【ドラゴンのエッセイ】男女の壁と自分の問題

 年が明けてから「男女の壁」を感じる出来事がたくさんあった。こういった葛藤は今までに何度か経験しているが、今回はネガティブなことが重なり過ぎていまだに消化しきれずにいる。そこで誕生月最初の更新は、「男女の壁と自分の問題」をテーマに長文を綴ることにした。これを最後まで読んで、少しでもドラゴンという人間の考えを理解してくれる方がいたならこれほど嬉しいことはない。

 俺には仲のいい友人がSNS上に何人か、いわゆるリア友と呼べる親友も1人いる。そのすべてが、女性である。最初のうちは俺も「男女の友情は成立させられる」と信じて疑わなかった。けれどそうやって呑気に構えていられる時間は短い。
 男女が仲良くしていると、すぐ恋愛の方面に話が向かう。当事者同士のことでなくても例えば、彼氏がいる女性が別の男性と友人関係があったとしたら、彼氏は落ち着かないだろう。その理屈は俺にも理解できる。
 つまり、女性と友人として仲良くなっても相手に恋人ができたら離れることを余儀なくされる可能性が高いのだ。たとえそうでなくても、連絡の頻度を減らしたりという配慮はするべきだと思う。思うには思うが、そうするとこちらは大事な友人の1人と距離を置くか、最悪の場合には絶縁しなければならない。仕方ないことだと分かってはいても、やはり辛くないといえば嘘になる。
 さらに厄介なのは、俺は友人たちに対して恋愛感情を全く持っていないことだ。好きな人ができれば、その人にはまず告白して「俺のこの気持ちについてどう思うか」ということを尋ねる。それで好意的な反応が返ってくればそれでいいし、逆に気持ちを打ち明けた瞬間にブロックされてしまったこともある(障がい者だということも少なからず影響しているかもしれない)。

 少し話が逸れた。何が言いたいかというと、俺は自分の友人たちには幸せになってほしいと思っている。その幸せとは推しを推し続けられることかもしれないし、したい仕事をし続けられることかもしれない。また、好きな人とデートしたり結婚することかもしれない。
 具体的には何でもいいが、とにかくその人が「今、幸せ!」と思えるような人生を送ってほしい。そして友人とは、その幸せな人生のサポーターのようなものだと思っている。
 恋人ができたら、幸せの中心は自分と恋人になるだろう。そうなればただの友人である俺は、その人の心の中から消えてしまうかもしれない。それだけならいいが、俺の存在が邪魔になってしまうことだってあり得る。そういう時はどこにも寂しさを吐き出すことができないから、1人寂しく布団の中で泣いたことが何回かある。嘘のような本当の話だ。

 じゃあ男性と友だちになれば? と思われるだろう。自分でもそう思うが、それが無理なのだ。俺は女性としか友人にはなれないと思う。実は俺は、男性が苦手なのだ。
 もちろん、学生の頃からではない。当時はクラスメイトが男子しかいなかった。だから女子の方に苦手意識をガッツリ持っていた。しかし社会人になってからは、男性の方が圧倒的に苦手だと気づいた。
 まず、男性の方が背が高い。誰だって見下ろされるのは気分のいいものではないとは思うが、俺の場合は普段車いすに座っているので余計に「見下されてる感」を感じてしまう。女性なら共感してくれるかもしれないが、男性の中にはなんとも言いようのない威圧感を持っている人もいる。それを倍くらい感じ取ってしまうのだ。
 次に、これは施設のスタッフに限った話ではあるが、男性の方が高圧的である。言葉が汚いと言い換えてもいい。向こうはスタッフでこっちは利用者、いわば店員と客の関係のはずなのに、男性のスタッフは平気で「テメー」などの言葉を使ってくる。しかもそれは俺に対してだけに限ったことではないから、そもそも障がい者というものを馬鹿にしているのかもしれない。
 そして最後の理由。これが一番大きいのだが、男性同士の会話というのは結局「異性」の話題が多くなる。好きなタイプはどんな子だとか、今まで何人の女性と付き合ったとか。この種の会話、俺にとっては地獄でしかない。どう転んでもいい結果は生まれないのだ。
 俺は女性と付き合ったことがない。つい最近まで自分がどんな女性がタイプかさえ明確には分かっていなかった始末だ。そんな感じだから、いわゆる色恋の話には全くついていけない。
 それだけならいいのだが、大抵の男性は女性遍歴でマウントをとってくる。こちらが障がい者だと分かればその傾向はより強くなる。俺は付き合った人数より濃度に重点を置くべきと考えているので、余計にそういう人間の神経を逆撫でしてしまうのかもしれない。
 そして、異性関係の話題で一番厄介なことがある。性的な話だ。当然、俺にはそういう経験は全くない。もちろんドラマなどでそういうシーンを目にしてはいるが、未だに(作品の中ではあっても)女性の霰もない姿を直視することができない。高校生くらいまでは、推しが出ている作品でさえそういうシーンが出てくると下を向くか推しにだけ注目していた(その結果ゲイだと疑われたこと数知れず)。そんなふうだから性的な話題なんて得意なわけないのに、「その話題は嫌かも……」というリアクションをしてしまうと馬鹿にされてしまう。最悪の場合は気味悪がられる。そういったたくさんの事情から、俺は男性が苦手なのだ。

 しかし女性からしてみれば、俺も男性であることに変わりはない。仕方ないことだと分かってはいても、やはり辛い。特に「男性が怖い。だからあなたのことも怖い」と言われてしまうと結構なショックだ。だからこそ、人間の所業とは思えないような性犯罪のニュースなどを目にすると怒りが込み上げてくる。ああいう輩がいるから、純粋に女性と友だちになりたい俺みたいな人間が嫌な思いをする事になるのだと思う。

 年が明けてからというもの、こんなことをずっと考えていた。そのうちに誰も信用できなくなっていく。最近では性別を問わず初対面の人と会うのが怖いし、それが男性だと吐き気すら催してしまう。
 するとだんだん自己嫌悪になっていく。自分が生きている意味さえ見失ってしまって、最終的には「障がい者が友だちがほしいと願うなんて高望みなんだ」というとてもネガティブな結論に達してしまう。心が通ったはずの友人は何人かいるのに、である。    もはや最初のテーマとかけ離れてしまうが、今俺は人間不信だといっていいだろう。直接会える人の中に、本当の意味で気を許せる人間が居なくなってしまったのも大きいかもしれない(最大の理解者であるNさんは年始から体調を崩している。連絡は続いているが年が明けてから一度も会えていない)。
 大の大人がこんなことを言うのはめちゃくちゃ恥ずかしいが、最後に偽らざる本音を書いてこの記事を終わりたい。
 もし誕生日プレゼントというものがまだあるのなら、気の置けない仲間たちと他愛もない話で笑い合える時間がほしい。

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