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映画「スクール・オブ・ロック」レビュー「せめて一矢報いてやる!」

30歳の坂を越えても全然芽の出る気配すらないロックバンドで
ひとり気を吐く暑苦しい男,
それが本作品の主人公デューイ(ジャック・ブラック)だ。
彼が客席に向かってダイブしても誰一人受け止める者はいない。
悲しい哉それが現実なのだ。
彼は自分が結成したバンドから追い出されても
現実と向かい合おうとしない。
自分が「負け犬」であるという現実を受け入れない。
だがカネがないという現実からは流石に眼を逸らせない。

そんなとき同居人宛に電話がかかってくる。
至急代用教員が必要であるという
名門校の校長マリンズ(ショーン・キュージャック)の話を聞き
一計を案じたデューイは同居人に成り済まし
代用教員として名門校の教師となった。
勿論カネ目当てだ。
規律の厳しい校風,厳格な両親から抑圧された
子供たちの目には光が一切差していない。
ロックの本質は体制側への反抗だ,怒りだ。
デューイは子供たちが見失った反抗心と怒りを取り戻すべく
ロックバンドコンテストに子供たちと共に出場し優勝することを目指し
子供たちにロックの何たるかを伝授し始めるのだった…。

本作品における最大の特徴はロックがとっくの昔に
MTVを筆頭とする体制側に負けていることを認めている点である。
そして負け戦であることを重々承知の上でせめて一矢報いる,報いてやる,
という反骨精神が巧みに描写されているのだ。
子供たちがデューイから教わった「反抗」を
「自分の意思を表示する」と解釈して
目に光が戻って行く描写も素晴らしいが,
デューイが
「俺にはロックの才能がない」「それを認める」
「でもロックへの情熱は誰にも負けない」
と自己評価して自分自身と向き合う事を
子供たちから学んで行く描写が取り分け素晴らしい。

本作品の脚本は「グッド・ガール」の脚本を書いたマイク・ホワイト。
人生の「闇」を知らぬ人間に「光」を描くことは出来ないことを
証明してみせたのだ。

本作品が公開されるとニューヨーク・タイムズ,
ウォールストリート・ジャーナル,エンタテインメント・ウィークリー,
グッドモーニング・アメリカは絶賛の言葉を惜しまなかった。
僕としてはやや複雑な気持ちとなる。
体制側が絶賛する映画が果たして「ロック」なのだろうかと。
そもそも「ロック」は学校授業で教えられるものなのかと。
しかしよくよく考えてみれば
「ロックがとっくの昔に体制側に負けている」
ことの,これ以上ないくらいの証明となっており
本作品が「負け戦」を赤裸々に描いた物語であるとも言えるのである。

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