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シリーズ人間 若山達也 (ブラジリアン柔術黒帯 プロシューター)第一回 

さあおまっとさんでした。

今回は元自衛官、ウーバーイーツ の配達員、黒帯柔術家、
そしてプロシューター等 
様々な肩書を持つ若山達也さんのお話を沖縄まで聞きに行きました。
燃え尽きない44歳の半生。
全四回。
まずは柔術を始めてブラジルへ柔術修行に行くお話です。



若山達也(ワカ若山)
千葉県銚子市出身  ブラジリアン柔術黒帯 プロ修斗戦績7戦2勝4敗1分

若山さんTwitter

https://twitter.com/inlinkbjj

若山さんnote

https://note.com/wakabjj



ー  試合次あるんですか?

ワカ いやー決まってないですね。

浩司 こいつが若山さんの試合観て

   すごい感動して泣いたとか言ってて。

ー  いやーぼくも最近試合出る事について

   これからどうしようか迷ってるところだったので

   ほんとに感銘を受けました。

   とりあえず飯頼みましょうよ。

ワカ じゃあ日替わりでいいですよ。

ー  もっと高いの頼んでください。(笑)

浩司 おれはステーキ食って太っちゃうよ。

   どうせもう太ってるし

ワカ 今何キロですか?

浩司 いやー太っちゃって

   今は八十キロぐらいですけど

   一番いった時はコロナの時で八十八くらいはありましたよ。

ワカ ブラジルいた時はライトフェザーでしたよね。

浩司 減量なしでそのくらいでしたもん。

ワカ けっこうスパーしましたよねブラジル一緒いる時は。

浩司 同階級くらいでしたしね。

ワカ みんな他はデカかったですもんね。

浩司 ブラジル人は大体ミドルくらいで。

   練習がはじまるとテレレが

   「じゃあお前はワカで組め。」

   っていう感じで。

ー  二人のスパーはどうだったんですか?

浩司 結構おれの方が抑え込まれたりしてたね。

   おれ的にはわりかし活躍してる大きいやつよりも

   若山さんの方がやりずらかったですね。

ワカ いやいやそんなことないでしょう。

浩司 いやほんとですよ。

   若山さんはスタミナ無尽蔵系だから

   やっててこっちが疲れて

   やになっちゃう感じで。



コウジさんがひょうきんなポーズで写っている2004年のある日の夜練


ー  今はどういう頻度で練習してるんですか。

ワカ 今は月水金ですね。

   (店員さん来てオーダー)

店員 ご注文は? 

ワカ 日替わりランチください。

ー  さあ仕切り直してさっき時系列に沿って聞いたんですよ。

ワカ 中学生の時バスケやってて

   高校の時はメタルが好きで何もしてなくて

   メタルが好きで長髪にしてたんですよ。


   大学三年の時にホイラー対桜庭の試合をみて

   総合格闘技に興味を持って

   それまでは格闘技なんて

   あんなものは力の強いほうが勝つに決まってる

   筋肉バカのやるものだと思ってたんですよ。

   その試合で格闘技に興味を持って

   当時住んでた近くにあった

   相模原のゲオが格闘技関係が

   充実していてそこに置いてった

   プライドを全部見てUFCもみて修斗をみて

   修斗になる前のシューティングも見て
 
   中井さんと草柳さんの試合も見てましてね。

   バーリトゥードアクセスですよ。

    ( VALE TUDE ACCESS 2
     【修斗ウェルター級王座決定戦】1994年11月7日)

浩司 おれもそれみました。(笑)

   朝日さんがパッケージなんですけど

   メインがケンドーナガサキ対ジーンフレージャーで

   中井さんとジャンジャックマチャド

   (=ジアンマチャド)が柔術マッチで

   試合後にジャンジャックがインタビューで

   「ナカイは青帯だ。」

   というやつね。


    (浩司の話している大会は
     修斗 VALE TUDE PERCEPTION1995年9月26日
     ケンドーナガサキが倒されてるパッケージ。)
  
     ※映像を確認した所
      柔術黒帯のジャンジャックに対し
      中井氏は柔道の物らしき
      使い込んだ黒帯を巻いていました。
      中井氏に確認した所

     「あの時点ではブラジリアン柔術の帯は
      持っていませんでした。
      仰るとおりボロボロの柔道の黒帯でした。
      今でいうサブミッションオンリーの試合を
      マシャードとする、
      ということで当時は柔術を
      本格的にやるという気持ちでも
      ありませんでした(汗)。
      (ジャンジャックの言葉は)
      仮に柔術家だったら、の意味だと思います。
      まあ、その通りでしょうね(苦笑)」

      との事でした。

ー  記憶が鮮明ですね。

浩司 ナガサキが救急車で運ばれるシーンまで

   ばっちり収録されててさ。(笑)

ワカ 朝日さんが
 
   「みんなケンドーナガサキ見に来たんでしょ?」

   って試合前のインタビューで言ってて。

浩司 言いそう。(笑)

ワカ それで修斗には軽量級があるって知ったんだけど

   近くにケーズファクトリーがあるのを知ったけど

   怖いから行かなくて

浩司 あそこは当時いかつい印象ですもんね。

ワカ たぶん行ってたらすぐやめてましたから
 
   行かなくて正解でしたよ。(笑)

   それで自衛隊入ってる時に時に柔術始めたんです。

   自衛隊は最初教育期間ていうのがあって
 
   それが神奈川の横須賀だったんですけど
 
   配属されたのが木更津でそこで柔術サークルで始めました。

   隣に君津市があって今は常設道場なんですけど
 
   当時は中学校の体育館で

   「アンダーグラウンド」っていうサークルがあって

   当時は北出(拓也)さんがいましたね。

   北出さんは当時市原の工場で働いてたんですよ。

   北海道出身で高専出身で

   ストライプル行徳で

   平直之さんのお弟子さんだったんですけど

   あそこは週二回しかなかったんで君津でも練習してて

   その時は当時青帯だったんで

   三角とかバンバン極められてましたね。 

   2001年か2002年頃で

   その頃は青帯も少ないころだったんですよ。

   最初にお会いした時はまだ白帯でしたし。

   1~2か月後に白帯カーニバルで勝って

   優勝して青になってましたね

   それで極悪って書いてあるTシャツ着てましたね。
 
   黒ベースの生地に白文字の。

   あの人は変わってましたね。

   「俺は結婚しない。一生風俗でいい。」

   とか言ってて。(笑)

   それで自衛隊で200万貯めるんですが

   ブラジル行くのに怖いからどうしようと思って。

   当時ネットとかないから情報がないのでやっぱり怖くて

   踏ん切りがつかなくて切り崩しているうちに

   120万になっちゃってそろそろ動かないとやばいと思って

   ちょうど2002年のワールドカップの時の六月に

   自衛隊やめたんですけど

   実際行ったのは2003年の七月なんです。

   それでまずポルトガル語を勉強しようと思って探すんですが

   それも全然勉強できるところがないんですよ。

   それで探したのが四谷の上智大学に

   ポルトガル語の社会人講座があって

   それが三か月だったから自分の中で踏ん切りつけるために

   それが終わったらブラジル行こうと

   思って講座が終わる翌日にブラジル行きの
 
   チケット取ったんですよ。
 
浩司 その社会人講座役に立ちました??

ワカ 全然。(笑)

   その時に馬場さんにメールして

   ヒロブラジリアン柔術に来たんですよ

   浩司さんに初めて会ったのはブラジル行く二週間前ですよ。

   ブラジルでカレー屋さんやってた小林さんに

   「フィギュアとか持っていってほしいものがあるから。」

   と馬場さんに言われて取りに行ったんです。

   その時にお兄さん(浩司)がいらっしゃって

   馬場さんに

   足関十段のお兄さんだよ。

   って言って教えてもらって。

   それで馬場さんに小林さんがブラジルで空港に

   迎えに来てくれるように

   連絡してもらって小林さんが

   五個くらい道場に連れてってくれたり

   住所教えてくれて自分で行ったりして。

   そもそもは馬場さんが

   ブラジルから帰ってきて道場始めた

   という記事をみて

   馬場さんにメールしたらじゃあ道場来てもらって

   話ししましょうというので

   行ったんですよ。

   そしたらまだその頃は道場に

   なんにもなくてただマットしいてるだけで
 
   備品もシャワーもなんにもなかったですね。

   その時いた渋谷さんが

   この前アマゾンさんと試合してましたよ。

 

ー  若山さんこの記事は覚えてますか???

日本の若者ブラジルで将来を模索(6)=若山達也さん(25)=ブラジリアン柔術に魅せられる=日本に帰って道場を – ブラジル知るならニッケイ新聞WEB 3月31日(木) 八〇年代から九〇年代、サッカー留学生がブラジルの技術習得を目指し次々と来伯した。現在、ブラジル在住の www.nikkeyshimbun.jp


ワカ あ~これは研修生のやつです。

   覚えてますよ。

   日本ブラジル交流協会の研修生が

   毎年40人くらいブラジルに派遣して

   ブラジルの日本企業で仕事しながら

   ブラジルを学ぶというのがあって

   それの研修先でサンパウロ新聞とかの人が
 
   取材してくれてって事だった
 
   と思いますね。

   それで道場五個くらいみて

   TTが常設だったのでTTにしました。

   他はスポーツクラブの中のところが多くて

   レオジーニョのバルボーザも常設じゃなかったし

   その時はテレスがすげえ金持ちだったので

   道場もすごい広くてエビで往復するのも大変でしたね。

   エビやらされすぎて肩の皮がむけて大変でしたね。

   そのマットスペースとは別に

   トレーニングのスペースが同じくらいの広さが

   あってそこが普通のスポーツクラブっていう感じで。



TT柔術外観、2階が道場



この広いタタミを一日2回昼練と夜練の後、つまり30分×2回掃き掃除してました。



こちらがウェイト器具エリア


浩司 階段上がった受付に若山さんよくいましたよね。

ワカ そうそう受け付けは内弟子だった

   ハファとかカイサラとかの仕事なんですけど 

   スポーツクラブが七時のオープンになっても
 
   そいつらが全然起きてこなくて

   自分が七時に開けてやってましたね。

   みんな上に住んでるのに。(笑)

   二階がジムで三階が普通のアパートなんですよ。

   それで四階が違法建築みたいな

   掘っ立て小屋があってそこに内弟子がみんなで住んでて

   みんな若いからどんちゃん騒ぎしちゃって寝ないんですよ。

   だから俺は道場で寝てましたね。

   巻き込まれたくないから。

   自分以外はみんなブラジル人でしたよ。



2005年7月 昼練の後



ー  内弟子というのはみんな目標はあるんですか?

ワカ ムンジアル(=ブラジリアン柔術の世界選手権)

   のチャンピオンですね。

   家賃はいらなくて

   出場費とかも俺は自分で出してましたけど

   奴らはテレスに出してもらってましたね。

ー  それは有望な奴だから出してもらえるんですか?

ワカ いや単純に金がないからです。

ー  それでテレスが仕方なく出す感じですか? 

ワカ そうですね。(笑)

浩司 その代わりにみんな掃除とか

   さっきのジムの受付とかをするようなイメージだね。

ワカ それでコブリーニャ(=フーベンスシャーレス 

   のちのすごいチャンピオン)

   が掃除なのに全然やらないから

   すごい喧嘩して一か月くらい口きかなかったりしましたね。

   そのころはまだ茶帯でしたけどすごい奴とけんかしてましたね。(笑)

   みんな地方から出てくるんですよ。

   東京に出てくるような感じで。

   コブリーニャも田舎の出身で。

浩司 マイケルランギが青帯の時に

   若山さんが道場で急に

   「マイケル君です。日系人で強いんですよ~。

   ムンジアルの青帯で7回勝って優勝したんですよ~。」

   とか言って紹介してくれて。

   今では立派になっちゃいましたね。



2005年 試合会場にて


ー  そのTTでは内弟子になるのは
 
   なにか選考とか

   試験みたいなものはあったんですか?

ワカ 入ってから事務所でみたんですけど

   履歴書が全国からいっぱい送られてきてて

   積まれてたんですよ

   MMAファイターになりたいとか書いてる

   地方の子の写真付きのやつが

ー  若山さんはどうやって内弟子になったんですか?

ワカ 僕はですね~。

   うまい方法を考えたんですよ。

   その時ビラマリアーナにある

   栃木県人会に住んでたんですよ。

ー  こうじはその時は?

浩司 俺は山口県人会。

ワカ 最初は小林さんが泊さんがいた宮城県人会に

   入れようとしてくれたんですが

   行ったらもう来月から改修工事だから

   新しい人は入れない

   って言われて泊まるとこないじゃんってすごい焦って
 
   小林さんがブラジルで初めて

   ミュンヘンオリンピックの柔道で銅メダル取った

   栃木出身の石井千秋先生っていう

   日本で三番手ぐらいだったからブラジル移住して

   ブラジル代表でオリンピック出た

   ブラジル柔道の父といわれる人がいて

   その人が栃木出身で馬場さんも仲良くて

浩司 三女も柔道のブラジル代表なんだよね。

ワカ それで石井先生に小林さんが電話してくれて

   柔道やりに来た子がいるから泊めてもらえませんか?

   という感じで電話してくれて

   栃木県人会の会長と面接になったんですよ。

   「それで柔道は何段なの?」

   って聞かれたので

   「柔道二段です。」

   とか言って話し合わせて。

   柔道はやったことないんですけどね。(笑)

   それでなんとか住むところは確保したんです。

ー  (笑)

ワカ それで内弟子にどうやってなったかですよ

   内弟子は半年間栃木県人会にいたんですけど

   その時は一日十二時半と八時半の二部練で

   歩いて片道十五分だから一日二往復で一時間歩くのが

   だるくなってきたんですよ。



2004年くらいTT柔術の昼練

   それで最初は練習もきつかったんですけど

   だんだん慣れてきてたまに夜練が終わった後に

   アンドレとか通いの内弟子とかがテレレ監督の元で

   練習が始まるんですよ。

   自分も強くなりたいからそこに入りたいなと思って

   その時に内弟子がいてそこに住んでるという事を

   知るんですよ。

   それで入りたいけどテレレは監督みたいな感じなので

   言うのはちょっと怖くてアンドレにウソついて

   「県人会に半年しかいられないから

   住むとこないんだよね~。」

   って言っといて

   それでほんとに退去の手続きして

   サムソナイトのスーツケース持っていって

   夜練終わって佇んでたらアンドレがテレレに

   ワカが住むとこないみたいだよって電話してくれて

   そっからなし崩し的に内弟子になりました。

   でもそれは失敗でしたね~。

   むちゃくちゃ後悔してます。

   結局電話番も掃除も全部させられるし

   筋トレの器具のところまで

   七時に起きて掃除して練習して



ストレッチスペースに腹筋用マットを並べてベッド布団代わりにして寝てました




冬になったら寒いので、階段下の掃除用具置き場が寝室に




ー  それはだれもやらないとやらないとおこられるという感じですか?

ワカ アンドレは茶帯でクラスやってるからやらなくていいんですよ。

   でもコブリーニャはなんもしないっす。

   自分はやっぱり日本人だから

   やらなかったらとかいう選択肢はないんですよ。

   その頃グレイシーマガジンかなんかの雑誌の

   TT内弟子特集があって

   そこに青帯の「掃除人」って載ったんです。

浩司 おれそれ帰って日本でみましたよ。(笑)

ー  練習はケガとかはなかったんですや?

ワカ ケガはしないように気を付けてましたね。

ー  そのテレレの内弟子練習はどんなんだったんですか?

   みんなで輪になってその中で

   テレレに指名された奴が90秒で

   取りに行くスパーするやつですね。

   みんなサイズがでかいんですよね。

   そこはテレレがうまくアンドレを連続でやらせて

   五本目くらいで疲れたところで僕をぶつけたり

   いい塩梅にしてくれましたね。

ー  そんなこんなでTTは崩壊しちゃうんですよね。

ワカ アンドレとキッド山本かキッジ山本かで大ゲンカしたんですよ。



2004年1月くらい 元DEEPファイターのbarbaro44選手(左から二番目)が修行に来ていた時 
真ん中がアンドレ(ガウバオン) 




ー  なんですかそれ?

ワカ ポルトガル語読みではKIDはキッジになるんですよ。
 
   でもキッドにきまってるじゃないですか。

   だから金持ちの英語話せるウイルソンにどっちだ?って

   確認して俺勝ちましたもん。

   (ブラジル人は金持ちは英語話せる人が多い)

ー  それで一旦若山さんは日本に一か月帰るわけですよね。

ワカ その頃に付き合ってた彼女が結婚したい

   ってなってそれで。

ー  なれそめはなんだったんですか?

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如何でしたでしょうか?

次回は若山さんのブラジルでの生活にスポットをあてます。

ぜひお読み下さい。



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