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バッハ エピソード25 罪人から宮廷楽長へ

前回のお話:バッハは辞任が認められず、不服従の罪で牢屋に繋がれてしまいました。

牢屋に繋がれてしまったバッハは、1か月後、ようやく釈放されると、ワイマールから逃げるようにケーテンに向かいました。
ケーテンでの職業は、当時の音楽家としては最高位の地位である宮廷楽長。バッハ32歳のことです。

当時のケーテン領主レオポルト侯は自身も優れた音楽家であり、ヴァイオリンやヴィオラ・ダ・ガンバが得意でチェンバロも演奏できました。バッハは「公爵は音楽を愛したばかりでなく、音楽を知っていた」と賛辞を贈ったほどでした。
ケーテンの宮廷楽団は、音楽嫌いのプロセイン王国フリードリヒ・ヴィルヘルム1世が自分の楽団を解散した折にベルリンから移ってきた人々で、いずれも素晴らしい腕前を持っていた楽団員でした。ケーテンの小候国にプロセイン王国並みの宮廷楽団が組織され、そこに、バッハが楽長として迎え入れられたのでした。

ケーテンでの仕事はワイマールとは全く異なっていました。ケーテンはカルヴァン派の宮廷で、礼拝に讃美歌以外の音楽がなかったことから、オルガン演奏やカンタータの演奏はありませんでした。
こうして、ケーテンでは高度な演奏技術による室内楽作品として《ブランデンブルク協奏曲》《無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ》《無伴奏チェロ組曲》など、後世に残るたくさんの作品が生まれていきました。


さて、突然ですがアンクルバッハからクイズです。

Q: ケーテンの楽団員のメンバーは何人だったでしょう?

  1. 30人

  2. 18人


A: 答えは 2の「18人」 です。

ソリスト: ヴァイオリン2名、チェロ1名、オーボエ1名、ファゴット1名、ヴィオラ・ダ・ガンバ1名、フルート2名、合奏のみを演奏する人4名。その他トランペット2名、ティンパニ2名、写譜家2名。ヴィオラはバッハ自身が担当しました。

息子のC.P.E.バッハによると、ヴィオラをとても得意としていたようです。


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