【ドラゴンのエッセイ】俺には恋愛は難しい

 のっけからネガティブなタイトルで申し訳ない。しかしこれは、俺がずっと考えていることである。
 おそらく俺には、健常者と同じような恋愛は難しいと思う。マインドの問題ではなく、現実的に。
 それでも、俺は恋愛について希望を捨てられないでいる。このままの気持ちで毎日を過ごすのはよくないと思うので、今回エッセイを書くことを思いついた。
 俺の持論を読んだ上で、俺という人間が恋愛するということについて意見を頂戴したいと思った次第だ。
具体的には女性読者の皆さん、俺みたいな性格、及び身体的特徴を持つ男を恋愛対象として見られますか? もしくは、現状からどう変化すれば恋愛が現実的なものになりますか?
この質問に注意を払いながら、この先を読んで頂きたい。


俺に恋愛が難しいと思う理由① 第三者の存在が不可欠

 ご存知の方も多いかもしれないが、俺は肢体不自由という障がいを持っている。手足に麻痺があり、うまく動かせない。足に麻痺があるから支えがなければ立ち上がれないし、手にも麻痺があるから紐を縛ったりすることができない。ハサミだって上手には扱えない。
 断っておくが、これでも今まで相当な努力はしてきたつもりだ。最初はつかまり立ちすらできなかったし、紐だって自力で縛れていた時期もある。しばらくやらなくなったらすぐできなくなったけど。

 さて、ここからが本題だ。そういうわけだから、例えばお手洗いに行くにも1人では無理なのである。自宅では親と一緒でなければ辿り着けない。外出先であれば車椅子をこいで1人でお手洗いに向かい、用足しをすることはできるようになったが、これもまずは車椅子に乗せてくれる人がいなければいけない。そもそも、完全なる1人での外出は現状の俺では不可能なのだ。

 つまり、2人きりでのデートができない。恋愛において、これは致命的だと思った。正直なところ、1人で外出できるための努力は今も続けている。その結果、現在残っている問題は移動手段だけになっている。
 ただ、その移動手段が最大の問題である。親を伴わずに外出する方法もある。例えば移動支援。移動支援とは簡単に言えば「親抜きで外出するために、家からの移動から目的地での介助までをやってくれるサービス」である。少ない金額で外出のサポートをしてくれる。だから前述のお手洗いの問題についても、移動支援があれば解決だ。
 しかし、移動支援にも難点がある。「外出先でも支援を行うことが前提」であるということだ。デート中でも、第三者がすぐ近くにいることになる。ムードもへったくれもあったものではない。

 もちろん、外出先で第三者を伴わない方法もある。福祉タクシーだ。障がい者を車椅子のまま乗せられるということ以外は、普通のタクシーと変わらない。
 なので、お金が結構かかる。場所によっては外出先で使うお金よりもタクシー代の方が高くつく場合もあるだろう。そう考えるとあまり現実的ではない。
 さらに、今挙げた2つのサービスには共通点がある。予約が必要だということだ。それも結構前から。移動支援なんかは1か月前に予約がほしいと言っていた。
 俺は恋愛経験がないのでよく分からないが、デートの予定ってある程度突発的に決まるものじゃないだろうか? 仕事のスケジュールだって月末か月頭にならないと確定しないだろうし。そしてその時点から俺が移動手段の予約に走っても、希望通りになるとは限らない。
 こういった、健常者同士なら考えなくていいことを相手に考えさせてしまう、というのが最初の理由だ。

② ご家族と将来性の問題

 最大のネックはここにある。たとえ本人同士がお互いに愛し合って付き合ったとしても、相手のご家族は俺のことを快くは思わないだろう。もちろん障がいがあるというのも理由だと思うが、それだけではない。
 いろいろな問題があるが、一番大きいのが収入面。現在俺は働いていないが、無一文ではない。障害者年金というものがあるからだ。俺は障がい者の中でも一番高い(障がいが重い)等級に属する。なのでそれなりの金額はもらっているはずだ(親が管理しているので具体的な数字は知らない)。
 ただ、それなりの金額とはおそらく「俺が一人暮らしするのにはギリギリ困らないくらいの金額」である。彼女と2人、もしさらに子どもまで増えるとなったら確実に生活できない。
 じゃあ働いて給料をもらえればいいのだが、車椅子の障がい者を雇ってくれる企業などまず存在しない。存在しても俺では雇ってくれないだろう。俺は仕事に役立つような資格は持っていない。さらに先述の移動支援は、通勤などの経済活動には使えないというルールがある。そう考えると通退勤の時点で厳しい。
 というわけで現状、俺が自分だけの力で生活費を稼ぐことは不可能である。だからこそ少しでも自分で稼ぎたくてnoteをやっているわけだが、生活できるレベルには程遠い。
 そうなると、いわゆるヒモ状態になってしまう。たとえ結婚できたとしても、それでは長くは続かない。そんな男に、大切な娘を預けたいと思う親がいるわけもない。

それでも

 今まではこんなふうに「恋愛できない理由」を見つけては恋を諦める材料にしていた。しかし、俺もやっぱり男だ。好きな女の子と一緒に遊んだり、付き合ったりしてみたい。その気持ちは理性や理屈で抑え切れるものではないらしい。
 だから今でも俺は、自力でできることをひとつでも増やしたいと思っているし、その努力もしている。専門の先生に、努力の方向性を尋ねたりもしている。
 それでも現状は、努力では補えない部分が多くてショックを受ける日々が続いている。車椅子利用の障がい者だというだけで施設で働くことを拒否される場合も多い。そしてその拒否は、単純にマンパワーの不足が理由の場合が大半なので相手を責めることも、自分を責めることもできない。
 だからこそnoteを始めた。発信と収益化が大きな目的だ。まあ、世の中そこまで甘くないが、果てしない道だとしても、確実に前には進んでいるつもりである。

 ここまでの文章を読んで、俺の懸念をすべて知った上で、それでも俺のことが好きだと言ってくれる女性なんているだろうか。でも、もしいたとしたら、そしてその思いを俺に伝えてくれたとしたら、俺はまだ見ぬ彼女のために死にものぐるいで努力するだろう。自分が好きになった女性のためなら、命をかけてもいいという覚悟はある。

もし恋愛をするなら

 ここまでずっと暗い話が続いたので、最後に夢を語ろうと思う。
 俺にだって女性の好みくらいあるが、ぶっちゃけ容姿はそこまで重要視していない。
 俺が大好きな加藤シゲアキくんの短編小説に「自分の欲望にぴったりの外見」という言葉が出てくる作品がある。これは恋愛の芯をついた言葉だと思う。単に「顔が可愛い」とか、「胸が大きい」ということだけでは恋愛は決まらないと信じたい。もちろん外見を全く意識していないというわけではないが、外見的特徴だけでは恋愛する相手は選びたくない。
 俺には信念がある。「恋人は親友であること」だ。親友になれないということは、その人を信用しきれないことと同じだと思うからである。そんな関係性の人と恋人になりたいというのは無理がある気がする。

 俺にはまだ経験がないが、夜の営みについても同じような考えを持っている。信頼関係のない行為は極端な話レイプと同じであり、どちらかが自分の欲望だけを満たそうとすればそれは事件に発展する。
 だから(というのもおかしいかもしれないけれど)俺は女友だちを性的な目で見たことはない。「可愛い」とか「綺麗」とか言ったりはするが、それは素直な気持ちである。別に機嫌を取りたくて言っているのではないし、そういう下心もない。というか普段なら恥ずかしくてこんな話できない(笑)。

 先の話に戻るが、男女問わず全員が「自分の欲望にぴったりの外見」だけを求めて恋愛をしてしまったら、それは相手のことを「自分の欲望を満たすおもちゃ」扱いするのと何ら変わりなくなってしまう。そんなものは恋愛ではない。
 だからこそ俺は恋愛する相手に、まず友情と信頼を求める。一目惚れすることもあるが、相手の性格が見えるまで告白はしないと決めている。恋愛に発展する前に信頼関係があれば、多少の苦難は乗り越えていけると思っているからだ。青臭いことを言っているのは自分でも分かるし、告白は現在まで6連敗中である。いい加減傷つくのも怖い。でもこの理想だけは、捨てたくないのだ。

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