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書評:巧みに描かれる「あり得べからざる京都」|綾辻行人『深泥丘奇談』『深泥丘奇談・続』『深泥丘奇談・続々』角川文庫.

「館シリーズ」で名高い「新本格ミステリ」の大御所、綾辻行人による怪談小説集『深泥丘奇談』シリーズ、計3作を読み終えたので、これらについて少し書いていこうと思う。若干のネタバレ(作品の興を削がない程度ではあります)も含むのでご注意を。それぞれの出版年および出版社は以下の通り。

『深泥丘奇談』

 単行本:2008年、メディアファクトリー
 文庫版:2014年、角川文庫
『深泥丘奇談・続』

 単行本:2011年、メディアファクトリー
 文庫版:2014年、角川文庫
『深泥丘奇談・続々』
 単行本:2016年、角川書店
 文庫版:2019年、角川文庫

ちなみに、先日noteに記事としてあげた、『深泥丘奇談』
単体の書評はこちらです。

これらのシリーズを読んで、何より感じたのは、作家・綾辻行人の巧みさである。私が特にそれを感じたのは、次のポイントだ。それは、

「解決しない話」なのに読み手に満足感を与える巧みさ

である。『深泥丘奇談』では9篇、『深泥丘奇談・続』では10篇、『深泥丘奇談・続々』では9篇の短編からなるこの奇想怪談連作。このいずれの短編でも、必ず何かが起こる(いや、何かが起こったような気がする、と書くべきか)。何かが起こったようなのだけれども、その何かが明確な輪郭を持たないことも多いし、何より原因や因縁はよくわからない。

もっと身も蓋もない言い方をすれば、オチはつかない話ばかりなのだ。

昨今の過剰なまでの「わかりやすさの希求」のせいか、多くの人は原因を、理由を、背後関係を求めたがる。あるいは明確な解決やオチを求めたがる。

また一方で、凡百の創作者は往々にして「含みを持たせるため」「読み手の多様な解釈に委ねるため」と称して、風呂敷を畳み切らない、オチのつかない創作物を世に出しがちでもある(もしかしたら、前述の傾向はこれらのへ反発もあるのかもしれない)。

でも、この奇想怪談連作では、オチがなくとも、明確な解決がなくとも、読み手に欲求不満は感じさせない。「ああ、そうか世界はそういうもの……な気がする」と思い、心のどこかが満たされて終わる。

そう、この作品で描かれるその世界とは、京都であって京都でない場所、地名や風習はとても似ているのに少しずつ少しずつずれた「あり得べからざる京都」だ。でも、それは現実の京都に、現実の世界に確かに裏打ちされた、ともすればどこかで(きっと市内北部にあるあの「池」だろう)繋がっているかもしれない、「あり得べからざる京都」なのだ。

そこのリアリティを支えているのは、ひとえに、作家・綾辻行人の筆力、そして実際に京都に住んでいるという事実と経験なのだろう。

高い実力を持った作家がずっと京都に住んでいて、「京都」を舞台にした奇想怪談集を書こうと心に決めたことを、京都在住の私は心から言祝ぎたい。なんと幸福な邂逅だろうか。

そのような、リアリティがありつつも「あり得べからざる」世界に読者を連れていくために、作者は様々なギミックを仕掛けてくるが、新本格の旗手ならではの、叙述トリック的「言葉のめくらまし」も随所随所に散りばめられている。それがまた嬉しい。

ひとつだけ、個人的に唸った「言葉のめくらまし」を紹介しておこう。それは『深泥丘奇談・続々』に収録された『忘却と追憶』に登場する。

作中にて、とある事象の発生した時期が「前世紀の半ば」と表現される。今の20歳代前半より若い人はピンとこないかもしれないが、20世紀に生まれて20世紀に若い頃を送った私のような世代には、未だに「前世紀」とは19世紀のことなのだ。だから一瞬うまく作中で述べられている時間感覚が捉えられなくなる。どこかがぐんにゃりする。でも、読み進めていくうちに、この「前世紀の半ば」とは「1950年前後」つまり「戦後すぐ」のことなのだ、と改めて気づく。そして、この奇談怪談集に通底する謎である「戦後すぐからこの街で起こり始めたこと」とやっと頭の中で繋がる。こうして「(主人公が陥っているような)すぐに何かに気づけない感覚」に、読者もまた陥っていく……見事である。

作品に通底する、といえば、この「あり得べからざる京都」に満ちている「」もまた、この世界における重要なポイントになってくる。これもまた実際の京都が、鐘の音や祭りの音、あるいは街中を南北に流れる鴨川の音など、「サウンドスケープに満ちた都市」であることに裏打ちされている……気がする。京都は「音」の街なのだ。

文庫本にして計3冊ながらも、短編のひとつひとつは短くて読みやすい。どの作品も繋がっているようでいて独立もしている。気軽に読み始められる綾辻行人作品としておすすめしたい(まあ、第1作と最終作は、一番最初と最後に読んだ方がいい……ような気がする)。

それにしてもいったい、凡庸な作家の「オチなし話」との違いはなんなのだろう。読み終えてからずっと考えている。でも、未だ答えはない。

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