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【自己紹介】虐待と不倫、自殺未遂で地獄の淵から這い上がった僕が明るいバク転Youtuberになるまで(10,000文字)

1.あんたみたいな出来損ない産まなきゃよかった!

2.自分を支えたバク転

3.唯一認めてくれた人妻

4.体操を捨てて一番をつくる

5.狂い始めた歯車

6.灰色世界の住人になった日

7.闇の中で見つけた希望


俺はいつでも死ねる。

この世界に居場所はないから。
あとは死に方を探すだけ。

苦しいのは嫌だし、
失敗して後遺症を抱えながら生きるのは
もっと嫌。

だから完璧に死にたい。

ある日の自分はそんな計画を立てながら
パソコンの画面を見て情報を探っていました。

正直、ここで打ち明けるストーリーは

世に出したくないものばかりです。

でも思ったのです。

人に言えないなら糧にしきれてないんじゃないかと。
だから僕は暴露する事に決めたのです。

あんた見たいな出来損ない産まなきゃよかった!

よく人は、
「ボタンを掛け違えた」と表現する。

いつ掛け違えたのかも、何故掛け違えたのかもわからない。

気がついたら掛け違っていたのだ。

始まりはわからない。
探すのも嫌だ。
直すには相当時間がかかるだろう。

そしてある日も新たな傷が心に刻まれる


「ふざけんな!お前になんか感謝してない!」


「お前ってまた誰に向かって言ってるんだ!
お前みたいな出来損ないが出来た
こっちの気持ちわかるか!!?」

【あんたみたいなの産まなきゃ良かった!!!!】


売り言葉に買い言葉。
言葉の売買が行われる度に熱くなるのは言葉と体温だけ。
繰り返す程に心は冷えていく。

この家で暖かさをくれるのは暖房機だけらしい。

「これは別に普通で異常なことではない」

当時の僕はそう思っていた。
うちが特別やばい家庭だなんて自覚は1ミリもなく。

色んな家庭はあるけれど、
こんな台詞が吐かれる事は中々ないのかなと
今は思う。

中学生になって力が逆転した事に気づくまでは、
「暴言」に加え「暴力」と「圧力」に怯える日々を過ごしていた。

だから中学生以降の争いでは怯えるものが
一切なく、小学生の時期に比べればまだマシだった。

これでまだマシだったって、
「じゃあヒドイ時はどんなだったんだ?」
って思った方もいるかもしれません。

そりゃあもうヤクザの家庭かってくらい
厳しいルールと血で血を洗う争いが。

家の中の社会は母を中心に回っている。
この小さな社会の法律は母が作り出す。

・家の中のいかなる物も汚すべからず
・家の中のいかなる物も壊すべからず
・小学校のテストは80点を切るべからず
・親に向かって口答えをするべからず

これらを破ると、ペナルティが科された。

「なんで!?」と何度思ったことか。

心身への暴力にゲーム禁止、
テストの復習地獄加えて幾度かの流血事件。
鈍器やハンガーで殴られる事もあれば、
ハサミが飛んできて腕から血が流れる事も
あった。

小学校のテストでひとたび60点を取れば、
頭を抱え呆れた顔で

「ちょっとそこ座りなさい」

と大人の時間を過ぎても問題の解き直しが
終わるまで寝かせてもらえない事も。

皆さんは抑圧され、
ある種の罰ゲームがかかったような状況で
勉強をした事はあるだろうか?

こうした教育の末手に入れたのは
国立大学にもいけないような学力と、
二言目には脳裏によぎる

「カアサンニオコラレルカモ」

という呪文、
そしていくつもの呪い(トラウマ)だった。

しかし僕はどんな経験も必ず活きると、
いや、活かすと思って今日も生きてます。

どんな逆境も糧にしていく
バク転youtuberのむらとです。

冒頭から結構衝撃的な内容だったかと思います。


でも決意しました。
「もし私の生い立ちが誰かの役に立つのなら!」と。

もしあなたが続きが気になると、
もっと私の事を知りたいと思うなら続きをご覧ください。。。


自分を支えたバク転

そうして何かにつけては
「お母さんに怒られる」
という考えがよぎるようになった僕の心は
とても不安定だった。
だから没頭できるものが僕の心を支えた。

それが器械体操だ。

これは中学2年の時に消去法で選び、
最初は宝物と呼べるような代物ではなかった。

楽しく続けられるくらいにはハマったのと、
家庭の影響のせいかあらゆる大失敗を恐れて
すっかり「超」のつく安定志向になった僕は、

「継続は成績に有利」

という理由で続けたものだったからだ。

だから高校で部活を引退するまでは
スポーツさえも

「言われたからやる」

という【受動学習】だったが、
引退した日から覚醒したのだ。

皆んなが受験勉強に勤しむ中、
心の中で義務という鎖がパーン!と
弾けたような感覚になった僕は

体操が楽しくて毎日練習に通った。

ランニングやトレーニングの足音、
活気の溢れる声で響く渡り廊下を歩いて
照明で満ちる体育館に入っていくと。

「また来たのか!」と先生は言った。

蹴って飛んで回って体操の練習をすれば、
「先輩現役の時より上手くなってません?」
と後輩は言う。

「マジで?w」と
表情筋を緩ませながら反応してたと思う。


こんな不真面目な受験生、
みなさんは見たことありますか?
僕は他に見た事がない。


今思えば、
受験勉強の時間を体操に費やしたんだから

そのくらいの変化があって良かったなとも思う。

気付けば辺りは桜が芽吹き、
僕は体操部に入部するつもりで大学に入学していた。

来る日も来る日も体操の事を考え、
練習し、研究に没頭。

時にはみんなが授業に没頭する中、

一人だけノートの右下に体操をしている
棒人間を描いてパラパラ漫画で
未来の自分を確認するなんて事もしていた。

「見て!」

そう言って体操仲間に見せては喜んだ。

いつかその技をやっているのが棒人間はなく、
「自分がやっているのだ!」と思いながら。

他にも体操の審判資格も取り、
体操のアルバイトも初め、

失った青春を取り戻すかのように
体操に打ち込んだ。

「くっそおお、この技むずいわ。」


何度も失敗を繰り返し、段々と習得したい技の形に近づいていく。

「何で皆んなこれを簡単にやってんだよ、頭おかしいだろ」

と、Youtubeでお手本を見ては愚痴る日々。

その甲斐もあってか、
同じ3年間でも高校より大学の方が圧倒的な成長が起きた。

大学も安定思考で将来の給料面を考えた私は、
やりたい事との折衷案で進学先は体育大学ではなかった。

けれど体操が好きで好きで仕方なくなってしまったのだからしょうがない。
安定を取りつつも、


どうしても体操を捨てることはできなかった。

体操に情熱を注ぐ時期も場所も
間違えていると言われたとしても

僕は胸を張って間違いじゃなかったと言える。

そして大学時代もやはり皆が就活に勤しむ中、
「俺の就活は体操を練習する事だ!」

と、ひとり練習をやり続けた。

就活で願書を送ったのはたった1度きり、
大手塾の会社だけ。

根底として教える事が好きだった僕は、
体操以外なら塾講師なら良いかと思って選んだ。

そして1度だけ行われた幻の面接。
その時面接中にも関わらず自分の本心を吐露しすぎた結果、面接官に

「君はやっぱり体操なんだよ」

と言われ落ちた。

でもきっとこれがあったからこそ背中を押され、体操の道を確定させられたのだと思う。

この就活話を周りにすると大抵、

「凄いね」とか
「不安じゃなかったの?」と言う。

周りの人の内定がドンドン決まっていく中で

「恐怖心がなかったか?」

と言えば嘘になる。

それでも僕は好きな事以外の仕事は
したくなかったし、


体操以上に情熱を注げるものがなかった。

だからその後は体操のアルバイトを続け、
教える傍らで自分の練習もして
体操の研究をし、研鑽し。

そんな日常を送っていた。

そうして将来は自分自身の技も高めながら
オリンピック選手を育て、
いつか自分の体操クラブを持とうという夢を抱いた。

磨き続けた自分の一番、

それが器械体操だった。


唯一認めてくれた人妻

それから24歳になった頃、
昔の体操友達から

「運動系のボランティアを手伝って欲しい」

と頼まれ、そこのママさんと話をしている内に仲良くなったのだった。

大学時代恋愛とは無縁だった僕の前に
17歳年上の女性が現れた。

彼女は僕のこれまでの体操を、
頑張りを、全てを認めてくれた。

やることなすこと母親は僕を認めてくれなかったのに。

自分が欲しかったものを、彼女は全て与えてくれた。

「ああ、なんて心地よいのだろう。」

そんな風に当時の僕は思った。

LINE交換をした後、週に数度の通知音。
音と共に届く言葉のやり取りをした。

連絡を取る度に心の距離は近づいた。
一度LINEをすれば、たわいもない話になる事もしばしばで、そこで自分の人生観を話せば

「問題に対する考え方が凄い」

「何歳なの?」

と良い意味で年齢に不釣り合いだという反応をよくしてくれた。

自分が惹かれた相手、
それがたまたま17歳上の人妻だっただけだ。


そう、惹かれただけ。


正直本当に「好き」なのか、「好き」で合ってるのかがわからなくて。

自分の内側で疼く感情を何度も確認し、

「自分よりも親の方が歳が近い人を好きになるのか?」
「この感情はどういう感情なんだ?」

色んな思考が駆け巡った。


なのに。


僕は彼女に次回会う約束を取り付け

ホテルでお互いの体を絡み合うのを止める事はできなかった。

それから週に何度も何度も逢瀬を重ねた。
お互いの会える時間は限られている。
毎日気持ちを伝え、彼女に逢える日が本当に待ち遠しかった。

普通のカップルの1/10くらいの頻度だろうか。

それでも小学生と中学生、
3人の子供を抱えながら彼女は隙間を見つけて会ってくれた。

「愛があれば何とかなる」

そんなキラキラワードが人生で初めて理解できた瞬間だった。

体操のアルバイトは自分の好きな事で楽しかったけれど、
理不尽な事や指導現場の闇も沢山あった。

ある日社長にサービス労働を平気で頼まれて、
理不尽なので断ったらボロ雑巾の様に扱われてパワハラを受けた。

こういった社長の体操教室では当然の様に
抑圧的な指導を施している。

指導現場の闇で言えば、
本人が「怖い」と言ってるのに

「やれ!」

と威圧でやらせたり、
その選手の気持ちに寄り添う事なく

「大丈夫だから!」

と根拠の説明がない大丈夫を言う。

本人が大丈夫だと思ったら実行するんだよ。
大丈夫かどうかは本来本人が決めるのだ。

そう思いませんか?

指導者はそれを客観的にお知らせする側。
また、根拠を説明してメンタルケアを図る側だ。

それでも多くの選手はその威圧に耐えられず、空気感に耐えられず
怖いと思う技を実行するのだ。


そんな奴隷みたいな関係ありますかね?

そんな闇の現場だったけど、
彼女がいたから乗り切れた。

その当時僕の仕事は午後からだった。

仕事前に少しだけ彼女に会い、
それから体操の練習をして職場に行く。

そんなルーティンで毎日を送っていた。

お互いが休みの日は、
少しだけ会える時間が伸びる。

それが僕の日常。

加えて僕は、
体操選手を育てるという将来の夢の為に
「整体師」の資格をとり
3年間働くという事をした。

選手を育てる目標を持つに当たって
「体育大学」を出ていない事に
コンプレックスがあったからだ。

整体師として働くことで大学時代に講義で
学べなかった筋肉や体の事を
実体験で学べ、野望が加速すると思った。

体操指導のアルバイトと両立して整体の仕事。
彼女とのデートもある事で日常は相当忙しかった。

けれど彼女がいれば僕は何でも頑張れた。

だがしかし・・・

順風満帆な人生になると思ったその未来は思いもよらぬ形で崩れ去っていくのだった。


体操を捨てて一番を作る

当時の僕は視野が狭かったのは間違いない。

「これしかないんだ!」

と思っていたが。

体操を捨てなくても良い選択肢もあったんだと思う。

僕は彼女との時間を作るために体操の練習時間を減らし、
彼女との将来の生活を安定させる為に
体操の仕事もやめて安定した公務員の職に
就こうと思っていた。

「彼女との時間が一番なんだ!」


と、そこまで本気だった。

「本当に体操を捨てないと時間を生み出せない?」
「彼女との未来を作り出せない?」

当時の僕は色んな角度から精一杯考えた。
それでも体操を捨てるしかないと思ったのだ。

彼女が僕と会う為に無理をし、
実は多額の借金をしているのがわかった時も

「じゃあ、お金があれば別れずに済むんだね?」

そう言って後日僕はホテルに呼び出し、
約70万ほどの将来体操クラブを作る為のお金を渡した。

70万あればスペースを借りて小さく体操を教室を始めたり、物品を買ったり。
夢の為に投資をすることはいくらでもできた。

これを読んで

「バカだなぁ。」

と、思った人もいるかもしれない。
恋は盲目と言うが、まさにそれで。

それでも僕は、
それを捨ててまで彼女との未来を作りたかった。

当然彼女は、

「これどうしたの?」

と言った。
彼女が借金の額を言わないのと同じように

「言わない。」

「だけど別に悪い事をして用意したお金じゃないから安心して」

と言ったが、
彼女は中々受け取ってくれなかった。

だから

「自分のコレクションを売ったよ。」

と内訳の一部を言い、
受け取ってくれる為の安心材料を与えた。

彼女との未来がお金を理由になくなるのは嫌だった。
だから僕は全ての財産をお金に変えて用意し、
こう言ったのだ。

「これは二人の未来の為にあげるんだ。」

「だからもし返したいのなら、
一緒になった時に返してね。」

と。


狂い始めた歯車

僕がお金をあげた事によって彼女はだいぶ楽になったと言ってくれた。

途絶えた絆が再び紡がれ、

「これでまた昔のように戻れる!」

と思ったがそうはならなかった。

足りない時間・叶わぬ願い・埋まらない距離。
結局人妻であることは変わらず、
根本が解決しない為、

僕らの関係はまた悪化の一途を辿った。

「一度距離を置きたい」

と彼女が言い出して
暫く会ってくれなかった時は、

僕も

「自分の欲求をぶつけ過ぎてしまったんだな。」

と一度は悲しみに暮れて反省したが結局はまた同じことを繰り返した。

こう言うのは恋愛でも体操でも同じようだ。

改善や成長をするには
問題の根本を捉えて直さなければ
(練習しなければ)

改善した気になって結局改善や成長が
見られないといった事になる。

身の丈に合わない夢を抱えすぎたのかもしれない。

最初は彼女が側にいるだけで十分だった。

それが家庭を持ちたいと、
子供を持ちたいと言い出し彼女にプレッシャーをかけた。

「なぜわかってくれない!?」
「なぜわからない!?」

そんな不満を抱えたまま感情をぶつけた結果、
僕のメッセージはついに届かなくなる。

何度気持ちを伝えても、
何度謝っても、何を送っても・・・

つかない既読、届かない声。

ついに彼女は僕を、
LINEをブロックしたのだった。

このブロックは僕への拒絶、
未来を一緒に歩まないという意思表示の表れだった。

あんなに大きかった二人の幸せは、
雪が解けたように消えていった。


そして僕の世界から色が消えた。

我ながら「昼顔」ばりの恋愛をしていると思う。


灰色世界の住人になった日

それから僕は、
いつのまにか色が抜けた世界を旅していた。

「・・・」

いつものように車にのり、
いつものように職場へ向かう。

いつものように休んで、
いつもの日常を送っていても。

生きた心地はしなかった。


全てがどうでもいい。

部屋に戻れば息を詰まらせ、
出しきれない声をあげて酸欠気味になりながら布団を叩く。

染み渡る涙は時間と共に空気中へと消えていく、まるで叶わぬ夢とばかりに。

定期的に起きる感情のジェットコースター。

「ああもうだめだ、死にたい、死のうかな。」

それがいつもの終着点。
きっとコレ、
誰かに相談できたら違ったルートに行けていたのかも。


「なんだバカだなぁ。」


って、言えていたかもしれない。
そして僕はある日、パソコンでこう調べる。

【楽に死ねる方法】

飛び降り
一酸化炭素中毒
首吊り
安楽死

見慣れた単語が飛び込んでくる。
(ちなみに、あれから一度もこんな闇検索は
してません。)

それでも僕の頭の片隅には体操の事があった。

自殺に失敗し、
半身不随になるなどして中途半端に生き残ってしまったら絶対に

「また体操をやりたい…」

と、後悔してもしきれない気持ちになる事が目に見えていたからだ。

(二度寝の時くらい冴えて賢いですよね)


とりあえず一旦、
検証がてら自分の部屋で電気コードを使って首吊りセットを作り、

椅子の上に登って軽く体重をかけ首釣りを試してみた。

苦しさと共にだんだんポワ〜っとしてくるので、

「あ〜これはポックリいくわ」

と一旦我に帰る。
改めて死ぬことの大変さを実感する。

何より怖い、死ぬ勇気がない。

死ねる人はこれらを超えてしまうくらい
本当に追い詰められてるんだなと思った。

色々検索しているとどうやら色んな人が死にたいと画面の向こう側では訴えている。

一方で、「死なないで!」のような
命の大切さを訴えるブログやホームページはその何倍もあった。

やれ
「生きていれば必ず良い事がある!」だの
「残された人は悲しいよ?」だの。

「うるせえ」


と思う。
綺麗な世界で生きてる住人の声は何にも
響かなかった。
その時僕に響いていたのは、
やはり同じ境遇の人の言葉だ。

「今日も死のうと思ったがやっぱり死ねない。」
「とりあえず死ぬ前にやるべき事はやっておこうと思う」

そうやって死ぬ前提で今日ももがいている人。
そんな人間らしい言葉の方がよっぽど響いた。

(これ違う)
これも違う)

暗闇の部屋でパソコンのモニター画面の光だけが差す中、
カチカチと部屋に鳴り響くクリック音。
無数の検索のページをみた。

「!?」

僕は、運命を変える記事に出会う。

それは他の死にたいという想いを綴るブログと同ようにその時の行動や気持ちについて書かれていたのだが、


【最後だけが違った。】

死の扉の前まで来たけど

「一足先に僕は帰るよ、興味がなくなったんでね。」
「君がこの先を進むなら止めはしないが。」

と、筆者が自殺から引き返し
途中から僕を一人にするような内容だったと思う。

この時、僕の中で何かが変わった。


別にその人に「死んじゃだめだよ」
と説得された訳でもない。

でもきっと、
死ぬ事をやめたその人の理由や考えが僕の自殺を一旦止める理由になったのだと思う。

例えるなら、
一緒にイタズラをしようとしていた友達が

「これして俺たち何か良い事あんの?」
「ただ相手の困った顔見て笑うだけ?」

「しょもーな、やっぱ俺やめるわ。」
「悪いけど一人でやって?」

「じゃ。」

と、その行動の価値のなさに気づいて僕だけを置いて去っていくような感じ。

そんな風に相手の言動を見て勝手に説得された僕は、少し考え方が変わって死への執着がなくなった。


闇の中で見つけた希望

それから僕は少し論理的思考が戻り、
彼女と復縁するという方法がある事に気づいた。

「もう一度彼女に会いたい」

覚悟を決めた僕はまずは、
自分磨きを頑張った。

復縁に必要なのは新しい自分になる事。
だから僕は変わろうと思った。
新しい自分になろうと思った。

まずは捨てた体操を拾って死人から人間に戻る為にマイナスから0に戻す作業だ。

自分磨きのスタートは再び体操をする所から始まった。
そして新しい自分になる為には

「いつもと違う行動を取る」

という事らしい。

だから僕は、瞑想を始め、散歩を始め、Youtubeを始め、
苦手で大嫌いだった数学を自分から学び直した。

中学と高校の問題集を買って独学で学び直し、
学生時代とは違って自分の意思で
自分の力で勉強をした。

すると楽しい事に気がついた。

今まで数学は文字を見るだけで
アレルギー反応のように
苦手意識が芽生え吐きそうになっていた。

でも見え方が変わり、
数学が楽しいクイズのように見えてきたのだった。

過去わからなかった所もわかるようになり、
それが

【自発的な独学】

によってもたらされた。

そして僕は自分磨きの最中に人の心理に興味が出た。

究極、人を操る事ができたら
体操指導ではトレーニングをサボる相手に対しそれをさせる事ができ、
彼女に対しては彼女自身を変える事ができると思ったからだ。

「どっちにも役立つじゃん!」


と、その時はまるで世紀の大発見をしたかのような気持ちだった。

実際この時の勉強は今日に活きている。

コーチとして、
上達の為に相手にやってほしい事と
相手が望む事は

【必ずしもイコールではない】

から、
それを気持ちよく相手に納得させる時に活きているのだ。

でも別にその時の想いは彼女を服従させようとかではなくて。

単に彼女が僕を好きという思考にさせる事ができれば解決できるからと、純粋に思った。

調べる中で心理学を扱う某メンタリストのYoutubeやブログに出会い、

「なるほど!」

と驚愕。
まるで魔法の使い方を教えられたような気分になった僕は、
すぐさま彼のメルマガを登録。

心理学に可能性を見た。 

彼の心理パフォーマンスは知っているし、
心理学で人の行動を操れる。

そして行動と思考は繋がっている。

それならば彼女を操る事だって可能だと思った。

僕は片っ端から彼の動画を見漁り、
ノートをとりながら何度も復習した。

家にいる時は動画視聴、
移動中は復習の為に音声で聴いて周回。
ノートの確認も怠らない。

消費する時間に反して増え続けるノート。

僕は体操と同じくらい心理学に没頭した。
そして僕は気づく。

「!」

【そもそも彼女を操れるなら、
自分自身だって操れるんじゃないか!?】

【自分が幸せと思えたら極論それでいいじゃん】

自分の視点が変わった。

今までこだわっていた彼女への執着がすぅーと自然に消えていった。

危うく一歩間違えばヒトラーですよ。

そして、
体操以外でこんなにも自発的な勉強をしたのは
初めてだった。

過去の抑圧された状況下での勉強、
言いなりの体操練習を思い出し、


【自主的な学びは内容の吸収率や楽しさが
全然違う】


という事にも気づいた。

この「自主的に学ぶ」
という事がいかに大切なのかを、
この時改めて知った。

そしてこの頃には再び
自分の宝物だった体操を拾い上げ、

既に過去の自分の人間としてのステージを上げていた。

「俺はもう2度と体操を捨てない、
だって俺の宝物だから。」

こうして完全に自分自身を取り戻した僕は、
その後体操と体操選手を育てたいという目標も取り戻した。

そして今は、
大好きな体操を今でも楽しみながら練習し、
技の上達や研究に励む日々を過ごしている。

おかげで今の方が体操の動きや技に対する
理解度が増した。


その結果、、、


【昔よりもっと効率的な練習ができる】

【質の高くなった情報を人に提供して
他者の成長に大きく貢献できるようになった】

という事が起きた。

自分の研究で出した上達法の仮説が
実証される事も多くなり、
体操に没頭する時間が本当に楽しい。

そんな日常を送ることができている。

体操選手に限らず、
バク転をやりたい一般の人たちに
貢献するのも悪くないと思った僕は、
自分の経験を元に

「楽しい」をベースに
「出来ない人視点」で寄り添い、

思うように上達しなくて悩む人たちの
力になろうと思った。

僕のように
「やらされる練習」
「抑圧された学習」
では意味がないから。

僕が見聞きしてきたスポーツ現場では、

「やれ!」

と威圧的な命令口調であったり。
言われた事を必死にやってて出来ないのに
伝え方を工夫せず、

「だからこうだって!」

などと同じ言葉の連呼が使われるといった事がしばしばある。


結構業界のあるあるなんですよね。

ひどい時は恐怖心を抱いているのに無理矢理
気合いで技をやらせようとする場面があったりして。


そうやって技術や成績の向上だけを見て
生徒の心は見ず、
心を蔑ろにする光景もあります。

理不尽に叱責される事の繰り返しで
上達を望んではいるも心が病んで体操を続ける事を断念し、

その結果体操を嫌いになった人も知っています。


僕は思うんです。
「まるで指導者の方が偉いような接し方ってどうなの?」

「心を蔑ろにする苦しいスポーツってどうなの?」

「できない人の目線に立って考えてあげてるの?」

って。
僕が思うにこの体操(アクロバット)業界は、


幼少期から補助されて育った感覚エリートが
そのまま育って指導者になるから、
本当にできない人の視点に立って考えてあげられる人が少ない。

というかそもそもその視点を持てる人が少ない。


②独学で運動できる人が上達していってそのまま指導者になるから、
やはりできない人の視点を持てない。
(運動できる人だけが育ち、その他大勢は困り果てる)


こういう事になってると思ってます。

「それ本質じゃないよ」

と、私自身が数々の指導現場を見て非常に多く感じてきました。

「それができないんだよなぁ。」

と思った事ありませんか?

だから僕は今、
できる人だけが相手にされて

できない人は知らないよ

みたいな弱者が虐げられる理不尽な現状を
変えて行きたいと思ってるんです。

今の僕は昔と違って誰かの顔色を伺う必要もないですし、
指摘する知識も力もある。

また、メンタルも。

もしあなたが今、
技術面や精神面で悩み苦しんでいるなら
僕に相談してください。


お金はいりません、無料で対応します】


ただし、僕にも時間に限りがるので
【時間は60分、毎月5名まで】


とさせていただきたいのですが、

その時間は僕の全てをあなたにぶつけて
全力で対応します。

せっかく何かを学ぶなら成長は勿論、
心も楽しく「学びたい!」

と思えたらベストなのではないでしょうか。


そんな
【自主的な学び】


こそが、
効率的な成長と健康な心をもたらすと
僕は思います。

抑圧され、
やらされる練習は長期目線で見ると
必ず僕のように成長損をしたり、
僕が見てきた人たちのように
心で苦しむ結果になると思います。

せっかく何かを学ぶなら
一生の良い思い出になって欲しいんです。

他の習い事や仕事、プライベートにも繋がるモノになって欲しいんです。

だから
「本質」を理解した練習が大事なんです。

「心」

が大事なんです。

こんな経験をしてきた僕だからこそ
あなたの力になれると思います。


ぜひ僕と話をしにきて体操(アクロバット)の楽しさを、
スポーツの楽しさを掴みにきてください。

お話ができるのをお待ちしています。

60分の無料個別相談はこちらから。
https://lin.ee/1D1xutM

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