強にプロムへの参加を反対するが,
その反対を押し切ってプロムへの参加を強行する。
母親は「オマエは笑い者になるのよ!」と
呪いの言葉を娘に投げつけるのだった…。

キャリーには念動力という超能力があり,
母親は「オマエは魔女だ」と罵るが,
本作は青春映画として描かれて行く過程で
意図的にプロムのクイーンに選出された彼女に
恐るべき辱めが待っていた…。

いじめられっ子のキャリーが怒りを爆発させて
プロム会場を地獄絵図に変えるのが本作のクライマックスとして描かれる。

漫画家の高橋留美子先生はキャリーの体育教師のコリンズについて触れられ,

コリンズは虐めに遭っているキャリーの身を案じる風を装っておきながら
彼女が満座の笑い者にされると一緒になって笑っていた。
あの教師が一番残酷なのだ。
もうキャリーが何をしても私が許す!

とコメントされている。
彼女は母親の言う通り「魔女」かも知れないが,
周囲の人間が寄ってたかって彼女を「魔女にした」のだ。

僕は彼女が満座の笑い者にされた事よりも,
彼女の母親の「オマエは笑い者になるのよ!」って「予言」が的中し,
彼女が
「やっぱりお母さんの言う事は正しかった」
「これからもお母さんの言いなりになって生きるのが
「私の生きる道」なんだ。」
と諦観し,彼女のたった一度の「ハレの日」が終わり,
母親の言いなりになって生きる「日常」が戻って来た事の方が
余程酷い「地獄」だと感じました。

僕が小・中学生の頃,酷い虐めに遭って,道端の草を食わされたり,
ストーブで熱せられた業務用の金ヤスリをあてがわれたりと,もう散々。
挙句付いた仇名が「植民地」。
「何をされても文句は言えない」という意味ですね。
僕にもキャリーと同じ様に新興宗教にハマり僕を総本山に強制連行し,
信者の人達と共同生活をさせた狂信的な母親がいました。
なので映画「キャリー」を観てお腹がキュウキュウ痛くなって,
「僕にはキャリーの様な超能力は無い」
「ではどうすればこの地獄から抜け出せるのか」
を毎日毎日考え続けて
「頭が破裂する程勉強して,
いい学校に進んで,母親やいじめっ子と距離を取る事」
と結論し,結論を実行しました。
後にも先にもあれ程勉強したのはあの時だけです。
僕が勉強する勇気はキャリーから授かったのです。

後年山口貴由先生の「シグルイ」を読んで,
舟木一伝斎の
「どのような境遇の者であろうと一生に一度だけは」
「自己の運命を覆し得る場に立つことが出来る」
って言葉に涙しました。

今虐められて死ぬ事ばかり考えてる方にも,
そうした場が訪れ,そうした場を決して逃さない様,
祈念してレビューを閉じさせていただきます。

「自分の運命」を覆してやれ!

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