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作曲家のいろいろなエピソードにちなんだ絵を描いて、皆さんにご覧いただいています。私自身…

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作曲家のいろいろなエピソードにちなんだ絵を描いて、皆さんにご覧いただいています。私自身はバロック音楽が好きで、フラウト・トラヴェルソを習っています。普段はグラフィックデザインとイラストレーション制作の仕事をしています。 https://www.miuramanami.net/

マガジン

  • note クラシック音楽の普遍化を達成する

    • 1,143本

    クラシック音楽の歴史や作曲家、作品について、哲学的な視点から分析し、その普遍性や深さを探求する和田大貴のnoteです。クラシック音楽について語り合えることを楽しみにしています。参加希望の方はマガジンの固定記事でコメントしてください。

  • コンサートレビュー

    クラシックコンサートの感想&イラスト

  • バロック・フルート レッスン記

    バロック・フルート(フラウト・トラヴェルソ)のレッスンを通じて学んだこと、気づいたことなどなど。

  • J.S.バッハ エピソード

    J.S.バッハのエピソード&イラスト

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バッハを聴く トン・コープマンのリサイタルがきっかけでnoteを始めました

今、こうしてnoteにJ.S.バッハのエピソードと絵を描いているのは、トン・コープマンのパイプオルガンリサイタル(2023.2.18)がきっかけです。 パイプオルガンはこれまでサントリーホールやオペラシティの入場無料ランチタイムコンサートは行ったことがありましたが、リサイタルは初めてでした。すでに満席に近い状態で3階の最終列でしたが、オルガンとの高さは同じくらいで、演奏者が良く見える席でした。 実はそれまでトン・コープマン氏がどんな方なのか全く知りませんでした。バッハのパ

    • バッハを聴く カンタータ第214番「太鼓よ 鳴れ ラッパよ響け」BWV214

      爽やかな新緑と海風が心地よい横浜・山下公園。 古楽・アンサンブル山手バロッコによる横浜開港記念コンサート「バッハ珠玉のカンタータ 喜びのうた〜歓喜の響き〜」を聴きに神奈川県民ホールに行ってきました。3曲演奏されましたが、今日はその中から世俗カンタータBWV214を取り上げたいと思います。 さて、《カンタータ第214番「太鼓よ 鳴れ ラッパよ響け」 BWV214》ってどんな曲?この作品は、ザクセン選帝侯妃マリア・ヨーゼファの誕生祝として1733年に作曲された、世俗的なカンター

      • 今日もnoteのイラストを描いています。 noteを開いたら、 「おめでとうございます!」と 初めてコングラボードが届きました✨ とても嬉しいです スキしてくださった皆さまに感謝🩷 https://note.com/musicandwords/n/n17dd72b2757e

        • フランス盛期のフルート奏者 オトテール

          桜も散り始めた土曜の夕方、フルート教室のおさらい会がありました。おさらい会とは、日頃のレッスンで取り組んでいるエチュードなどをソロもしくは先生との二重奏で、人前で吹く会です。ピアノ伴奏はなし。毎年開かれる8月の発表会で、いきなりの本番は緊張感が高いので、発表会の前に「人前で吹く、広い空間で吹く体験をしてみよう」という機会を設けてくださっています。 本日の会場は、約40人ほど入る、音楽演奏用ステージがあるレストランです。 今回は2月に納品となった新しいバロック・フルート(フラ

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        バッハを聴く トン・コープマンのリサイタルがきっかけでnoteを始めました

        • バッハを聴く カンタータ第214番「太鼓よ 鳴れ ラッパよ響け」BWV214

        • 今日もnoteのイラストを描いています。 noteを開いたら、 「おめでとうございます!」と 初めてコングラボードが届きました✨ とても嬉しいです スキしてくださった皆さまに感謝🩷 https://note.com/musicandwords/n/n17dd72b2757e

        • フランス盛期のフルート奏者 オトテール

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          バッハを聴く マタイ受難曲

          バッハ・コレギウム・ジャパンによる《マタイ受難曲》を聴きに行ってきました。 2月に《ヨハネ受難曲》を聴き、3月末、「いよいよマタイだ!」と期待と不安が入り混じった緊張感を持って席につきました。 《マタイ受難曲》の実演に接した人は一様に「感動した」と言う作品だそうです。 果たして、今日はどうだろうか? 《マタイ受難曲》は 1727年4月11日、バッハ42歳の時にライプツィヒの聖トーマス教会で初演されました。たくさんの作曲を経て、いちばん脂の乗っている時期であったと言えます

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          バッハ エピソード30 宇宙を旅するブランデンブルク協奏曲

          バッハのケーテン時代(1717-1723年)の有名な協奏曲といえば、6曲からなる《ブランデンブルク協奏曲BWV1046~1051》。《ブランデンブルク》の自筆譜は1721年3月24日付でブランデンブルク辺境伯クリスティアン・ルートヴィヒ(プロセインのフリードリヒ1世の弟)に捧げられたものです。 この第2番ヘ長調 第1楽章が1977年アメリカの宇宙探査機ボイジャー1号&2号に搭載されたゴールデンレコードに収められています。演奏はミュンヘン・バッハ管弦楽団 指揮者 カール・リヒ

          バッハ エピソード30 宇宙を旅するブランデンブルク協奏曲

          バッハ エピソード29 再婚

          1721年12月3日、バルバラが急逝してからおよそ1年半後、宮廷歌手として当地にやってきたアンナ・マグダレーナ・ヴィルケと再婚します。 彼女は当時20歳でバッハより16歳年下のソプラノ歌手でした。バッハは彼女の美声に惹かれたのかもしれません。結婚10年を過ぎた頃、友人に宛てた手紙でバッハは妻のことを「とてもきれいなソプラノを歌う人だ」と書いているからです。 挙式は侯の命令によって、教会ではなくバッハの自宅で行われました。バッハは年収の5分の1にもなる披露宴用の大量のワインを

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          バッハ エピソード28 339回目の誕生日を祝う

          3月21日はJ. S. バッハのお誕生日(旧暦)です。 グレゴリオ暦だと3月31日になります。 今日は339回目のお誕生日です。 お祝いしましょう! ハッピーバースデー! 今日はこれを聴いてみましょう。 4台のチェンバロのための協奏曲イ短調BWV1065 この曲は、ヴィヴァルディ作曲の協奏曲集作品3『調和の霊感』第10曲の4つのヴァイオリンとチェロのための協奏曲ロ短調RV580のリメイクです。 バッハは,ワイマール時代、『調和の霊感』に含まれる協奏曲をはじめとしたヴィヴ

          バッハ エピソード28 339回目の誕生日を祝う

          バッハを聴く 巨匠バルトルド・クイケン

          バロック・フルート(=フラウト・トラヴェルソ)を始めようと決意したちょうどその頃、バルトルド・クイケンのリサイタルがありました。 クイケン氏は世界的なフラウト・トラヴェルソの名手であり、古楽界のレジェンドです。 東京でフラウト・トラヴェルソ奏者として活動されているプロの方は、ブリュッセル王立音楽院やハーグ音楽院で学んだクイケン氏のお弟子さんが多いです。 その彼がバッハを演奏しにやってくるというのですから、これはチャンスだ!ぜひ聴きにいこうと思いました。 バルトルド・クイケン

          バッハを聴く 巨匠バルトルド・クイケン

          新しいバロック・フルートがやってきた

          2023年1月にモダン・フルートからバロック・フルート(フラウト・トラヴェルソ)にレッスンを切り替えて2年目。これまでは先生の楽器をお借りしていたのですが、ようやく、フルート工房にお願いしていた木製のフラウト・トラヴェルソがやってきました。 こちらは、1720-1750年ごろのパリのシャルル・ビゼイという職人さんの工房で作られていたもののコピーです。 ちょっと膨らんだ装飾デザインがフランス・バロックな感じで好みです。 バッハの年代とも被りますので、その時代の演奏はどこの国でも

          新しいバロック・フルートがやってきた

          バッハ エピソード27 妻マリア・バルバラの死

          突然の不幸 1720年6月、バッハはレオポルト公のお供でカールスバートへ旅行に行き、1か月ほど家を空けました。7月に戻ってくると、旅行前にはとても元気だった妻マリア・バルバラが亡くなり、すでに10日前に埋葬も済んでいるという悲痛な出来事が待っていました。残された子供は4人。年長のカタリーナ・ドロテアは12歳、年少のゴットフリート・ベルンハルトは5歳でした。 バッハは幼い頃からたくさんの死を経験してきました。それでも最愛の妻を失った悲しみは大きく、自分の歩むべき道は、教会音楽

          バッハ エピソード27 妻マリア・バルバラの死

          春の詩 ーウイリアム・ブレイクー

          「フルート」が出てくる詩です。 春が近づいたらこの詩を読み上げたくなります。 そして、今すぐフルートを吹きたくなる、 そんな元気になれる詩。 フルートが好きな友人にぜひ。 18世紀にイギリスで発表され、世界中で読み継がれてきたウィリアム・ブレイクの名作より 「春」 さあ、フルートを鳴らそう! まだまだ聞こえないよ 鳥たちは昼も夜もにぎやかな様子だ。 ナイチンゲールは谷間の中で ツグミは大空の下で 元気に歌っている。 そう、元気が大事。 このまま元気に今年の春を 迎えよ

          春の詩 ーウイリアム・ブレイクー

          女性作曲家 アンナ・アマリア

          遅ればせながら3月8日の国際女性デーにちなんで女性作曲家のお話をします。 クラシック音楽界において、女性作曲家の曲を聴いたことはありますか? ポーランドの作曲家・バダジェフスカによる《乙女の祈り》やクララ・シューマンの《ピアノ協奏曲》など1800年代に入ってからはありますが、バロック時代はほとんどいなかったのではないかと思われます。当時は、社会的に女性がまだ職業音楽家として活躍することが、なかなか認められなかったのが原因でしょう。 私が通うフルート教室では、年に一度の発

          女性作曲家 アンナ・アマリア

          バッハ エピソード26 生涯一度も出会えなかったバッハとヘンデル

          ヘンデルはバッハと同じ1685年生まれ。中部ドイツの狭い範囲にとどまっていたバッハとは対照的で、国際派として広くヨーロッパ中を旅して各地で活躍しました。生家のすぐそばにあったハレ大聖堂のオルガニストとしてキャリアをスタート。その後はハンブルクを皮切りに、ローマやナポリ、フィレンツェなどのイタリア各地、ハノーファー、ロンドンと渡り歩きます。バッハはそんなヘンデルの作品を自ら書き写しとるほど尊敬していたようで、1719年、ハレに里帰りしているヘンデルを訪ねます。しかし、一足違いで

          バッハ エピソード26 生涯一度も出会えなかったバッハとヘンデル

          バロック・フルート(フラウト・トラヴェルソ)を始めたきっかけ

          フラウト・トラヴェルソ(伊:Flauto traverso)とは今日のフルート(モダン・フルート)の前身となった横笛です。略して「トラヴェルソ」と呼んでいます。 バロック期以前には西洋音楽においてリコーダー(縦笛)が主流だったことから、「traverso(横向きの)」という修飾語を付けてフラウト・トラヴェルソと呼ばれていました。 バロック期に作られたものは「バロック・フルート」と呼び、トーンホールが7つあります。 右手の小指は穴に届かないので、キーが付けられていて穴の開閉が

          バロック・フルート(フラウト・トラヴェルソ)を始めたきっかけ

          バッハ エピソード25 罪人から宮廷楽長へ

          前回のお話:バッハは辞任が認められず、不服従の罪で牢屋に繋がれてしまいました。 牢屋に繋がれてしまったバッハは、1か月後、ようやく釈放されると、ワイマールから逃げるようにケーテンに向かいました。 ケーテンでの職業は、当時の音楽家としては最高位の地位である宮廷楽長。バッハ32歳のことです。 当時のケーテン領主レオポルト侯は自身も優れた音楽家であり、ヴァイオリンやヴィオラ・ダ・ガンバが得意でチェンバロも演奏できました。バッハは「公爵は音楽を愛したばかりでなく、音楽を知っていた

          バッハ エピソード25 罪人から宮廷楽長へ