『マイ・ブロークン・マリコ』「メンヘラ」レッテルへの反抗|#今日の1枚

「メンヘラ」という言葉がある。他者からの愛情を強く求めてしまうあまりに、精神的かつ行動的にも不安定になってしまう人のこと、と個人的に定義づける。このいわゆる「病んでいる」と思われがちな状況に対して、名前をつけて安心するために自ら「自分はメンヘラだから」とレッテルに落とし込む人もいる一方で、他者が勝手に「あの人、メンヘラだよね」と評価してしまうパターンもよくある。

私は後者のように、他者が当事者の状態や人格を「あの人は病んでいる。メンヘラだ」とその4文字で定義付けてしまうのは、だいぶ乱暴だなと思っている。その考えが明確に言語化されているセリフに出会ったので、メモしておきたい。

そのセリフが発せられるのは、映画『マイ・ブロークン・マリコ』(監督:タナダユキ)。主人公・トモヨ(永野芽郁)の幼馴染のマリコ(奈緒)が、自ら命を絶ってしまう。主人公のトモヨは、マリコに辛い思いをさせた父親の元に行き、遺骨を奪い、彼女の骨と旅に出る。

マリコは、いわゆる「メンヘラ」だ(文章を書き進める都合で、あえて定義づける)。しかし作品を観るうちに、単純に「メンヘラ」と決めつけるのは憚られるような、マリコの辛い生い立ちが見えてくる。

マリコは激しく虐待する父親の元に育った。いい子にしなければ、父親の思うような態度や行動を取らなければ、即座に殴られる。母親はそんな夫から去った。愛情に飢えていたマリコは、すんなりといろんな男性と付き合うものの、そこでも暴力を受けてしまう。唯一の友達であろうトモヨにも、「しいちゃんに彼氏ができたら許さない」と言って、目の前で手首を切ってしまう。あまりに繊細で、その体を強く掴むとほろろと壊れてしまいそうだ。

トモヨもマリコを「めんどくせー女」と思いつつも、そこには不思議なシスターフッドと連帯感がある(トモヨの他者を受け入れる器量の大きさもあるのだろうけど)。マリコにとってトモヨが「頼れる大事な親友」であるように、トモヨにとってもマリコは唯一無二だった。

この世から去ったマリコの遺骨を抱えて旅に出たトモヨは、旅先でマリコの幻影に出会い、こんな言葉を投げかける。

マリコ、あんた、何も悪かない。あんたの周りの奴らが、こぞってあんたに自分の弱さを押し付けたんだよ。
映画『マイ・ブロークン・マリコ』より

これは「メンヘラ」と呼ばれる人を肯定する言葉だ。

マリコは、そばにいる人たちが弱さを過剰に受け入れてしまい、心を病んでしまったわけだ。おそらくマリコは、その弱さこそが自分への愛なのだと思い込んでしまっていた。なぜなら、幼少期からの経験によって、本当の愛情によって受け取ることのできる愛情表現を知らないから。

「あの人、メンヘラだよね」とレッテルを貼ったその相手は、心の内側に激しくドロドロとした哀しみを抱えているかもしれない。その背景を無視して、簡単に誰かを定義づけるのは、あまりにも早計で乱暴なことだ。それがよくわかるセリフだなと、スッと心に染み入った。

もちろん、身近に「メンヘラ」と思われる人がいて、自分が思わぬ迷惑を受けて辛い状況にあるなら、自己判断で身を守るべく距離を取るのがベターだろう。しかし、その人を「病んでる」「メンヘラ」と簡単に烙印を押すことで、いつか自分が何かの拍子に他者の愛を強く求めて「メンヘラ」になってしまったとき、同じように自分のことも貶めてしまうことになる。誰かに対する色眼鏡は、まわりまわって自分自身への色眼鏡にもなるのだから。

これは「メンヘラ」に限らず、あらゆる他者への評価やレッテルに言えること。自分も誰かも自然と息を吸えるように生きるためにも、容易に誰かを「こうだ」と決めつけないよう、見えない裏側に思いを馳せられる柔らかい視点を持ち続けていたい。

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