知っているということ

 私は博物館や美術館が好きだ。

 思えば、私が美術館や博物館が好きになったのは、(あるいはその存在に気づいたのは)大学生になってからである。もっと言うと、イギリスに短期留学をした時からである。

 少し話は変わるが、以前、少し話題になった「文化と教育の地域格差」という記事を読んだ。一部を引用すると、「都会と地方の教育格差で問題なのは、貧富の差では無く、「教育や文化」を『見たことがないから知らない』こと」ということが書かれている。それを読んで、私は「そう言われると確かになあ」と少し唸ってしまった。私が大学生になって感じていたことはこれだったのかなと思った。私の出身は電車が通っていないような田舎である。おしゃれなカフェや映画館は無い。当然、博物館や美術館などの教育施設も無い。ただ、大阪や京都まで高速バスに乗れば2時間程度で行ける地域ではあったので、大学進学率は比較的高かった。塾もあったし、それなりに勉強することに関しては力を入れていたように思う。

 ただ、「文化の教育」に関する考え方は地域格差があった。私はずっと「教育」という物は良い点をとって学年内で高い順位を取るためのもの、良い大学に行くためのものであり、「文化の教育」とは、おばあちゃんの若い頃はこういう服を着てたとか暮らしをしていたとか、「この町の歴史を知っておきましょう」とかそういう物のことである、と思っていた。「文化」とはそれだけではないということを私に気づかせたのは、博物館・美術館の存在だった。

 私は、学生時代、大学附属の博物館で学生スタッフをしていた。「好きだったから」とかでは無く、バイトを探していた私にサークルの先輩が「こんなバイトがあるよ」と紹介してくれたからだ。採用された私は、寄贈された資料の調査やスケッチ、来館者対応などをした。博物館で働いていて驚いたのが、「大人」が「勉強をするために」やってくるということだった。当然、小学生から大学生まで、社会学習の一環としてやってくる。それ以外に、社会人が休日にやって来たり、老人が資料を見たいと言ったり、いろんな大人の人が訪れる。その時の私は、不思議な場所だなと思った。

 大学三回生の時、イギリスに一ヶ月の短期留学をした。その時、ホームステイ先の家から一人でバスに乗って隣町まで行った。ホームステイの家がある場所は、イギリス風の家が立ち並ぶ、のどかな場所だった。そして、バスに乗って20分ほどで行ける隣町は市場やデパートなどがある大きな町だった。人見知りが激しくて誰かを誘う勇気も無いくせに、行動力だけは一人前である。そして、隣町に着いたはいいが、どこに行こうか迷った。カフェとかバーは行くのが怖い、しかしできればイギリスを堪能できる場所に行きたい・・・ということで、「地球の歩き方」に載っていたいくつかの博物館に行くことにした。そこで、この町の歴史(車産業が盛んだったこと)や、伝説(勇気ある貴族の女性の話)を知った。まったく知らない土地に来たというのに、なんとなくこの町の歴史、あるいはイギリスの一部分を知ったようで楽しかった。

 ロンドンに遠出をした時は、定番の大英博物館、ナショナルギャラリー、ロンドン自然博物館などなど、色んなところに行った。どれもとても楽しかった。博物館、美術館は観るためだけでなく、人間の生き方や考え方、世界そのもの、自分の知らない世界を見ることが出来る場所だった。そしてそれを吸収できる。世の中にこんな楽しい場所があるのかと思った。今までそれを知らなかったことを悔しく思った。

 日本に帰ってから、博物館のアルバイトを積極的にするようになった。職員さんに「留学に行く前はいつも自信なさげだったのに、変わりましたね」と言われて嬉しかった。大学の講義で「生涯学習」という言葉があるのを知った。生涯、勉強し続けること。大学や博物館、美術館なども「生涯学習」であるらしい。良い言葉だなと思う。それを知るまでの私は、「大人が勉強する」というのは、退職して暇な人がやるものだと思っていた。実際、私の地元では「生涯学習センター」は退職後の老人のために開かれている。だが、私は知っている。社会人であっても、自分の好きなことを勉強していい。テストで良い点数を取るためではなく、本当に自分の好きなことを、「大人だから」と諦めることなく勉強しても良いのだ、ということ。これからも、生涯、いろんな事を勉強したいと思っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?