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映画の話から、またしても風さんの話

まずは映画の話など

先日、Netflixで『幸せへのまわり道』という洋画を見た。
トム・ハンクス主演の、実話に基づいた話だった。
原題『A Beautiful Day in the Neighborhood』に対してこの邦題の付け方はどうなの?という気もしないでもないのだが、それはさておき良い映画だった。
どう良かったかを書き出すととても長くなりそうなので、今回はやめておく。
ただ、自分の怒りをコントロールし、人を許すということに焦点を当てた映画だったと思う。

誰しも他者に対して強い怒りを覚えることはあるし、それは仕方ないことだ。
相手が近い存在だったり、期待をしてしまうような相手だったりするとなおさらだ。
厄介なのは、激しい怒りはその場で爆発するだけでなく、持続してしまうことが多いということだ。

それは自分にとっても相手にとっても、とても不幸なことだ。
怒りを招いた相手や出来事にいつまでも囚われないで、受容し許すことができた時、初めて人は不幸な状態から脱することができる。
そんなことを思った映画だった。

風さんの言葉と共通すること

……と、ここで頭の中に風さん登場!(いつもいるけどね(笑))
風さんも常々「執着を手放そう」と言っている
執着ってなにも物に対する感情だけじゃない。
人への執着、ある状態への執着もある。
心の中にいつまでもあるネガティブな感情……怒り、悲しみ、悔しさ、後悔なども、何かに執着するが故に心に波立ち続けるのだろう。
個人的なことになるけれど、正直私にも心の中に残っているマイナスの感情があるし、亡き親に対して抱いていた想いの欠片がふと胸を刺すこともある。

手放すとは

では、「手放す」とはそもそもなんなのか。
きれいさっぱり忘れることももちろんそうだ。

でも、忘れることはできずとも、少し時間が経って「あんなこともあったよね」と微笑める場合もある。
まるで一枚の絵のように、額に収めた状態で心の片隅に置いておいて、ふと目に入った時に心乱されることもなく。

実際今までにも、いくつかの出来事は無意識であっても意識的であっても、そうやって「手放して」きた気がする。
そのあとは自分自身がとても楽になる。

良いことを手放すって?

ここであらたな疑問が湧いてきた。
ネガティブな感情・悪いことを手放せば心が楽になるというのは分かる。
実際にすんなりできることばかりとは限らないが、とにかく頭では分かる。

でも、『「良いこと」にも悪いことにも執着しない』と風さんは言っていた。
それはもっと難しい。
そもそも、なぜ良いことにも執着してはいけないのか
喜び、嬉しさ、心が温かくなるようなこと、素敵な経験、そういうことはずっと留めておいたほうが良いじゃない、と凡人の私は思う。
美味しいものは食べ続けたいし、お金だってあったほうがいい。
仲の良い友だちとの良好な関係も、仕事が順調な状態も何もかも。

漠然と思うのは、せっかく手に入れた良いことを離すまいと抱え込んでしまうとろくなことはない、ということなのではないか
それは欲に繋がるということなのではないか。
欲望はキリがないし、もっともっと……と欲しくなるし。

……あれ、なんか聞いたことのあるフレーズばかりじゃないか。
そうなのか、きっとそうなんだ。

今与えられている「良い」状態をありがたいと感謝しつつも、それを当たり前と思わずに、いつでも手放すことのできる心持ちでいるということ……それが結局は幸せへのまわり道ならぬ近道になるのかもしれない。

まだまだ私には難しいしハードルの高いことではあるが、この世で起こる良いことにも悪いことにも執着せずに、心軽やかに生きていけたらと思う。
いつまでも学びは続く、本当に。

もうひとつのテーマ?

さて、話は少し飛ぶが、この映画の中にもう一つ印象的な言葉があった。

『私たちは死について話すのを気づまりに感じる。
でも死ぬことは人間の理(ことわり)だ。
人間の理は言葉にできる。
言葉にできることには対処できる。
言葉にできれば対処できる。』

映画「幸せへのまわり道」より

怒りであれなんであれ、対処するためにはまず言葉にするのだ
この主人公のように人に語るのもいい。
それができなければ何かに書くだけでも良い。
死ぬことですら対処できるのだ。
怒りだって自分でコントロールできるに違いない。

ここまで書いてきて、風さんの歌にはそういうことが沢山散りばめられているなあとあらためて思った。

あ、映画の話がまた……(笑)

LAATもあと2日を残すのみ。
行かれる方が沢山の幸せを受けとってこられますように。


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