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冬の終わりの夜の怪談

好きな怪談がひとつある。大学時代に先輩から教えてもらった怪談だ。

時は天保、紀州藩でのお話。

とあるお寺に、暗い顔をしたお侍がやってきた。いったいどうしたのだね、と和尚が問うと、お侍は話し出す。

実は、情の厚い若い女の霊に惚れられてしまった。これがたいそうタチの悪い悪霊で、どうにも諦めてくれそうにない。このままでは私はどうにかなってしまう。なんとか助けてくれないか。

よし、わかった、そういうことなら、うちのお寺で匿ってやることにしよう。ちょうど境内に経蔵がある、由緒正しきお経がたくさん所蔵してあるここに隠れていなさい、ああ、そうだ、扉には御札をたくさん貼っておくことにしよう。これらは、悪霊退散の念を込めた霊験あらたかなお札だ。さあさあ、ここに入って、そうそう、そして一晩中お経を唱えているといい。扉は閉めておくぞ、御札も貼ったし、これでよろしい。

さて、そんなお寺に夜がやってくる。時まさに丑三つ刻。扉に何枚も何枚も御札が貼られた経蔵からは、くだんのお侍が唱えているであろうお経が静かに聴こえてくる。和尚も心配して、境内の木に隠れて様子を見ている。

と、あたりの空気がスーッと冷たくなったかと思うと、なにやら怪しい気配。いよいよ、おいでなすったか、緊張する和尚。そして、どこからともなく、聴こえてくる足音。

足音?

そう、どこからともなく聴こえてきたのは、ずしーんずしーんという低い足音、それがだんだんと近づいてきて、和尚の脇を通り過ぎていくのは、身の丈六尺はあろうかという、怪力無双の大女。薄幸めいた幽玄な女の霊を想像していた和尚は思わず、口走る。

思てたんと違う!

いまや、大女の幽霊は経蔵の真ん前。中からはお侍の読むお経が聞こえる。そんな中、くだんの大女、御札の張り巡らされた扉をぐるりと見渡すと、

ふん、何さこんなもの!!

言うが早いや、ばきっばりばりべりばりどかーんと御札もろとも扉を引っ張りぶっ壊す。経蔵に入っていく大女、ひいいいと叫ぶお侍、すぐに、当身でもされたのか、うっ!と言う声とともに静かになったお侍を、大女の幽霊はひょいと肩に担いで、経蔵から出てきた。

ずしーんずしーんと響く足音も高らかに、大女の幽霊はお侍を担いだまま暗闇へと消えていった。

そのお侍の行方は誰も知らない。


……この怪談、まあ、いろんなとらえ方もあるだろうが、なんだか思考が袋小路に陥った時などに、ふと思い出したりする。時にはパワープレイも必要だ。

この怪談を知ってから、私は心の中に出来るだけ、この「大女の幽霊」にいてもらうようにしている。

冬の終わりの夜の怪談でした。


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