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濁音と愛誦性

昨日、ラジオに投稿する音源の読み原稿を作るために、47都道府県を「濁音がある道県」と「濁音がない都府県」に分けてみていた(なんでそんな必要があったのか、については長くなるので割愛します笑)。前者は20道県、後者は27都府県となった。

そして、分けた上で、それぞれかなりの早口でそれを読み上げる、という音声を録音していたのだけれども、その時にふと気づいたことがある。

「濁音がない都府県」の方がかなり読みにくいのだ。

最初は自分の滑舌が調子悪いのかなあ、とか、「濁音がない都府県」の方は南北でソートしてなかったので、そのせいで読みにくいのかなあ、とか考えていたが、どうもそれだけではないらしい。

そこで思ったのが、「濁音が作り出すリズムが、読みやすくしているのではないか」ということ。

もちろん単純に、濁音といってもガ行音(宮城、山形、栃木、群馬、神奈川、新潟、長野、岐阜、滋賀、兵庫、山口、香川、佐賀、長崎、鹿児島)がほとんどなので、これが韻を作り出して、「濁音がある道県」の方が読みやすくなっていただけかもしれない。

ちなみに、ザ行音(静岡、宮崎)、ダ行音(北海道)、バ行音(茨城、千葉)はそれぞれ、1、2箇所だ。

ここまできてふと思ったのは、次のようなことだ。

愛誦性(あいしょうせい)のある短歌に濁音は欠かせないのではないか。

もしくは、

濁音をまったく含まない名歌は、どのような韻律を持っているのか。

さて、ここから先は、まだ実例を引っ張り出してきていないので、なんとも言えない。それに、日本語においてまったく濁音を含まずに書こうとすれば、かなり難易度が高い(つまり名歌だろうと凡歌だろうと濁音を含む確率は高い)はずだ。

というわけで、中途半端なところで現時点での考察は終わってしまう。が、少しこの「短歌における濁音」は、今後短歌を詠む/読む時に、意識してみたいと思う。

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