見出し画像

書のための茶室(三):遠山邸見学(上)

遠山記念館にやってきました

三尋木崇(以下、崇):今日は埼玉県の遠山記念館にやってきました。
山平昌子(以下、昌):「三尋木崇の、あなたと茶室探訪!」のお時間です。
崇:違います。あくまでも理想の茶室を夢想するための、茶室見学ですよ。
昌:そうでした、そうでした。
根本知(以下、知):今日は私が日頃お世話になっている遠山さんに、一緒に来ていただきました。
昌:遠山さんって「遠山記念館」の遠山さん?
知:そうです。遠山邸を作られた遠山元一さんの御孫さんに当たる、遠山明良さんです。

遠山さん:こんにちは。遠山です。
崇・昌:はじめまして。今日はよろしくお願いいたします。
昌:なぜだろう。どこか英国の諜報員のような趣を感じますね。
山平敦史(以下、敦):さっき007と書かれたすごいスーパーカーを見たような。
遠山さん(以下、007):ええ、アストンマーチンに機関銃を積んだりしています。
敦:ジェームス・ボンド、『ダイ・アナザーディ』ですね。
昌:敦史さん、この企画で初めて発言したね。

遠山記念館入り口

遠山記念館学芸課長、依田 徹(よだ とおる)さんに、まずは美術館からご案内していただきました。

遠山記念館学芸課長、依田 徹さん

美術館

崇:エントランスからもう、建物が素晴らしいですね。
依田さん(以下、依田):今井兼次の建築です。長崎の「日本二十六聖人記念館」など、キリスト教関連の建物を多く設計したことで知られています。そのため、キリスト教徒でもあった遠山元一が本美術館の設計を依頼しました。
崇:窓や柱の意匠に、教会のような要素が見られますね。

床の間を意識したという空間
教会を思わせるステンドグラスの意匠

依田:現在は、源頼朝の時代「平治物語と源平合戦展」を開催中です。
昌:大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でも取り上げられている時代ですね。

依田:今回の目玉は、狩野養長の「平治物語絵巻」3巻の初公開です。この模本は、行方不明の「待賢門合戦巻」と分割されてしまった「六波羅合戦巻」を再現した、極めて上質な作品です。

平治物語絵巻

一同:うわー。
知:武士の並び方なんかも几帳面に書かれています。

依田:こちらは「源平武者絵」です。今回は36面全てを公開している、本展示の見どころのひとつです。
崇:細かなところまできっちり書かれていますね。
昌:繊細で、きれい。
知:いつまでも見ていられそう。

源平武者絵

依田:この「頼朝石橋山合戦蒔絵衝立」は石橋山で頼朝の軍勢が隠れているシーンです。
昌:あ、大河ドラマで見た、あのシーン。
007:懐かしい。これ昔玄関に置いていたなぁ・・。
昌:これが玄関に・・。そんなことって、ある?

頼朝石橋山合戦蒔絵衝立

その後、源頼朝の「消息」の真贋についての議論など、興味深いお話を伺いましたが、まだまだ見どころが満載なので、先に進みましょう。
本展示はもう終わってしまいましたが、こちらからその様子を見ることができますよ。

母屋入り口

依田:ではさっそく、母屋に向かいましょう。こちらは遠山元一が、母、美以のために建てたものです。日本建築の記念碑になるようなものを建てたいと、総監督を弟の遠山芳雄が務め、設計を室岡惣七、中村清次郎が大工の棟梁を務めました。

母屋入り口

※本写真のみ、遠山邸のバーチャルツアー
(https://www.e-kinenkan.com/house/house.html)からお借りしました。360度のパノラマで、中を歩いているように探検できるバーチャルツアーです。

依田:お金に糸目をつけず、その頃の日本にあった最高の材料と技術を盛り込んでいるのが特徴です。
昌:お金に糸目をつけず。気持ちがいいですね。
依田:総工費が60万円と言われていて、まあ今のお金に換算すると30億円くらい。この建物の2年後に宮崎県庁が竣工しましたが、そちらが70万円でしたので、県庁を作るような金額を使って建てています。

ここ東棟の入り口が茅葺屋根で豪農風。中棟が書院造、西棟が数寄屋造と3つの異なる様式の建物が横並びになっているのが特徴です。豪農風と言っても車寄せがあったり、3つの屋根が同時に見えるなど、かなり独創的な建築様式になっています。5年前に重要文化財の指定を受けました。

依田:まず目に入ってくるのが、この沓脱ぎ石です。現在採掘禁止で値段が付かないと言われている鞍馬石。ここだけでなく、邸宅のあらゆるところにこの鞍馬石が使われています。しかも貨車をチャーターし、荒川を使って運んできたはずなので、相当な輸送量がかかっています。

鞍馬の沓脱ぎ石

茅葺屋根は、この辺りの農家のお母さんたちが総出で茅を選り分けたそうです。

茅葺屋根

さらに天井ですが、格天井に1枚300万円と言われるけやきの玉杢を使っています。ここだけで1000万円くらいですね。

けやきの玉杢でできた天井

知・崇・昌:ははははははははは。
昌:あまりにすごい物を見ると、人は笑ってしまうものなんですね。

母屋の中へ

依田:では入ってみましょう。手前に控えの間が二つありまして、それぞれの襖絵と大広間の襖絵で、松竹梅を形成しています。
崇:襖の唐紙も繊細で美しいですね。

依田:こちらが内玄関です。
崇:うちのリビングよりも広いですね・・。
依田:先ほどの玄関は当主と来客専用なので、家族と使用人はこちらの内玄関を使っていました。

依田:注目すべきはこの左官仕事です。砂利をセメントで固めて研ぎ出して作っています。
崇:わー。すべすべ。

触って確かめる

知:中央が少し盛り上がっていて、温かみも感じます。
依田:時々左官屋さんが見学に来るのですが、中にはこれを機械でなく手作業で作っていることを信じてもらえない方もいます。

居間

依田:こちらが居間です。網代、欅(ケヤキ)、葦(ヨシ)、そして平天井囲炉裏の天井だけ船底天井になるという4種類の天井があるのが見どころです。この面積の網代を今できる職人がいるか、もし頼むといくらかかるのかと考えると、空恐ろしくなります。天井は二郎小屋組みといって、やじろべえのように揺れが来たときに振動を吸収します。居間は本来、薪を燃やして茅葺き屋根をいぶさないといけないんですが、作った年にお母さん(美以さん)が「寒い」とおっしゃったので、天井を設置して上を塞ぎました。

崇:お母さんのために作ったんだから、お母さんの希望を聞く、というのはブレない姿勢ですね。

居間の天井の様子

依田:こちらには、母美以の写真などが展示されています。
昌:美以さんは学校の先生もされていたんですね。
依田:美以は旦那さんに離縁されたんです。再婚話があった時、美以が「お母さんがよその家の人になってもいいかい?」と聞くと、幼い元一さんが、「大きくなって迎えに行くまで待っててね」と答えたそうです。そして美以は兄弟を抱えながら、昼は学校の先生、夜は塾講師をして、他の子供たちを育てた。やがて大人になった元一が、美以を迎えに行き、この家を建てるまでになりました。
昌:ぜひ美以さんを次の連続テレビ小説で取り上げて欲しいですね。
依田:母、美以の部屋は、数奇屋作りとなっていて、桜、屋久杉、煤竹、胡麻竹、桜など大変贅沢な材を作っており、作り付けの衣紋掛けや袋棚など、小さな空間ながら見どころが詰め込まれています。鏡台のすぐ隣には蛇口があり、お化粧の時に手が洗えるようになっています。
昌:細やかな気配りですね。お母さまも、幸せだったろうな。

節句飾りと・・

依田:ではこちらに移動しましょう。
昌:庭の眺めも素晴らしい。
崇:この面積の窓ガラスに、全く歪みがないのはすごいですね。
依田:ガラスは 当初のままです。6mm厚なのでカットしないとこの建具に入らないため、端を斜めにカットしています。
崇:ほう・・。

知:あれ?雪ですね。
昌:まさか、もう5月ですよ。
崇:本当だ・・。

季節外れの雪・・?

昌:あれ、あちらは・・。

あの後ろ姿は・・
閑雪御家元でした

知:なんと。江戸千家蓮華庵、川上閑雪御家元です。
川上閑雪御家元(以下、雪):おや、こんにちは。偶然ですね。
崇:それで雪が。
知:こんなところでお会いするとは。ぜひ一緒に見学しましょう。
雪:ちょうど端午の節句飾りを拝見していたところです。

依田:こちらが一行さんのために作った節句飾りです。
007:私も久しぶりに見ました。小さい頃は人形をバラして遊んでいたなぁ。
崇:オオクニヌシミコト、ヤマトタケル、神武天皇、菅原道真、加藤清正、金太郎、応神天皇、神武天皇・・。
知:強そうな人は全部いるんですね。
昌:三尋木さんに似た子がいるよ。「犬と少年」だって。
依田:平田 郷陽という人間国宝の作品です。
崇:人間国宝・・。
昌:ジェームス・ボンドと遠山家の節句飾りと御家元と・・。記憶にあるうちでもっとも強い端午の節句です。

大広間

依田:こちらは、書院造、18畳の大広間です。中央の床柱は、北山杉です。天然絞りの材は非常に貴重です。ここの見どころは天井なんです。二尺幅の杉柾が全てを覆っています。杉柾を使うのはその倍の材が必要ですから、その3尺以上、直径1メートル越えたものからしか取れません。そして部屋の壁は、ガーネットを粉末にしたものを砂に混ぜた材で塗っています。

大広間

昌:は?
昌:あのジュエリーに使うガーネット?
依田:そうです。
昌:ガーネットってそんな風に使うもんでしたっけ?
崇:こんな面積にふんだんに・・。

ガーネットを埋め込んだ壁

依田:この屋根が受けている一本の木材、図面上13mあります。運んでくる時に角を曲がれないので、角では垂直に立てて倒す、ということを繰り返してここまで持ってきたそうです。
007:その様子が、川越の歴史を書いた本のどこかに出ていると聞いたなあ。

画面左の赤枠の柱です。三尋木さんは天井の種類の話をしているところでした。

依田:こちらの柱はどの面も柾目である、四方柾という非常に貴重な材です。四方柾であることも珍しいですが、下から見上げるとその構造がよく見えるという非常に珍しい状態です。
崇:どう材を切り出したのか、よく分かりますね。

四方柾の柱

依田:この欄間は桐材の一枚ものです。桐材は毛羽立つので、彫刻がしづらいんです。研ぎあげた彫刻刀で細工をしたんでしょう。花菱を掘り残しで浮かす技術は相当なものです。

桐材に花菱模様の欄間

依田:ここから向こう一面、蛍壁という技法で塗られています。鉄のかけらを醤油に漬け込んで土壁と一緒に塗り込み、あとで錆びて剥がれるとあのような模様が出てくるんです。
知:誰が最初に醤油に浸けてみようと思ったんでしょうね。
昌:醤油にね。
依田:大工と左官が、「かねてから伝授を受けていたが、施工するのは初めてだと言いながら施工していた」と設計者の日記に書いていたそうです。
崇:使う機会のない技術を試せる、挑戦の場でもあったわけですね。
依田:江戸時代に開発された変わり塗りが断絶する直前に、遠山邸で吐き出されたのだと思います。

星が降るような、蛍壁

まだまだ続きます!→コチラから

 文:山平 昌子
写真:山平 敦史


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?