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春はだめだろ

春が来た。すごい。生ぬるい。強風でビルが揺れる。傘が折れる。寒暖差がビットコイン並み。体調が優れず気持ちが悪い。頭が痛い。腹が痛い。洟が出る。くしゃみが出る。吐き気がする。声と身振りが大きい人で往来が埋め尽くされている。空気が殺伐としていて、今にも罵り合い、殴り合いが起きそうな雰囲気がストリートに充満している。ピンクで暖かくて新しくてハッピーといった印象を抱かせる春だが、実際は人心を荒廃させるディープな季節だと思う。何かしらのトラブルにはよくよく注意したい。

生きていると稀にテレビ局から街頭インタビューをお願いされることがあるが、むろんすべて断ってきた。質問に答えるのも、カメラを向けられるのも、テレビに映るのも恥ずかしいからだ。昨年、フジロックでLIZZOを観た直後に、さる朝の情報番組に取材されそうになり、困惑していると、フジロックの運営の人たちがステージに出てきて爆音で喋り出したので事なきを得た。知り合いが働いているレコード屋で買い物をした際に、写真を撮っても良いかと尋ねられても「は、恥ずかしい……」と言って断ってしまう。

小学校の低学年だった頃、世界はまだきらきらと輝いていて、「パレードに雨を降らせないで」("Don't Rain On My Parade")的なアティテュードで生きていたから、学芸会では台詞の多い道化役に立候補し、オーディションを勝ち抜き、堂々と演じてみせて喝采を受けたこともあった。けれども、高学年にもなると自意識が芽生え、そうした振る舞いを恥じるようになった。学芸会そのものがいよいよ辛くなってきて、台詞の与えられていない「群衆B」のような役に収まりたいと願ったものの、結局じゃんけんに負けて台詞のある役をやらされる羽目になり、リハーサルのときにあまりの大根役者ぶりを披露したものだから、教師たちから失笑されたのを今でも覚えている。世界は、やりたくないことを無理矢理やらされ、それがうまくできないと笑われたり怒られたりする不条理な場所と化したのであった。

それから紆余曲折を経て、人前に立ってギターの腕前を披露したり、文章を書いて世に放ったり、人を集めて自分の話を聞いてもらうといった活動に取り組んでいるのだから因果なものだ。業が深いとしか言いようがない。とはいえ、何に取り組むにせよ、あくまで自分の仕事ぶりを評価してもらえるのが理想なのであって、目立ちたいとか注目されたいとかちやほやされたいといった欲望は薄い。それよりもむしろ誰からも相手にされないことへの恐怖のほうが強い。

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