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終演【影と光彩、そして円舞ー】選曲に寄せて

 3月12日(土)光が丘美術館でのリサイタル【影と光彩、そして円舞ー】にいらしてくださいました皆様、本当にありがとうございました。

桜の紙版画と、伝統品のベーゼンドルファー


 所蔵ピアノがベーゼンドルファーということで、ウィーンの作品も多く取り入れましたが、このピアノの実際の特性としてはフランス作品のほうが音色の乗りや艶出しが似合っていたようにも感じました。私自身のレパートリーの中心がフランス音楽ということもあるかもしれません。

 自然と自分の惹かれるものに吸引力が生じることと思いますが、実際幅広くレパートリーを掘り下げていくことも大切な作業と思っています。

 この度もまた、演奏会後追記として選曲につきまして記しておきます。ただただ作品や音楽への興味に尽きるといったところですが、もしよろしければお読みください。

シューベルト:即興曲 作品90-3 変ト長調

《天上の光、異世界へのプロローグ》

 シューベルトの亡くなった1828年に、ピアノ製造会社「ベーゼンドルファー」が誕生しました。ピアノの開発は次々と進み、鍵盤の幅、ペダル、ダンパー、弦の巻き、長さ、大きさ、アクション、さまざまな要素が大きく発達していました。ベーゼンドルファーといえば、通常の88鍵に加えて低音部分にさらに鍵盤が足され(黒い白鍵、つまり黒鍵盤。エクステンドベースと呼ばれる)、響きに深みを出す仕組みとなっています。元はと言えば、製造員が知人から「オルガンにある低音部分まで出せるピアノが欲しい」と言われたことが発端だったようです。
 シューベルトは楚々とした曲を描くかと思えば、壮大な大音量の曲も描き(「さすらい人」に代表される)、深淵なる精神世界(遺作の三大ソナタ)も描きました。600曲以上の歌曲、シンフォニーに室内楽、その創作の数は凄まじく、弱冠31年の人生だったとは信じがたい偉業です。
 この作品90は、死の前年に書かれました。そぎ落とされた構成に、歌曲王としての要素と特有の「トリル」、「遥かなる場所」を思わせる「憧れの6度」(シューベルトのそれは常に天上の世界であった)が散見され、孤高の芸術作品へと昇華しています。
 音楽には「調」と言われるものがあります。性格のようなものです。この変ト長調(ソ♭ーラ♭ーシ♭ード♭ーレ♭ーミ♭ーファーソ♭)は、ハ長調(ドーレーミーファーソーラーシード)から一番遠い関係にあります。これによってどこか現実離れした浮遊感に誘われるような色彩が広がります。
 フィッシャー・ディースカウという名バリトン歌手はシューベルトのリート(歌曲)の代名詞とも言うべき存在ですが、この作品を弾いていても、どこかディースカウの染み入るような歌声が聴こえてくる気がします。シューベルトの「孤独な優しさ」を音色ひとつで表現できるような、そぎ落とした表現に惹かれます。
 今回、ウィーンのピアノと、美術館の隠れ家のような雰囲気を念頭に、異世界へのプロローグのようなこの作品を最初に置きました。

モーツァルト:幻想曲 作品475 ハ短調

《暗号、闇の隙間の色彩》

 怪しげな減音程から始まるこの作品には、モーツァルトらしからぬ闇が充満しています。ファンタジック、そして豊かな歌と激情に溢れています。シリアスなモーツァルトは「人間の心の襞」に引っ掛かり、「死」の方向に倚りすぎるシューベルトから、葛藤と逆境に真っ向から対峙するベートーヴェンを印象的に繋いでくれる「暗号」と位置付けました。
 ハ長調の裏返しであるハ短調は、モーツァルトにとっては「絶望」を意味していました。本来ならば喜び溢れるはずのニ長調が幻影のように現れて、幸福な変ロ長調は内向的に描かれる―その間にはオペラ的な登場人物を彷彿とさせるシーンが在ったり、抑えきれない苦しみも露呈する―このような情緒不安定な音楽は、もしかしたら「情緒不安定な人間モーツァルト」の本心だったのかもしれません。

ベートーヴェン:ピアノソナタ第23番 作品57 ヘ短調「熱情」

《挑戦する、より良い響きを求めて》

 第九交響曲の第4楽章は、それまでの楽章を断片的に登場させながら「いや、もっと良い響きがあるはずだ」と問いを重ねて「歓喜の歌」を導き出しますが、ベートーヴェンには常にこの精神があったように思います。熱情ソナタの第1楽章もまた、対話と吟味を重ねながら歩みを進めているように思えてなりません。爆発的な場面はありながら、この楽章は非常に理性的に対話が重ねられ、深い歌が溢れていると感じます。弾き飛ばしていったら取りこぼしてしまうような尊い言葉や沈黙が、ここにあると思うのです。
 第2楽章は本当に本当に美しい。ベートーヴェンの第2楽章は、和声を一歩変えるとシューベルトの「ナポリ」に繋がるような場面がたくさんありますが、同じように天上を意識した音楽が、こうも「死」と「生」に分かれるものかという衝撃が走ります。この第2楽章の変奏はじわじわと広がりゆく光の泉のように、温かさに満ちています。
 怒りを露わにすることも時に大切なのだと肯定してくれるのがまたベートーヴェンであり、それによって元気を与えてくれるという不思議なパワーも感じます。第3楽章はまさにそのような音楽で、自己の自律と、発言力・発信力・抵抗力といった克己心に響くものがあります。生ぬるく埋もれていてはだめだ、諦めてはだめだ、と言われているかのようです。挑戦すること、前進することをいつも教えてくれる作曲家です。
 留学時代、ベートーヴェンの音楽にとことん向き合わされました。フランスの音楽教育は「楽譜」に始まり「楽譜」に行き着く…そこに奏者個人の趣向や快楽が入ることを良しとしません。常に作曲者を重んじ、そこに書かれた音符ひとつひとつに精神を注ぎ続ける努力を、一生するようにと言われてきました。重たくも、心から有り難いと思える言葉です。

サティ:ジュ・トゥ・ヴ

《哀しみも軽やかに色付けて》

 後半は一転、フランスのパレットを広げます。光が丘美術館の贅沢な色彩空間に似合うものを…と考えました。
 この曲は失恋のシャンソンですが、頽廃的な時代背景から、一個人の失恋に終わらない内容を感じます。といっても、心がもぎ取られるような失恋を軽んじる気は全くありません。よく、恋愛において「重い」という言葉を聞きますが、個人的には「軽い」ほうが恐ろしいことだと思います。人の心は皆重いです。命がかかっているのですから。「重さ」と支配や独占欲はまた別の話です。人の命の重さ、人の感情の重さを尊べる人間を目指したいものです。
 そしてそのような重たい内容を密かに抱えながら、軽やかに生きる人は魅力的です。この音楽は本当にそのような音楽です。香る人間力、放つ色彩。とても大切にしている作品です。

シャブリエ:『10の絵画的小品』より

《自然の美、幸福のパレット》

 心にふわっと充満する色彩を瞬時に出せるシャブリエに、いつも惹かれます。今回はその中から、タイプの違った2曲を選びました。
 人の声に近い音域で歌われる哀愁あるメロディと、時にコミカルに絡み合う下声部の訥々とした歩みが印象的な『牧歌』は、オーケストラでも《田園組曲》として演奏されます。繊細に、すべての音を拾っていきたい作品です。今回光が丘美術館の展示はちょうど桜や自然の美しい景色でした。自然の美しさを描くのはフランス近代音楽の大きな特徴であり、光の当て具合まで拘り抜かれています。シャブリエは公務員として職を持っていましたが、音楽も趣味の域を超えて後世に大きな影響を与えました。その品格の良さから、他の芸術に対する造詣も深く、マネの神秘的な絵画はシャブリエの家に所蔵されるほど親しい仲でもありました。音のパレットと言えば、間違いなくこの人の音楽が浮かびます。ドビュッシーもラヴェルもサティも、そしてプーランクやジャン=フランセなども、シャブリエの色彩に憧れていたようです。『牧歌』の見せるコミカルさは、ジャン=フランセの『ポートレート』にも通じる楽しさがあります。
 続く『スケルツォ・ワルツ』は今回の演奏会のテーマ「円舞」にも沿っていますが、こんなにも幸福感を与えてくれる音楽には感謝しかありません。民族的なダンスのリズムのアクもありながら、発泡酒のような輝きを見せ、伸びやかに歌が紡がれます。木村圭吾さんの大きな美しい桜の版画にピッタリくるような作品だと思っています。

ドビュッシー:『版画』より

《展示品と共に、華やぐ詩情》

 紙版画を扱う美術館ということで、絶対に入れたかった曲集です。本来3曲から成るものですが、2曲目の『グラナダの夕暮れ』はスペイン色が濃すぎるので、今回は除きました。
 インドのパゴダをイメージしながら描かれた『塔』は和の響きに通じるものがあり、光が丘美術館の素敵な木造建築のなかで映えるように思い選曲しました。光と影、陰影を描く名手ドビュッシーの芸術作品です。
 続いて『雨の庭』というとても風情のある作品を。こちらはフランス民謡が基調とされています。実は「ベーゼンドルファー」がヨーロッパに広まったのは、最初のパリ万博に展示されたからでした。産業革命の進む中で、ピアノもまた、人々の興味を惹くものだったのでしょう。そして2度目のパリ万博において、フランス文化人たちは「世にも奇妙な」インド音楽やガムラン音楽の虜となり、ジャポニズムブームも巻き起こっていくのです。最後は爽やかに晴れていく「雨上がりの匂い」を感じられる、詩的な作品です。

ドビュッシー:ロマンチックなワルツ

《色っぽさにもスパイスを》

 こちらも続けて演奏しました。あまり演奏されることは多くない作品だと思いますが、とってもかっこよくて、色っぽいのに潔いワルツ、いつかは本番に乗せてみたいと思っていた作品でした。今回演奏できて本当に幸せでした。この作品のギリギリのバランスで聴かせたい音色も、今回の「1000年祭グランドピアノ」が反応してくれて、弾いていて気持ちの良い時間を味わうことができました。甘すぎない「ロマンチック」はやはりドビュッシーの鋭いスパイスが効いているように感じます。その塩梅が、本当に洒落ているんですね。これからも弾いていきたい作品です。

グリュンフェルト:ウィーンの夜会~ヨハン・シュトラウスのワルツ主題による演奏会用パラフレーズ~

《歌い、踊ろう。笑えるために》

 所蔵ピアノに合わせた前半のウィーンプログラムと、後半の円舞プログラムが集結するのはこの曲、と思いました。「ワルツ王」と名高いシュトラウスはオペレッタ『こうもり』でも人生の苦楽を描き、それを笑いで終わらせられる軽やかさを持っています。辛さを越えて、あるいは秘めて、軽やかに笑えるというのは粋な生き方であり、幕内にあるように「悲しみを忘れるために歌い、踊る」というのは、私たちにとって大きな励ましではないでしょうか。煌びやかに、華やかに、愛の溢れた素敵な作品です。
 シュトラウスにオペレッタを書くことを勧め続けた友人グリュンフェルトもまた、愛のある人ですね。自信のないシュトラウスの才能を応援し続け、自分は教鞭をとるウィーン国立音大の生徒たちに演奏させるためにアレンジをして。とても微笑ましいエピソードです。

アンコール
プーランク:『六人組のアルバム』よりワルツ

 重量のあるプログラムの後は、颯爽としたプーランクを。軽やかで潔く、パンチの効いた逞しさもある面白いワルツです。これもまた、気に入っている作品です。
 現実の世界には、空想よりも大変なことが起きたりします。そのような中でも、逞しい軽やかさを持って、笑っていきたいですね。世の中の平穏を、心から祈りながら。

ありがとうございました🌸

これからもじっくりじっくり、音楽に向き合っていきたいです。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。いらしてくださった皆さま、応援いただいた皆さま、本当にありがとうございました。


クラシック音楽を届け、伝え続けていくことが夢です。これまで頂いたものは人道支援寄付金(ADRA、UNICEF、日本赤十字社)に充てさせて頂きました。今後とも宜しくお願いします。 深貝理紗子 https://risakofukagai-official.jimdofree.com/