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やさしく読める作曲家の物語       シューマンとブラームス 26

第二楽章 少年時代のブラームスの物語

2、運命のとびら

  ヨハネスの住むハンブルクはヨーロッパでも指折りの大きな港町で、色々な国の人たちがこの港から遠い国へと旅立って行きます。

 そんな旅人達のなかに、ハンガリー人のエドヴァルト・レメーニというヴァイオリニストがいました。
 この頃ハンガリーは、支配されていたオーストリアから独立したいと市民達が立ち上がって革命を起こしたのですが、革命はあっけなく失敗。音楽家でありながら革命に加わっていたレメーニは国を追われて、ハンブルクからアメリカへ向かい、そして2年後、またハンブルクに戻ってきました。

 ハンガリーには、ロマ(ジプシー)と呼ばれる、家を持たずにさすらう人たちが多く住み着いており、彼らは独特の物悲しい雰囲気や生き生きとしたリズムを持った音楽を演奏して日々の糧にしていました。
 レメーニのヴァイオリンもそのロマの音楽の影響を受けた魅力的な音楽だったので、ハンブルクでも多くの人々の心をとらえていました。ブラームスも彼の音楽を気に入り、やがて友達になった二人は意気投合したのか、一緒に演奏旅行にでかけることになりました。
そして、この旅行がヨハネス・ブラームスの未来への扉を開けてくれることになるのです。


ブラームスとレメーニ

 まず、二人が向かったのはブラームスにとって懐かしいあのヴィンゼン。
昔の友達から大歓迎をうけました。
 気分を良くした二人は、旅を続け、ツェレという街にやって来ました。
ところが、ベートーヴェンのヴァイオリンソナタを弾こうと二人でリハーサルを始めるとピアノが半音低く調律されているではありませんか。
 つまり、「ド」の音を弾こうとしても実際鳴っているのは「ドのフラット」つまり「シ」の音なのです。

「どうする?今から直してもらうのでは間に合わないよ。これではヴァイオリンとピアノの音がずれてしまうね」
 と、レメーニも困った顔をしています。
「そうだね。でも、大丈夫だよ。ぼくが全部半音上げて弾くから」

 つまり、「ド」と覚えている音を「ドのシャープ」をつけて弾くというように、全部ずらして弾くというのです。
これは、ピアニストだからと言って簡単にできることではありません。
しかし、ブラームスは何もなかったように、やすやすと弾いてみせたのでした。

 この演奏旅行で、ブラームスは自分の作曲した「スケルツォ」や「ソナタ」も弾いています。
 また、レメーニからはジプシーの音楽を弾いてもらい、気に入ったブラームスはそれを楽譜に写しました。やがて、それが有名な「ハンガリー舞曲集」として実を結ぶことになるのですが、そのお話はまたあとで。

 やがて、二人はハノーファーに到着します。
そこでレメーニは友達のヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒムを訪ねることにしました。ヨアヒムはブラームスの2歳年上ですが、もう立派なヴァイオリニストとしてその名を広く知られています。
「ここではヨアヒムがコンサートマスターを務めているんだよ。彼の力を借りれば音楽会なんて簡単に開けるかもしれないよ。君にも彼を紹介しよう」
「え?あのヨアヒムさんに会えるのですか?」
 ブラームスは大興奮です。
 彼は15歳のとき、ハンブルクでヨアヒムの演奏を聴いて、言葉に表せないほどの感動を受けていたのです。

「は、はじめまして。ぼくはヨハネス・ブラームスと言います。
 お目にかかれて光栄です」
「こちらこそ」
 二人の若く優秀な音楽家は、すぐにお互いを理解しあえる素晴らしい友達なれると感じました。

「彼はダイアモンドのように純粋で、雪のようにやわらかい」
 ヨアヒムは、友達への手紙にブラームスのことをそう書いています。
そして、ブラームスと知り合ったことほど嬉しいことは無かったと、後々まで語っていました。良い友達は誰にとっても一生の宝ですね。

「一緒に演奏会をひらきましょう。ぼくもぜひ君の伴奏で弾いてみたいよ」
 ヨアヒムのそんな申し出に、ブラームスはもちろん大喜びです。
有名なヨアヒムさんと友達になれたことはハンブルクの家族も喜ばせました。

これはまさに神のお導きです。今あなたの人生が本当に始まったのですね。
感謝の気持ちを忘れずに、ハンブルクで努力したことを生かして世の中に出ていらっしゃい。」

 お母さんからは、そんな心のこもった手紙が届きました。

 しかし、レメーニが革命を起こした仲間の一人だとわかると、ハノーファの警察は「すぐにここから出て行きなさい」と二人を街から追い出してしまったのです。
「せっかく親しくなれたのに・・・」
と、落ち込むブラームスをヨアヒムは慰めます。

「そんなに嘆かなくても、これからいくらでも会えるよ。
 そうだ。良い機会だから、これからワイマールへ行ってリストさんに会って来たら?今、音楽界で一番力があるのは何と言ってもリストさんだよ。
彼と知り合いになっておいて損はない。ぼくが紹介状を書きますよ。
 そうそう、デユッセルドルフに行ってシューマンさんも訪ねると良い。
ロベルト・シューマンと奥さんのクララさん。ご存知ですか?」
「ええ、勿論。ハンブルクで演奏を聴いたことがあります。
 素晴らしい音楽家ですね」
「そうでしょう。
 実はぼくも知り合いになったばかりなんですが、素晴らしいご夫婦ですよ。」
「ありがとうございます。でもシューマンさんは会ってくれないと思いますよ。
実は以前楽譜を送り返されていて」
「先生はお忙しいからなあ。大丈夫、ぼくが紹介状書きますから。
 ああ、それからね。レメーニ君と君は余り性格が合わないみたいで心配しているんですよ。もし困ったことがあったらいつでも訪ねてきてください。
 ぼくは君と、もっと親しくなりたいのです」

 やさしいヨアヒムの心遣いに、ブラームスは感激して後ろ髪を引かれる思いでハノーファーを後にしました。

 そして、レメーニとブラームスはワイマールへやってきました。
文豪と呼ばれる作家・ゲーテが住んだ街ワイマールは文化の中心地としてヨーロッパ中に知られていました。
 この頃、リストはピアニストを引退しワイマールの宮廷楽長となって作曲に専念していました。才能のある人間は社会に貢献するべきだという考えのもと、リストは若いピアニストたちに無料でレッスンをしたので、ヨーロッパ中から若いピアニストたちがやって来ていました。
 そして、多くの弟子やリストにあこがれる人たちに囲まれて、リストは音楽の王様のように華やかに暮らしていました。


リストと弟子たち

「これはこれは、リスト先生。私はレメーニと申しまして、ヴァイオリンを弾いております。音楽界の宝ともいうべきリスト大先生にお目にかかれて本当に光栄です。どうぞよろしくお願いします。
 いやあ、先生のサロンはやはり素晴らしいですねえ。
え?一緒にいるのは誰だって?
あ、こちらはブラームス君。
ぼくの伴奏者ですが、まあ、一応作曲もするんですがね」

 レメーニも有名なリスト先生の前で張り切っています。
 ところがブラームスはというと、派手でおおげさなリストのサロンの雰囲気に圧倒されて、何も言えません。

「ほう、ブラームス君、作曲をするなら、何か君の曲を聞かせてくれないかね」
 41歳のリスト先生は、決して気難しいというわけではなく、むしろ若い音楽家には興味しんしんで、親切に声をかけて下さいます。

 しかし、貝のように口を閉ざしているブラームスの様子に、仕方なく
「では、私が君の曲を弾いてみよう。楽譜を貸しなさい」
と、スケルツォの楽譜を受け取って、その場で見事に弾きこなしてみせました。

「ふむ。北ドイツの人らしい良い曲だね。しばらくここで過ごすと良い。
 君の曲も聴きたいし、私の曲も聴いて欲しいのだよ」

 リストも、ブラームスの音楽を気に入ってくれたのですが、二人の音楽は目指すものがまるで違います。
 特にブラームスには、リストの派手な音楽や生き方がどうしても受け入れられません。結局リストのご機嫌を損ねてしまいました。
 リストが自分のソナタを弾いているときに居眠りをしてしまったという話もありますが、事実かどうかはわかりません。
実際には心の広いリストはブラームスの無礼も余り気にしなかったようですが。

 しかし、あわてたのはレメーニです。
「どうするんだよ。リスト先生は怒らせてしまったじゃないか、大体君の態度が悪すぎるからいけないんだ。もっと愛想良くできないのか?」
「君こそ、いい加減で嘘ばっかり言っているじゃないか」
「なんだって。わかったよ。もう君とは旅を続けられない。
 ぼくはここに残るから、君は一人でどこへでも行くが良いさ」
「ああ、望むところだ」
 と、ついにコンビ解消です。
 もともと、派手で情熱的なレメーニと、質素で内気なブラームスが仲良くできるはずもありません。ヨアヒムが心配したとおりになってしまいました。

「レメーニのもとを飛び出してしまったけど、これからどうしたらよいものか。お金もないし、何もわからない。そうだ、ヨアヒムを訪ねてみよう」

 思い切って手紙を書くと、ヨアヒムは大喜びで、自分が休暇を過ごすゲッティンゲンに是非来るように招待してくれました。
 二人は大学の講義を聞いて勉強したり、作曲したり、演奏したり、充実した夏休みを過ごすことが出来ました。音楽について語り合うと、二人は時のたつのも忘れてしまいます。やがて夏が終わり、ヨアヒムもハノーファーに帰らなくてはなりません。
「君のおかげで素晴らしい夏休みになったよ。
 何から何までお世話になってしまった。本当にありがとう」
ブラームスは心からヨアヒムに感謝します。

「ぼくの方こそ、君が訪ねてくれて本当に良かった。
これから君はどうするんだい?
決まっていないのなら、この前も話したけど、是非シューマン先生を訪ねると良いよ」
「ありがとう・・・。考えてみるよ」

 ブラームスは、作品を送り返されたことをまだ気にしていました。
一人になったブラームスはさらに旅を続けますが、旅先で知り合う音楽家達も皆、シューマンを訪ねることを薦めるのです。
 ブラームスもまた、シューマンの音楽を知れば知るほど、会ってみたいという気持ちが強くなって行きました。

 そして、ついに決心したブラームスは9月30日、シューマン家の前に立ったというわけです。


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