見出し画像

私の原風景ジオラマ

 思い出の場所をジオラマで表現する原風景ジオラマを作りました.もともとは1/150スケールのNゲージ鉄道模型レイアウトを作っていたのですが,子供時代の原風景と組み合わせることができないかと,60x45cmのコルクボードをベースに数十年前の子供の頃に過ごした地域を念頭に原風景ジオラマを作成しました.

私の原風景の場所は次の地図に示すように東京南部の大田区,目黒区,品川区,世田谷区が接する地域です
小学校の時には品川区に住んでいて,品川区から目黒区を通って大田区の学校に越境通学していました.
洗足池とその周辺は昭和5年内務省告示206号で東京都市計画洗足風致地区に指定され,現在は大田区の洗足風致地区として地域の人々に親しまれています.
現在地下駅となっている東急目黒線洗足駅は,私が子供の頃には目蒲線の洗足駅として下り線側にも駅員の常駐する小屋がある地上駅でした.駅前の踏切にはラウドスピーカーがついていて,踏切が鳴るときには「電車が参ります.電車が参ります.危ないですから白線の内側に下がってお待ち下さい」という女性の声が流れました.当時(昭和30年代)の洗足駅駅前の写真は次のURLで見ることができます.このジオラマの写真と見比べて頂ければ幸いです.
https://blog.goo.ne.jp/bisumark/e/44c4c7fd6f6a9cca94f1cd78faa6719
東急池上線の洗足池駅で下車し,すぐ前の中原街道を渡ると目の前に洗足池の景色が広がります.桜山へは大井町線の北千束駅も最寄り駅になります.ジオラマには草むらの茂みに並んで座るカップルも表現しています.
ジオラマでは写真右上の隅に写っているように勝海舟夫妻の墓も作りました.この洗足池の谷を北に向かって進み,大岡山を越えた先にはまさに清水窪という現在でも清水が湧き出している場所があり、創建三百数十年前という弁財天がまつられています.
この文具店はすでに閉店しており,周囲では建物が次々と建て変えられています,当時の銭湯は昔の名残りを残していて,小学校低学年まで入っていた銭湯の女湯では時々三助とよばれる半股引をはいた男の人が洗い場にやってきて裸のおばさん達の背中を流していました.
東急文化会館の最上階にはプラネタリウムがありました.このビルの窓からは渋谷駅を出て高架線となっている地下鉄銀座線の線路を見ることができました.なお,昔の銀座線は駅に侵入する際に車内の照明が一瞬消えました.
模型のプラットホームの背後にある看板は現在の洗足駅に隣接する東急ストアの壁面に掲げられている食材の写真を取り込みました.なお,現在の東急電鉄の車両はすべてステンレスカーですが,最初のステンレスカーである5200型が入線するまでは渋谷駅前に短縮されて展示されていた旧5000系(アオガエル)や旧3000系のような鋼製車ばかりでした.旧3000系はその後旧5000系と同じ緑色になりましたが,このレイアウトでは当時の塗色である黄色と青に塗っています.
最後にレイアウトの全景を示します.

(2023年3月完成.現在は名古屋に住んでいる70代半ば過ぎのムサシのジージ)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?