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やさしく読める作曲家の物語       シューマンとブラームス 24

第一楽章 シューマンの物語

 23、 病の影

 しかし、この音楽監督として2年目の後半、1852年の春頃からシューマンの体調はまた悪くなってしまいます。

「これはリューマチなの。しばらく休めは治るわ」
そうクララは信じていましたが、夜は眠れないしふさぎ込むなど、いわゆる「うつ」の状態が続きます。動作ものろのろとして言葉も重く、とても指揮を出来る状態ではありません。お休みをもらって休養にでかけましたが、効果はありませんでした。
 そこで夏には、オランダまで海水浴療法に出かけます。
これは少し効果があったようですが、その代りにクララが流産するという悲しい結果になってしまいました。
 
 そして秋。一家はようやく静かで広い家を手に入れて引っ越します。
夫妻はこの家で初めてそれぞれの部屋を持つことができました。これで心おきなく練習ができるとクララは喜びます。
 しかし、音楽協会とは新な戦いが待っていました。
「シューマンさん、あなたはしばらく指揮の方は休んだほうが良い。
 また倒れたら大変でしょう。代わりの指揮は、あなたのお望み通りタウシュさんにお願いしますから、どうぞ安心してお休みください」
と、締め出されてしまうのです。
 シューマンの精神はますます弱まり、10月にはひどい目まいを起こし、耳鳴りも酷くなります。ようやく少し回復して演奏会に来ても皆の眼は冷ややかです。

「やっとタウシュさんというまともな指揮者が来てよかったと思っていたのに」「シューマンさんは作曲家としては素晴らしいのだから、そちらに専念すれば良いんだ。人には向き不向きがあるし、無理して音楽監督の座にこだわらなくても」
「それに、彼はどう見ても普通じゃない。病気だよ。それも重い・・・」
「彼にはやめてもらうしかないな」

 しかし、どうしてやめなければならないのか、シューマン夫妻は納得しません。すったもんだの末、リハーサルはすべてタウシュが行うということでようやく収まりました。

 外の世界から受け入れられてもらえず、シューマンは一層内にこもるようになります。熱心に作曲を続ける一方で、昔の文学にたいする熱意も戻って来ました。シューマンはまた、あのジャン・パウルの作品を全部読み直し、自分の気に入った作家のフレーズを集めて「詩人の庭」という本にまとめることを思いつき、それに熱中するのでした。
 
 翌年の1853年には良い事もありました。
 ニーダーラインで音楽祭が開かれ、その初日に作り直したあの「交響曲第四番」が演奏されたのです。これが大好評。周り道をしたけれど、何度も手を入れたことで、作曲家も観客も納得できる素晴らしい交響曲として世に送り出すことができたのは、大きな喜びでした。
 この音楽祭のために作曲した合唱フィナーレつき祝典序曲「ラインのワインの歌」で音楽祭は幕を閉じ、シューマンは作曲家としては超一流であること、多くの人から支持され尊敬されている音楽家であることを証明したのです。

 この音楽祭では嬉しい出会いもありました。
 シューマン夫妻はベートーヴェンの協奏曲を弾いたヴァイオリニスト・ヨーゼフ・ヨアヒムの素晴らしい才能にすっかり惚れこんでしまったのです。
 ヨアヒムはまだ22歳。メンデルスゾーンに見いだされた彼は、天才ヴァイオリニストとして知られる存在で、シューマン夫妻も以前から彼の才能に注目していましたし、ヨアヒムもまた作曲家として音楽家としてシューマンの事をとても尊敬していました。

ヨーゼフ・ヨアヒム


 音楽祭の後、シューマン家に招かれたヨアヒムは、シューマンのヴァイオリンソナタを弾いて、作曲者を大変喜ばせます。クララも才能がありながら謙虚な人柄のヨアヒムを大変気に入り、彼はシューマン夫妻の最も親しい友人の一人になったのです。若く、輝くようなヨアヒムの才能に刺激されて、シューマンは彼のために新しいヴァイオリンソナタを作曲することを思いつくのでした。

 元気を取り戻したように見えるシューマンですが、病気は形を変えてシューマンを蝕んでいました。
 作曲や「詩人の庭」と同じように彼がこの頃熱中していたのは「机叩き」です。
「机はすべてを知っている」
彼はうつろな目でそう言うと小さな机をトントンとたたきます。
「ほら、メンデルスゾーンが出てきた。やあ、フェリックス久しぶり。
 ほらね、わたしはここに誰でも呼び出すことができるんだ。
 昨日はベートーヴェンが来て、交響曲第五番の初めのリズムをたたいてくれたんだよ」

 しかし、そんな様子を見ても
「まあ、ロベルトがまた夢みたいな事を言っているわ」
クララは余り気に留めませんでした。

 6月のシューマン43歳のお誕生日には、一家は森までピクニックにでかけ自然の中で楽しく過ごしました。
 もうすぐ12歳になるマリエからようやく歩き始めたオイゲニーまで、はしゃぎまわる子供たちと過ごした初夏の一日、シューマンは明るく陽気で、クララも心から笑っている自分に気が付きました。

 そして迎えた9月の結婚記念日。
この世の誰よりも尊敬し愛しているロベルトと出会い、ともに暮らせる事をクララは感謝し
「世界中のどの女性より私は幸せものだ」
と、改めて日記に書くのでした。
そう、これが家族で過ごす最後の記念日になるとは夢にも思わず・・・。
クララはシューマンの心が壊れ始めているのにまだ気づきませんでした。

 さらに、まさにこの頃、もう一つの運命、夫妻の人生に大きく関わることになる一人の若者が、シューマン家を訪れようとしていました。

 それは1854年の9月30日のお昼ごろのことでした。
 シューマン夫妻が散歩に出かけている間に、一人の青年がシューマン家を訪ねてきました。
「シューマン先生はいらっしゃいますか?ヨアヒム君に紹介されてきました。
 ヨハネス・ブラームスと言います」
甲高い青年の声によばれて応対に出たのは、しっかりものの長女マリエです。
 ドアを開けると、そこにはどろどろの靴を履いてリュックを背負った青年が立っていました。まだ20歳のその青年は、金色の髪が光を浴びて輝き、色白のほほを赤く染めた面差しは、なかなかハンサムです。
「ごめんなさい。あいにく両親はこの時間いつもお散歩にでかけるの。もし会いたかったら明日お散歩の前・・・そうね、11時頃また来て下さい」
と、マリエは残念そうに言いました。

「そうですか…」

 しょんぼり肩を落として青年は帰っていきます。

「ヨハネス・ブラームス?あの人は誰?一体どうしてここに来たのかしら?」
 
 後ろ姿を見送ってそう思うマリエと、読者の皆さんのために、シューマンのお話をしばし中断して、この青年・ブラームスの生い立ちをたどってみましょう。


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